トレッタニアが鳥獣に襲撃されてから数週間後、町の修復がある程度終わったタイミングで、僕たちはこの空島を後にすることにした。
復興作業を手伝っているとき、『このままトレッタニアに居てくれ』と頼まりたり『用心棒として雇うから』と高額な給料を提示してもらったりもしたが、僕たちの気持ちは変わらない。
僕とカホとゴコロ、それぞれが鳥獣と戦えるとわかり、更には剣聖たちの宝剣があの巨大鳥獣たちの腹の中にあると分かった今、この島で平和に暮らしていくという選択はなくなったのだ。師匠たちの無念を晴らすためにも宝剣を取り戻し、それぞれが成し遂げたいことのために旅に出ようと決めたのだった。
トレッタニアにから出ていく当日、別の空島行きの飛空艇が停留している船着き場の前には、僕たちを見送りに来てくれた大勢の人が集まっていた。
「ハルー、本当にいっちゃうのかー?」
「うん。ごめんね。僕たちにはやるべきことがあるから」
いつも僕をからかっていた子供たちの一人、ヤークが寂しそうな顔を向けてくる。ヤークは僕に助けられてから随分と懐いてくれた。友達の二人も、もう僕をからかうことはなく、剣を教えてくれ、と腕を引いてきたものだ。
結局、その気持ちには応えてあげられないまま、僕は旅立つことになる。師匠がやってくれたようにポンポンとヤークの頭に掌をのせ、「今度はヤークがお母さんを守ってあげて」と優しく撫でてみた。
「うん! 頑張る! 俺、ハルみたいに強くなるんだ!」
「あのときは、本当にこの子のこと、ありがとうございました」
ヤークは目をキラキラさせ、お母さんはペコペコと頭を下げてくれた。なんだか照れくさいし、自分がテンガイ師匠の真似事をしたことが今になって恥ずかしくなり、鼻をかいてから「いえいえ」と照れ笑いを返すことになった。
「ハルたちは、トレッタニアを出て、何しに行くんだー?」
「困ってる人たちを助けに。僕たちは剣聖になるんだ」
「剣聖ってなんだー?」
「剣聖ってのはね〜」
出船時間がくるまで子供達に話してあげることにした。僕の生まれ育った里のこと、そして素晴らしい剣聖たちのことを。
剣聖たちは、世界を救う旅に出るはずだった。だから、僕たちが師匠たちの志を継ぐんだ、と話をしめくくる。
出船時間がやってきたので、船着き場から掛けられた桟橋を渡り飛空艇に乗り込む。旅行客用の大型船なので安定感があった。餞別にと高級なチケットを用意してもらったので、質の良い結界を張れる高級船だと聞いている。まぁ、結界の強度に関しては、今となっては怪しいものであるが。
「俺は、タイドウ師匠の宝剣を取り戻したら、結界協会のやつらをぶっ潰す!」
甲板の上からトレッタニアの人たちに手を振っていたら、ゴコロが物騒な決意表明を述べ出した。
物騒な目標ではある。でも、結界協会の飛空艇が結界のメンテナンスに来てからトレッタニアは襲われたし、僕たちの里でもそうだった。そのあたりの関係性についても、探らなければいけない。
桟橋が上げられ、飛空艇が動き出したところで、ゴコロの決意表明に感化されたのかカホも自分がやりたいことを口ずさんだ。彼女の横顔は、少し名残惜しいにも見える。この六年間、平和に過ごさせてもらった新しい故郷を離れるからだろう。
「私はね、二人と一緒に旅をして、ボタモチ師匠の宝剣を取り戻して、師匠の〈流花の太刀〉を孤児の子たちに教えたい。それでね、いつかは孤児院を作って、お腹を空かせている子供をこの世から無くしたいって思ってる。それがボタモチ師匠の夢だったから……」
「すごく立派で、優しいカホらしい目標だと思う」
「ありがと……」
風に揺られた髪をおさえながら答えてくれたカホは、嬉しそうな反面、少し寂しそうであった。きっと、ボタモチ師匠と一緒にその夢を叶えたかったんだろう。
飛空艇はどんどんと前進し、トレッタニアから離れていく。ヤークたちはまだ手を振ってくれていた。僕も手を振るのをやめない。
