目次
ブックマーク
応援する
5
コメント
シェア
通報
君の未来予報
君の未来予報
菊池まりな
ミステリーサスペンス
2025年08月04日
公開日
4,795字
完結済
高校生・結城カナタのスマホに、見覚えのない謎のアプリ「ミライノート」が現れる。それは10分後の未来を予知する不思議なアプリだった。予知を活用して、カナタは気になる少女・早瀬ミオとの距離を縮めていく。しかしある日、「自分が殺される」という未来が表示される。犯人はなんとミオだった。彼女は実験用アプリの監視者で、任務としてカナタを排除しようとしていた――だが彼女の心は、すでに本当の感情に揺れていた。

君の未来予報

五月の朝、結城ゆうきカナタは電車の中でいつものようにスマホをいじっていた。SNSをチェックし、ゲームアプリを開こうとした時、画面が突然暗転した。


「え?」


バッテリーは十分にある。故障だろうか。そんな時、見覚えのないアプリが画面に浮かび上がった。


「ミライノート」


薄い青色の背景に、白い文字で書かれたアプリ名。カナタは困惑した。こんなアプリ、ダウンロードした覚えがない。インストール履歴を確認しようとしたが、アプリが勝手に起動してしまう。


まるで日記のように、文字が流れ始めた。


『午前8時37分。カナタは教室の窓際で、早瀬ミオが落とした数学の教科書を拾うことになる』


「は?」


時計を見ると、8時27分。10分後の予測だった。カナタは眉をひそめる。早瀬ミオ?確か隣のクラスの女子だったような。でも、なぜ彼女の名前がここに?


電車が駅に滑り込む。カナタは半信半疑のまま、スマホをポケットにしまった。いたずらアプリの類だろう。きっと誰かが面白半分で作った占いアプリか何かだ。


だが8時37分ちょうど、窓際で早瀬ミオの教科書が床に落ちた。


カナタは席から身を乗り出し、反射的に立ち上がる。教科書を拾い上げると、ミオは驚いたような顔で振り返った。長い黒髪が肩で揺れ、大きな瞳がカナタを見つめる。


「ありがとう、結城くん」


その笑顔に、カナタの心臓が一拍飛んだ。早瀬ミオ。隣のクラスで目立つ存在だった彼女が、自分の名前を知ってくれている。


「あ、いえ……どういたしまして」


カナタは慌てて教科書を渡した。ミオの指先が一瞬触れ、カナタは頬が熱くなるのを感じた。


『午前8時47分。カナタは早瀬ミオに話しかけたくて仕方がなくなるが、勇気が出ずに諦める』


スマホを見ると、また文字が現れていた。確かにその通りだ。ミオに話しかけたい。でも、なんて声をかければいいのか分からない。


「結城くん」


ミオが振り返った。カナタの心臓が跳ね上がる。


「このアプリ知ってる?最近流行ってるらしいんだけど」


ミオがスマホを見せてくれる。画面には見慣れた占いアプリが映っている。


「あ、えーっと……僕も最近、変なアプリが勝手に入ってて」


初めて会話らしい会話ができた。ミライノートの予測は外れたことになる。でも、この偶然は嬉しかった。


昼休み、カナタは親友の田中と屋上で弁当を食べながら、アプリのことを話した。


「10分後が見えるって?それってもしかして……」田中は箸を止めて、興味深そうに身を乗り出す。「本当に当たるの?」


「さっきも当たったんだ。でも全部じゃない。時々外れる」


「面白そうじゃん。試しに何か見てみろよ」


カナタがスマホを確認すると、新しい文字が浮かんでいた。


『午後12時32分。田中が階段で転んで怪我をする。足首を捻挫し、保健室に運ばれることになる』


時刻は12時22分。カナタは血の気が引いた。これまでは小さな出来事ばかりだったのに。


「田中、今日は屋上から下りるのやめようか」


「え?なんで?まだ時間あるじゃん」


「なんとなく……危険な予感がして」


カナタの真剣な表情を見て、田中は困惑した。でも、親友の頼みを断ることはできない。


「わかった。でも理由を教えてくれよ」


「後で説明する」


結局、二人はエレベーターで下りることになった。1階に降りる途中、清掃員のおばさんがエレベーターに乗り込んできた。


「あら、君たち。階段使わなくて正解よ。さっき誰かが水をこぼしちゃって、3階の踊り場がびちょびちょなの。滑って怪我する人が出るところだったわ」


田中の顔が青くなった。


「カナタ……お前、まさか……」


アプリは本物だった。


それから一週間、カナタはミライノートに夢中になった。朝のホームルームで席替えがあることを事前に知り、希望の席に座れるよう準備をしたり、小テストの問題が配られる前に復習ページを開いておいたり。10分という短い時間だからこそ、ちょうどいい予知能力だった。


