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第22話 『真実の絆』

「今更、お前を売る理由なんてない。別の主人を探したいってんなら考えてやるけどな」

「そ——それは嫌デス! イデアといっしょがいいです!」

「そうかよ」


 なら仕方がない。借りてしまったあの家は独りで住むには少々広いし、こいつを置くくらいでちょうどいいか。

 ……そこで、前方でくすりと漏れるような笑い声が聞こえた。


「——? セレイナさん?」

「あ……す、すみません」

「いや、いいけど。面白いところでもあったかな?」


 声の主は、渡されたワンド・オブ・フォーチュンを手に取って確かめているセレイナさんだった。


「いえ……ただ、イデアさんが、珍しく笑っていたので」

「俺が?」

「はい。あ、それが面白かったのではなくて。その、なんだか新鮮で——微笑ましかった、というか」


 必死に言葉を探して弁解するセレイナさんの姿も、珍しいと言えば珍しいが。

 ふむ。笑っていたのか、俺は。自分で頬を触ってみるが、それでなにかわかることもなかった。


「まあ……セレイナさんが言うならそうなんだろう。セレイナさんが間違ったことを言っているところは見たことがない」

「そんな、もったいないお言葉です。あ、こちらの遺物ギフトはわたくしにも適性がありましたので、査定の方はすぐにお出しできますよ」

「ありがとう。ならすぐに……ああいや、金はさっきの氷の遺物ギフトのぶんと併せて受け取るよ。一応、等級だけ聞いておこうかな」

「はい、こちらの遺物ギフト——洗脳能力を持つワンド・オブ・フォーチュンですが、逸出級アンコモンになります」

「おっと。そのくらいか」


 希少級レアはあると見立てていたのだが。やはり俺の目利きなどアテにはならないな。

 俺の意外そうな反応を見て、セレインさんはわずかに困ったように眉を寄せる。

 しまった。余計な気苦労をさせたな。


「査定に文句を付ける気はないから安心してくれ。説明は不要だ、セレイナさんのことは信用してる」

「イデアさん……ありがとうございます。やっぱり命をかけて迷宮で手に入れた遺物ギフトですから、査定に疑いを持つハンターさんも多くて」


 商会のエージェントというのも苦労の絶えない仕事のようだ。

 俺は遺物ギフトハンターなので、せっかく危険を冒して得た遺物ギフトの等級が低くて落ち込む側の気持ちも理解はできる。だが、この職業は遺物ギフトを買い取ってくれるプロメテウス商会ありきなのだから、そこに疑いを持ち込んでは立ち行かない。


「ほかのエージェントのことは知らないけど、少なくともセレイナさんが仕事に真剣なのは伝わってるよ。それに今の杖は……洗脳能力って聞くと強そうだけど、大方その効力はそう強力でもない。そんなところじゃないか」

「おわかりなるのですね、おっしゃる通りです。もしやイデアさんにも適性が?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど……」


——あなたへの洗脳は効きすぎた。

 さっきリディアが言った通り、俺が特別深く洗脳にかかっていただけで、本来はあそこまで強く認識を歪ませられるものではないのだろう。


「……まあいいや。それで、本題というか。実は遺物ギフトを売るほかに、セレイナさんに言っておきたいことがあるんだけど」

「え——は、はいっ? えっ?」


 俺がそう切り出すとセレイナさんはなぜかあたふたとして、手に持った杖をカウンターの裏へと取り落とした。

 そしてそれを拾おうと屈み、立ち上がる時にカウンターの縁に頭をぶつけて「いてっ」と声を出す。

 珍しいと思ってたけど、もしかしてこの人って仕事外だとこういう愉快な感じなのか……?


