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第2話 帰る場所のない二人は出会う

 足が縺れて何度も転びそうになった。

 それでも俺は足を止めなかった。

 足を止めたら追手が来るとか、そういうことを考えた訳じゃない。

 ただ、一度足を止めたらもう進めない、そんな気がどうしようもなくしたからだ。

「はっ、はぁ……はっ……」

 どれだけ走ったのか、もう分からない。

 それだけ走った頃ついに俺は体力の限界でその場に膝をつく。

 ちょうど森のなかに入ったところだから追手がもし来ても樹が隠れ蓑になってくれるだろう。

「っ……」

 地面を触った手のひらでそのまま自分の目尻を強く拭う。

 泣くな。

 俺には泣く権利はない。

 昔も、今も。

「これから、どうしたら……」

 俺は覚えている限りではこの十六年間村から出たことはない。

 ただ父親の農業を手伝って生きてきただけだ、何か出来るわけでも手に職がついているわけでもない。

 ただ、生きろと言われたそれだけで、この世界で生きていけるのか、暗い森のなかに独りで居ると嫌なことばかりが頭を巡る。

 俺を知っているものは誰一人もいない世界で、この見た目から年を取ることすらせずにただ独りで永遠の時を過ごすなんてあまりにも荒唐無稽過ぎて笑えてきてしまうくらいだ。

 なぜなら俺は知っているから。

 独りは、独りで生きていくということがどれだけ寂しい、つらいことなのかということを。

「……とりあえず、中身見とかないと」

 そこまで考えてから俺は思い切り頭を振るう。

 さっき言われたばかりじゃないか。

 どこかで生きろと。

 強く生きろと。

 打ちひしがれて、自暴自棄になることはもう赦されない。

 俺は麻袋に手をかけると開いて中身を確認する。

 中には日持ちする食料、金、それからこの世界の地図が入っていた。

 後はマッチとランプと武器になりそうな短剣がひとつ。

 少ししか時間はなかったのに出来るだけ、最低限必要な物を詰めてくれたのだろう。

 それを思うとまた、目尻が熱くなるけど泣くことはしない。

 前世で今世分も散々泣いたのだからもう流す涙は残っていない。

「…………けて!」

 とりあえず少しだけ腹を満たしてからまた移動を始めよう、そう思って食料に手をつけようとしたその時だった。

「……今のは」

 どこかで子供の声がした。

 それも焦ったような、助けをも止めるようなそういう声。

 慌てて俺は辺りを見渡すけど何も目には入らない。

 まだ、ここより少しだけ遠い場所から響いてきた声なのだろうか。

 一瞬追手かとも思ったけどそれにしては声が幼すぎるから多分違う。

 かといってこの時間にこんな場所に子供なんているだろうか。

「……れか! たす……て!」

 そんなことを逡巡している間にもまた、その声が響く。

「……行かないと」

 俺は手に持っていた食料を袋に放り込むとすぐに立ち上がった。

 今ので大体の方角は把握できた。

 別に、この時特段何か考えがあったわけじゃない。

 そもそも自分が助けられたばかりの危うい立場なのにさらに問題ごとに足を突っ込む気なのかとか、もし本当に子供だったとしてその先どうするのかとか、そんなことは頭の片隅にはちらついても、深く考えることはなかった。