これから、僕たちは世界を股にかける旅に出る。巨大鳥獣のいる場所なんて分からないし、結界協会を相手取るには子供三人だけというのは心許ないというのはわかっているつもりだ。
でも、僕たち三人は一緒に旅をする。支え合って、それぞれの夢を応援し合い、そして、世界を救うんだ。この、鳥獣に支配された空の世界を。
こうして僕たちは、強い志を胸に、広大な空の中に旅立った。
♢
空の惑星ウラノスの雲海の下、空島よりも何千メートルも下の世界、そこで、ある男が目を覚ました。
「ふぁぁぁ……よく寝た……あー、今日も変わり映えのしない景色だなぁ……」
男は、竜の背の上で目を覚ましていた。
竜は高速で移動し続ける生き物だ。そんな場所でどうやって眠れるというのだろう。
男は、右手を竜の鱗の間に挟み込み、寝ている間も握力を弱めずに握りしめていた。少しでも力を抜けば、すぐに振りほどかれ、空の藻屑と消えるだろう。しかし、この男は振りほどかれることもなく、当然の如く、そんな神業をやってのけていた。六年間も毎日、毎日。もはやこの男にとってこれは日常であった。
「むしゃ。竜の肉も飽きたな……」
男が竜の鱗をベリベリとはがし、露出した肉に向かって、おもむろにかじりつく。そのまま口を動かし体内に栄養を取り込んでいくが、竜はピクリともしない。竜にしたら、蚊に刺されたようなものなのだろう。それほど巨大な生物なのだ。
筋骨隆々で、髭も髪もボサボサになった黒髪の男が何かに気づいて上を見上げる。今年で40代も後半戦に入ってしまったであろう髭面は、数か月ぶりに口角を上げていた。
立ち上がる。高速移動中の竜の背中は凄まじい暴風地帯であるが、両足の指で鱗が割れるほどの力で掴み込み、余裕の表情で目に映る景色を楽しんでいた。
「……おいおい……本当かよ……ありゃあ、間違いなく空島じゃねーか!? いつの間に高度を上げたっていうんだよ!」
男ははるか上空に大きな影を見つけていた。かすかに岩盤が見える。つまり、空島の底面が見えているということだ。
男は慌てて、気を練り出した。刀がないため剣気は練れないが、自身の中にある力を解放することは出来る。
「おい! この駄竜! あそこに向かいやがれ!」
そして、咆哮と共にダンダンと鱗を殴りつけた。徐々に身体の芯から力を込めていく。すると、かじられたときには無反応だった竜が、身体をよじって上昇を始めた。
「おお? ははは! 六年かけてやっと言うこと聞く気になりやがったか! よっしゃー! やっと人間に会える! ハル坊のやつ! 元気にしてっかな!」
この男の名は、テンガイ。空島から落とされ、六年もの間、竜の背で生き続けた男だ。
男はかつて剣聖と呼ばれ、剣聖の里で最強の座を競っていた。しかしそれも昔のこと、今となっては、彼を超える人間はいないだろう。テンガイは名実ともに最強となったのだ。
竜はグングンと上昇し、雲を突き破り空を駆け抜ける。ついには、大きな空島の側面と飛び越え、上空までやってきた。竜の背の上から見える空島の上面には、建物が立ち並び、人間がいるのが確認できた。
テンガイは、目に涙が溜まりそうになるのを耐えて、ぼそりと愛弟子のことを思い出した。
「ハル坊……おまえの言葉には不思議な力があるよ……おまえはいつだって欲しい時に欲しい言葉をくれたよな? おまえが『師匠は最強だ』『絶対に剣聖になれる』って言ってくれたから、俺は諦めなかったんだ。それに『師匠は死なない』『最強だ』って言ってくれたから、これまで生きてこれた。おまえにつけたハルって名前、やっぱり間違ってなかったよな」
テンガイは、ゆっくりと足の指の力を抜き、最後に竜の鱗をひと撫でした。六年間、命を繋いでくれた友との決別の時だ。
「ハル坊! 今度は、俺がおまえの心を『晴らし』に行くよ! 待ってろ!」
そしてテンガイは、ニヤついた表情を浮かべながら、竜の背から身を投げ出した。