「すっ、すみませんすみません。お恥ずかしいところを」

「なんだか見た目に寄らずドジですね、この人」

「言ってやるなパンデクテス」

「ぐぅっ、職務中はなるべく隠すようにしていたのですが……」


 ぐぅっ、とか言うんだ。セレイナさん。

 五年もの付き合いですっかり知った気になっていたが、しょせんは仕事上の関係。素顔については知らないことばかりのようだった。


「要件は、さっきここに来た時に言ったことなんだが。あー……舌の根の乾かぬうちにってやつだから、ちょっと言いづらいんだけど。取り消したくてさ、さっきのこと」

「さっき? あ……もしかして、商主しょうしゅさまの件でしょうか」

「うん。あれはもういいって言っちゃったけどさ、実はやっぱりまたお願いしたくて。俺の都合で振り回してしまって申し訳ない、けど頼れるのはセレイナさんだけなんだ。頼む」


 俺はカウンターに佇むセレイナさんに向け、腰を折るようにして頭を下げた。

 他人に頭を下げたのは、そういえば故郷を失ってから初めてだったかもしれない。


「……顔を上げてください。イデアさん」


 言われた通りにして、俺はセレイナさんを見つめる。普段は職務の仮面に覆われたその表情が、どこか見守るように優しく和らいでいた。


「商主さまへの推薦の件、確かに承りました」

「いいのか? ……ありがとう、無理を言っているのに」

「いいんです。むしろあんまり他人行儀にされると、傷ついてしまいますよ。だって——」


 ああ、なんだ。単なるビジネスの間柄でしかないと思っていたのは、本当に俺だけだったのか。

 半年もの間、妹に欺かれ続けるわけだ。他人とは、そしてその関係とは、やはりまったくわからない。


「——この五年、ここからずっとイデアさんのことを見てきましたから。うれしいです、イデアさんが以前の顔つきに戻ってくれて」


 だけど、言祝ぐセレイナさんの笑顔を見て、俺は——

 ずっと孤独に生きてきたつもりでも、そこにつながりはあったのだと知って、どこか救われた気持ちになんてなってしまうのだった。


 *


 翌朝。身支度を終え、家を出る。この五年ですっかり慣れきった、迷宮への道を行く。


「イデア、見ていてください! 今日こそはワタシが八面六臂の活躍でお役に立ってみせます!」

「朝から元気だな……」


 隣にはパンデクテスがいて、なにが楽しいのかはしゃいでいる。相変わらず緊張感のないやつだ。


「にしてもお前変わったよな。最初の頃はこう、表情に乏しかったし」


 喋り方もなんていうか、流暢になった気がする。

 こう……具体的にはカナ表記が減った、みたいな。


「そうですか? 前の方がよかったですか?」

「いや。今の方がいいよ」


 素直にそう言うと、パンデクテスはうれしそうにはにかんだ。

 少し不思議な話ではあるのだ。遺物ギフトは不壊、一切の変化を拒む存在。その絶対の性質、ルールは精神にまで及んでいるのではないかと俺は考えていたことがあった。

 リディアの洗脳光線が効かなかったのは、まさにその表れであるように思える。

 しかし同時に、パンデクテスは以前から変わった。より人らしくなったと言うべきか。


「外的な影響は受けずとも、内的な要因で変わることはある……とかか?」

「——? なんの話デスか? そうだ、変わったというのなら、イデアも変わったように思いますよ」

「俺? そりゃあ、お前と出会った時はリディアのやつに洗脳されてたんだから、それが解けた今は変わってて当然……」


 ……そういう話じゃないのか。

 あの時、俺が笑っていたと、セレイナさんは言った。

 洗脳が解けて、俺は半年前の自分に戻ったのだと思った。

 だが今、俺はこうして、半年前には独りで歩んでいた道をふたりで歩いている。おそらくは明日も、明後日も。


「そうだな。たぶんお前の言う通りだ。誰かと迷宮に入るなんて、以前の俺じゃ考えられなかった」

「はい。……あ、着きましたね。では今日も気を引き締めていきましょう」

「ああ」


 変わったと言えば変わったのだろう。

 他人のことなど、わかった気になるものではない。リディアの一件で俺が得た教訓とはそんなものだった。

 けれど。それでもなお。


「行こう、パンデクテス。遺物ギフト発見レーダーの準備を頼む」

「だからそんな能力はありませんよ!?」


 重く頭上を閉ざす天蓋の下。ふたり並んで、ほの暗い迷宮の入口へ足を踏み入れる。

 空も星もない地の底にありながら——

 パンデクテスと手をつないだあの瞬間、俺たちの心は通じ合ったのだと。

 そう、信じたいと思った。


前編 『トゥルーレス・アディクション』 完

後編 『ハートレス・ディセプション』 へ続く

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