 ただ、もしこの森で誰か、それこそ子供が助けを求めているのなら行かないといけない。

 前世の記憶がそう、強く俺に語りかけてきた、それだけのことだ。


「こっちだったと思うけど……」

 俺は散々走って疲れて棒になった足に発破をかけてまた走る。

 早く見つけないと何か起きてからでは遅い。

「くそ! 暴れるなガキが!」

 瞬間、さっきとは違う野太い男の声が森に響く。

「……」

 見つけた。

 俺は樹の影に隠れてその場の様子を伺う。

「離……してください! 嫌っ!」

 目に入ったのは大柄な男と男に無理やり腕を掴まれ暴れる少女。

 確実に、何かの犯罪現場だ。

 それを裏付けるように鼻を刺すむせ返るようような鉄臭い匂いが辺りをおおっている。

 昔、前世でよく嗅いだ臭いだ。

「大人しくついてこい! でないと周りのお仲間みたいになるぞ!」

「っ……」

「おい、何してるんだ」

 男が子供を萎縮させるように怒鳴ったところで俺は反射的に樹の影から姿を表して声をかけていた。

 周りのお仲間、その言葉通り地面には二人、遺体が転がされている。

 むせ返るような血の臭いはこのせいだろう。

「あ゛? チッ……こんな時間にガキがなんで森のなかなんているんだよ、こっちは仕事中だ、殴られたくなかったらとっとと消えろ」

 男はさも面倒くさいという感じに舌打ちをすると空いているほうの手を俺を追い払うように振るう。

 俺が身体と同じ精神年齢だったらこんな大男に殴るなんて言われればそれこそ足を縺れさせながら逃げただろう。

 だけど俺からすればそれは逆効果でしかなかった。

 前世でそんな輩の相手は嫌というほどしてきたからだ。

「……人攫いか?」

 俺は男の言葉を無視して聞き返す。

「どこをどう見たら……」

「痛っ……!」

「これが人間に見えんだよ、亜種族だよ亜種族、でけぇ耳と尻尾、ただのキツネの亜人だ」

 男は俺の態度が気に入らないのか憤った様子で掴んでいた少女の腕を引っ張って無理やり持ち上げる。

 月夜に晒された少女は、おそらく二桁もいかない年齢だろうというのは簡単に見て取れた。

 そして、頭から生えた耳と大きな尻尾、透き通るような白髪に紅い瞳。

 人間離れしたような美しい少女。

 初めて亜種族をこの目で見るが亜人だと言われても簡単に納得出来る。

 この俺が新しく生きる世界には人間以外の種族も沢山生きている。

「……亜人だとして、その子に何をしている? その子が何かしたのか?」

「はぁ!? お前こそなんなんだよ、亜人は奴隷としてよく売れるから狩ってるんだ、人間よりも身体が丈夫だから適当に扱ってもそう簡単には死なねぇからな、キツネのガキなんて高値で売れる」

 俺の問いかけにさも頭のおかしいことを言ってるのはこちらだとでも言いたげに男は嫌な笑いかたをしながら掴んでいた少女の腕を離した。

 地面に打ち付けられた少女は小さく悲鳴をあげる。

 亜種族は沢山いるがそのなかでも獣人種は数が多く、そして一番差別対象にもなっている存在だ。

 いつだってそうだ、人間はいつだって、自分達と似て非なる存在にたいしては非情になれる生き物だから、奴隷とか、そういう扱いを簡単にしてしまう。

 竜人族とか、エルフ族とか、あからさまに自分達と違うものには払える敬意を獣人族とか、飛翼族とか、自分達に似た存在には払えない。

「分かったらとっとと消えな」

 この男もそう。

 亜人の命を軽んじて、罪のない人々を、ただ、食い物にしている。

「……亜人種の不当な奴隷狩りは国が禁止しているだろ」

 もちろん国がそれにたいして動いていないわけではない。

 人間の不当な奴隷狩りが禁止されているように亜人種の奴隷狩りも禁止されている。

 だけど

「だから何だって言うんだよ、亜人なんていないほうがいい種族だ、それをオレたちがこうして価値のあるものにしてやってる、礼を言われこそすれどそんなこと言われる筋合いはねぇなぁ、お前も痛い目あいたくなかったらそろそろ消えろよ、近くの町に駆け込んで衛兵呼ぼうとしてもどうせ無駄だぜー、亜人なんかの為にお上が動くかよ」

