グツグツ……グツグツ……
「んー……クラウドスパイダーの核とフロウマッシュルの胞子、これをエアースライムの粘液で混ぜてと……なるほど……こういう反応になるのか……」
僕は、薄暗い室内で、大きな鍋を煮込みながら、ブツブツと呟いていた。
順番に材料を入れて、お玉でグルグルと鍋を混ぜ合わせる。すると、さっきまでは青かった鍋の中身が徐々に緑色に変わっていく。
「おお!? これは初めての反応だ! もしかしたら上手くいくかも! よし! 冷ましてから後で試してみよう!」
鍋を火にかけるのをやめ、蓋をしてからエプロンを外す。薄暗い小さな室内の壁に手を伸ばし、脱いだエプロンをフックにかけた。
実験がひと段落ついたので、外の空気を吸おうとドアに手をかけると、キィィ……と木製の古いドアが鳴って、風が入ってくる。
「うわっ……まぶしっ。もう朝だったんだ、というか昼かな?」
夜通し研究に勤しんでいたところ、どうやらお昼時になっているようだった。
左手で高い位置にある太陽の光をガードし、空を見上げる。
上空には透明な膜が張られていた。結界だ。今日も大きな結界が空を覆っていた。その結界は、島全体を包み込むように半円形になっていて、島の端までをすっぽりと覆っている。
「うん。今日も結界は健在だね。よかったよかった」
あの結界は、僕たちが住む空島を鳥獣から守るためのもので、人が住む場所には必ず設置されるものである。
もし、あの結界がないと……いや、今は考えるのをやめよう……
僕は、あの時の恐ろしい光景を思い出すのをやめ、気を取り直して島の風景を眺めることにした。
小高い位置にある自宅の庭から島の端の方を見ると、何隻もの飛空挺が港から行き来しているのが見えた。空の上をフワフワと浮く飛空艇が雲をかき分けて空の彼方へと消えていく。
今日は週末なので、商品の行き来が多いのだろう。
僕が今いるこの場所は、貿易都市トレッタニアという空島で、数ある空島の中では、中くらいの規模の島だ。商品の行き来が多い島なので、大きさの割に栄えている方だと思う。僕が前いた村とは大違いだ。
「よーし、そろそろ今日の鍛錬をはじめるか」
島の様子が普段通りなのを確認し終わったので、また小屋に戻って、いつもの装備を取ってくることにした。六畳くらいの小さな研究室の中に置かれた薬品や、怪しげな魔術書を押しのけ、ワイヤーガンを手に取る。
ワイヤーガンというのは、僕が発明した第一号の発明品で、左手に装着するガントレットである。手のひらのボタンを押すと、銛がついたワイヤーが飛び出て、もう一度押すと、身体を引き寄せることができるようになっている。僕はそれを装着しながら外に出た。
「あ! 出てきたぞ! ハルのやつだ!」
「ホントだ! やーい! へんじーん!」
「ギャハハハ!」
今日も、島の子どもたちが僕のことを見学にやってきたみたいだ。石垣の上に座って、僕のことを指差しながらニヤニヤしている。
「やーい! 男女(おとこおんな)ー!」
小さい頃からからかわれていた言葉が飛んでくる。男女というのは、僕の容姿のせいだろう。たぶん、ピンク色の髪となよなよした目元のせいで、女の子っぽい印象を受けるのだと思う。
だから最近は髪を短く切ったし、着物だって男らしいデザインにしたはずだ。だというのに、まだからかわれてしまう。幼馴染曰く、『ハルはおっとりした表情だし、中性的な顔してるから』だそうだ。
「やーい! やーい! なんとか言ってみろー!」
子どもたちの罵声は鳴りやまない。うん。まぁいい。許そう。僕だって7年前の5歳だったときは、あんな感じだったと思うし。
そう考え、心を落ち着かせ、子どもたちを無視して庭の中央に進む。そこには、3階建ての建物ほどの高さがある柱が何本か立っていた。柱には縄が巻いてあり、銛が刺さりやすいようになっている。
「よーし、第523回目の実験、はじめるぞー」
パンパンと自分の頬を叩いて眠気を吹き飛ばす。
左手を構え、ガントレットに内蔵したボタンを人差し指で押し込んだ。
パシュ! ズコン! ガントレットの上部から銛が飛び出し、柱の中腹に突き刺さる。高さにして、建物の2階くらいの位置だ。
「よし……」
もう一度ボタンを押す。すると、勢いよく自分の身体が斜め上に向かって引っ張られた。
「ぐぅ!」
風圧に耐えて前を向く。そのまま、柱に引き寄せられていく。
「よし! ここでリリース!」
ガントレットのボタンを押して銛の固定を解く。
こうすれば、柱にぶつかる前に次の目標を狙えるはずだ!