 男の言うことは一理ある。

 いないほうがいい種族だとか、礼を言われこそすれどとか、そういうのは全て間違っていると断言できる。

 それでも

「……そう、だろうな、一人や二人の為に国は動いたりしない、それは……俺が一番よく分かってるよ」

 お上や国は人間だろうとたかが一人や二人の為に動かないのに差別されている亜人種の為に動いてくれる筈がない。

 それだけは正しい。 

 だから

「その子から手を引くか、痛い目みて追っ払われるか、どっちがいいか選んでいいぞ」

 俺は短剣を男に向かって構える。

 国が助けないなら、不当に摘まれそうな命があるのなら、俺が、助けないといけないんだ。

「は? お前、もしかしてそんなナイフみたいな剣でオレを追っ払えると思ってるのか? だとしたらとんだお笑い草だなぁ!」

「……御託はいいんだよ、それとも何か? こんな短剣一本しか持ってないようなクソガキに怖じ気づいてんのか?」

 余裕綽々な様子の男に俺はわざとけしかけるような声をかける。

「……言うじゃねぇか、分かった、お望み通り殺してやるよ!!」

 男は言うが早いか早々に俺に殴りかかってくる。

 そう、自分が圧倒的優位に立っていると思っている相手は存外操りやすくて助かる。

 俺は構えていた短剣を下ろすとそのまま男の視線の少し外から男の身体の内側に入り込む。

 そして、掴みかかろうとしていた男の腕をこちらから掴むと自分の重心を思い切り下に落とした。

「……は? ぐはっ!!」

 一瞬俺を見失った男をそのまま自分の勢いの飲まれて地面に倒れこむ。

 今のは合気道だ。

 合気道のなかでも護身術としてよく使われる隈落としという技。

 元々合気道というのは護身術としてもよく用いられる技法。

 昔ほどの体躯がなくても覚えてさえいれば出来るのではないかとやってみたが頭がちゃんと覚えていてくれたのか身体は自然と動いてくれた。

 俺はそのまま倒れた男に問答無用で短剣を男の首筋に突きつける。

「これで、短剣をお前の首に押し当てたらどうなるか、流石に分かるよな? もう一度聞く、生きるか死ぬか、どっちを選ぶ」

 それからもう一度、選択肢を与える。

「っ……このっ、何してる!! 早くお前も動けよ!!」

「っ……!!」

 だけど、男の怒鳴り声ですぐに近くにまだ仲間がいることを悟ったがそれは既に遅かった。

 気付けば無数の弓矢が俺の身体のいたるところに突き刺さっていて

「たくー、そんなガキに簡単にのされないでよ」

「仲間が、いたのか……」

 樹の影から出てきた若い男を睨み付ける。

 穴だらけにされているのに意外と俺自身は落ち着いていた。

 ただ、音もなく一瞬でこれだけの弓矢をどうやって飛ばしたのか、それだけがまだ理解出来ていない。

「誰も一人だなんて言ってねぇだろ、さて、散々こけにしてくれたてめぇをどうにかしても良いところだが、まぁほっとけば死ぬだろ、密漁と違って殺人は足がつくと面倒だからな、おい、そのガキ連れてとっととずらかるぞ」