そのはずなのに、上手く方向転換できず、右肩が柱に激突してしまう。
「ぐわ!?」
そしてそのまま、地面に向けてダイブしてしまった。
「へぶっ!? いてー!」
今日も土の味がした。まぁ、でも、実験には失敗がつきものだ。こんなこと気にしている場合じゃない。次だ次だ。
「ギャハハ!」
「また変なことしてるー! バーカ!」
せっかく、失敗したというネガティブな気持ちを切り替えようとしていたのに、子どもたちの笑い声が耳に入ってきた。
……気にするな……僕は、大いなる目標のために頑張ってるんだ……気にするな……気にするな……
「空を飛ぶなんてやっぱ無理なんだ!」
「嘘つきー! へんじーん!」
なんてひどい言葉なんだ。僕には大いなる目標が……
そう思っていたのに、目頭が熱くなってきてしまった。
「……うう……」
「あ! ハルが泣くぞ! やーい!」
「なきむしー!」
「うう……なんでそんなこと言うんだよぉ……ひどい……僕だって頑張ってるのにぃ……あぁぁ!!」
目の中に溜まっていた涙が溢れ出してしまった。
いつもの事なのに、ひどいことを言われると我慢ができなくなる。だって、僕はただ本気で空を飛ぼうとしているだけなのに、なんで皆、僕のことを否定するんだ。
「ギャハハ! また泣いたー! 泣き虫ー!」
「だっせー! バーカ!」
子どもたちが笑いながら走り去っていく。これもいつものパターンだった。僕が泣くと満足するらしい。
「ぐすっ……ぐすっ……なんだよ……いつも邪魔ばっかして……いいんだ……最近は3回に1回は上手くいくようになってるから……うん! 頑張ろう!」
自分に言い聞かせ、涙を拭いて、発明品の試作を再開することにした。
これは空を飛ぶために、必要な訓練だから、絶対に諦めるわけにはいかない。僕は、必ず空を飛ぶんだ!
しばらく訓練をして、空が赤くなってきたので、今日の訓練は終わりにする。
「ふぅ……第523回目実験終了。試行回数は60回、成功回数は21回、まぁまぁだな」
記録用紙に今日の実験結果を記入してから、一晩かけて調合した薬の様子を見にいく。鍋の中の薬剤はすっかり冷めていたので、鍋からお玉で掬って試験管に移し、腰のポーチに入れて、実験場へと向かうことにした。
小屋から外に出て、石垣の切れ間から庭を抜け、島の端っこ目掛けて歩いていく。
僕の目の前には、金色の麦畑が広がっていた。夕日に照らされて、そよそよと揺れる稲穂はとても美しく、穏やかで落ち着く風景だと思わせてくれる。畑の脇を通る用水路の水音も、水車小屋が稲を引く音でさえも心を和ませてくれた。
のどかな風景に癒されて歩を進めていると、実験場に到着した。
実験場、とは大げさに言ったが、なんてことはない、さっき飛空艇が行き来していた港にやってきただけだ。なぜなら、僕の実験場は、この壮大な空の上なのだから。
港には、大小20隻くらいの飛空挺がふわふわと空の上に停留していた。港を出入りする飛空艇はないようで、今日のお仕事は終わったようだった。
そのまま、空島の端っこまで行き、手すりに手をかけて島の外を眺める。
目の前には、赤い空に照らされた広大な雲海が広がっていた。見える範囲には、空と雲しかない。今の時期は、トラッタニア以外の空島はないので、一面、雲と空だけの景色が広がっていた。
下を見る。空島の大地に大きなプロペラがいくつも付いているのが確認できた。あのプロペラは、空島を移動させるためのもので、空島同士がぶつからないようにするためと、鳥獣などの災害から逃げるために設置されている。あまり速度が出る訳ではないが、人類が生き延びるために、結界に続いて重要な役目を持っていると言えるだろう。
プロペラの更に下には、もくもくとやわらかそうな雲だけが存在していた。
雲の下には地上なんてものはないらしい。もし、ここから落ちてしまったら、星の核まで一直線に落ちていくのだという。星の核はとんでもなく高温で、そこに到達すると人間なんて一瞬で蒸発するらしい。
「まぁ、核に着く前に鳥獣にやられるか……」
下を見て雲を眺めていると、嫌でもあの時の事を思い出してしまう。僕が空を飛ぶ研究を始めるきっかけになったあの時の事を。
「……よし、気を取り直して、今日の調合結果を試そう。798回目の実験、行きます……」
頭を振って雑念を飛ばし、ポーチから試験管を取り出して蓋を開けた。
キュポっと小気味良いコルクが開く音がして、試験管を傾ける。
薬剤が試験管から落ちていき、雲に触れた。僕はその様子を双眼鏡で観察して、用紙に記録を取る。
「うん……うん……なるほど、なるほどな……」
これも空を飛ぶためには重要な実験の一つだ。
あの出来事から7年。ずっと続けてきた研究がやっと実を結ぶ瞬間が、もうすぐそこまで迫ってきていた。