 男は俺に早々に見限りをつけると怯える少女にまた手を伸ばそうとする。

 瞬間、頭のなかでフラッシュバックしたのは別の光景だった。

 一人の、よく知った女の子が泣いている。

 早く、手を差し伸べないと、頭を撫でて大丈夫だよって……声をかけないと。

 カチリ

 頭のなかでそんな音が聞こえた。

 それと同時に目の前に現れた0の数字が1に変わる。

 だけど今はそれが何なのかとか、考えている場合じゃない。

「分かってるって――」

「ははっ、そうか、こういう感じになるんだな……」

 この後の段取りを話し合う男達を無視して俺は立ち上がると身体に刺さった無数の弓矢を引き抜いて、地面に捨てていく。

「て、てめぇ……なんで動いて……」

「痛いし、頭はガンガンするけど……思ってたよりも悪い気分じゃないなこれ」

 初めて焦った顔をした男は俺の有り様を見て後退りする。

 矢じりを抜いた先から抉れた身体はぼこぼこと肉が蠢きあってその穴をただ埋めていく。

「……身体の傷が治って……化物かこいつは」

「いや、違うね、スキルだよきっと、アンデットってやつだ、この時代にまだこんなスキル持ってるやつが野放しにされてるなんて思いもしなかったけど」

 でかいほうはあからさまに焦っているのにもう一人の男は特段驚いた様子も見せずにただ俺の状態を観察しているようだった。

「アンデットなんて、ただの空想の産物じゃねーのかよ!?」

 男の言葉にでかいほうはさらに顔を青くする。

 ああやっぱり、それだけ異質な力なのだ、これは。

「……分が悪いな、オレは今回は降りる、君も殺される前にとっとと降りたほうが身のためだよ、一匹の獣人族捕まえる為に死ぬのはわりに合わない、それじゃ」

 男は早々に結論を出してそれだけ言うと森のなかへ消えていく。

「あ、おい! くそ、あいつ置いてきやがった……覚えてやがれ!!」

 そしてそれに続くようにもう一人も森のなかへ消える。 

「……言ったか」

 俺はそれをしっかり確認してからくるりと少女のほうを向く。

「っ……こ、殺さないでっ……」

「殺したりなんかしないよ、怪我はない?」

 瞬間びくりと反応した少女をこれ以上怖がらせないようにと短剣を手早く袋にしまってしまう。

 それからしゃがんで視線を合わせて、出来るだけ優しくそう問いかける。

「……」

「膝、擦りむいてるな、手当てしたいけど……」

 少女の視線の先を追えば膝から血が滲んでいて、おそらくさっき落とされたときだろう。

「行こう、早く手当てしないと悪い病気になるかもしれない」

 俺は一瞬倒れている二人に視線を向けたがもう既に遅いのは明白。

 俺は明るく努めてそう言いながら手を差し出す。

「でもっ……ママとお姉ちゃんが……」

 だけど少女の意識は周りの二人に割かれていてそれどころの騒ぎではないといったように慌て、涙は未だ止まらない。

 そうか、この二人は家族だったのか。

 じゃあ今、この子もまた、失ったのか。

 かけがえのない存在を。

「……俺は、オブラートに包むのが得意じゃないから本当のことをそのまま伝えることしか出来ない、もう二人とも死んでる」

「っ……」

 俺は現状をただ淡々と、目を見てそれだけ伝える。

 酷な話なのかもしれない。

 もっと別の理由をつけてあげたほうがいいのかもしれない。

 それでも、いずれ向き合わなければいけないとこならば、今、知っておいたほうがいい。

「怪我の手当てが終わったら、お墓を作りに来よう、まずは生きてる君の手当てが最優先だ、お父さんとかは、いないのか?」

 それから俺は優しく、諭すように言い聞かせてから父親の所在を問いかける。

「……お母さんとお姉ちゃんの三人で繰らしてた」

「……そっか」

 父親のいない家系、もし父親がいれば何か、変わったのかもしれない。

 そう思うと胸が張り裂けそうだった。

 あの時俺がいれば、また、何かが変わったのかもしれないのに。

「……歩けそう?」

 俺はすぐにその今さら必要ない……意味のない思考を頭の片隅に押しやって少女にもう一度声をかける。

「うん……っ……」

 うなずきながら少女は無理して立ち上がろうとするがやはり傷が痛むのかよろめいてしまう。

「無理はしないほうがいい、俺がおぶっていくよ」

「っ……」

 俺がそう言いながら手を伸ばすと少女はびくりと肩を震わせて怯えた様子を見せる。

「やっぱり、怖いかな、俺は君に危害を加えるつもりはないし、血塗れで化物みたいに見えるかもしれないけど、取って食ったりはしない、だから手当てだけでもさせて欲しい」

 当たり前のことだ。

 こんな血だらけで、死ぬほどの致命傷を受けたのに傷は回復して平然と立っている。

 端から見ればただの化物。

 怖くて当たり前だし、怖がられても当たり前のこと。

「……お兄さんは、怖くない、よ、化物なのは、わたしも同じだから」

 だけど、この後どう説得しようか悩む間もなく少女はそう言って震える手で俺の服の裾を掴んだ。

「そっか……じゃあ行くよ、地図によるとこの少し先に湖がある、その後のことは……今出来ることを全てしてから考えよう」

 自分を化物だと揶揄する少女を俺は抱えあげるとすぐに湖を目指して歩き出した。

 この子に誰かの残穢を重ねないように、頭のなかで必死に否定しながら。

 この子は、あの子じゃない。

 あの子を助けられなかったから助けたわけじゃない。

 決して、変わりなんかではない。


 この物語は俺達が出会ったことから始まる物語。

 帰る場所をなくした俺と少女が世界を巻き込みながら新しい帰る場所を探す。

 ただそれだけの、端から見たらあまりにもくだらない、滑稽な、そんな物語だ。

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