そして何より、ミオとの距離が縮まった。


『午後3時15分。早瀬ミオが図書館でひとり勉強している。声をかけるなら今がチャンス』


『午前10時23分。ミオが数学で分からない問題があると呟く。教えてもらえないかと相談される』


アプリの情報を使って、カナタは自然にミオとの時間を増やしていった。一緒に図書館で勉強したり、放課後に軽音部の練習を見に行ったり。


「結城くん、最近よく会うね」


ミオが微笑みながら言った時、カナタは少し後ろめたさを感じた。でも、彼女と過ごす時間が、カナタにとって一番幸せな瞬間だった。


ミオは思っていた以上に面白い子だった。クラスでは控えめに見えるが、実は映画が大好きで、特にSF映画について語る時の彼女は目を輝かせていた。


「未来が見えたら、どうする?」


ある日の帰り道、ミオが唐突に聞いた。


「え?」


「もし10分後の未来が分かったら、どう使う?」


カナタは動揺した。まさか、ミライノートのことがバレているのだろうか。


「うーん……悪いことを避けるとか?」


「でも、未来を変えちゃったら、それが本当に良いことなのかな」


ミオの表情が一瞬曇った。でもすぐに笑顔に戻る。


「ごめん、変なこと聞いちゃって」


そんなある日の放課後。


『午後4時15分。カナタは誰かに殺される。加害者:不明』


教室で一人、数学の宿題をしていたカナタは凍りついた。文字を何度も読み返す。「殺される」。その文字が現実感を伴って迫ってくる。


時刻は4時5分。あと10分で、自分が死ぬ?


心臓が激しく鼓動する。手が震え、スマホを握る指に力が入らない。周りを見回すが、教室にはもう誰もいない。廊下からは吹奏楽部の練習音が聞こえてくる。普通の、いつもの放課後の風景。


『加害者の詳細情報は表示できません』


追加の文字が現れた。なぜ?これまでは何でも詳しく教えてくれたのに。なぜこんな重要な時に。


カナタは急いで考えた。誰が自分を殺そうとしているのか。いじめっ子?でも特に恨まれるようなことはしていない。通り魔?この田舎町で?


4時8分。


廊下に足音が響く。ゆっくりと、確実に、こちらに向かってくる足音。


カナタは机の下に身を隠した。息を殺し、じっと待つ。足音が近づく。教室の前で止まった。


ドアノブがゆっくりと回る。


4時10分。


「結城くん?まだいるの?」


ミオの声だった。カナタはほっと息を吐く。


「早瀬さん……」


机の下から這い出すと、ミオが入り口に立っていた。いつもの制服姿だが、なぜか表情が読めない。


「どうして隠れてたの?」


「いや、その……なんでもない」


4時12分。あと3分。


でも相手がミオなら大丈夫だ。彼女が自分を殺すはずがない。きっとアプリの誤作動だろう。


「早瀬さん、一緒に帰らない?」


カナタは安堵と共に声をかけた。でも、ミオは首を振る。


「その前に、聞きたいことがあるの」


ミオが一歩教室に入り、ドアを閉めた。教室の電気が消える。非常灯だけが薄暗く室内を照らしている。


4時13分。


「結城くん」


ミオの声が、いつもと違って聞こえる。冷たく、感情がない。機械的で。


「君、ミライノートのことを他の人に話した?」


カナタの血が凍った。なぜミオがアプリの名前を知っている?


「な、なんのこと……?」


「嘘つかないで。田中くんには話したでしょう?」


ミオが一歩近づく。暗闇の中で、彼女の手に何かが光った。


「早瀬さん、どうして……」


「ミライノートは特別なアプリなの。選ばれた人だけが使える。でも、秘密を守れない人は……」


4時14分。


カナタは後ずさりした。窓際まで追い詰められる。ミオの表情が見えないが、声だけで彼女の本気度が伝わってくる。


「待って!僕は誰にも──」


その瞬間、ミオのスマホが光った。画面には見覚えのある青い背景。ミライノート。


そこに表示された文字を、カナタは震え声で読み上げた。


『午後4時15分。彼は真実に気づき、すべてが終わる』


4時15分ちょうど。


ミオが微笑んだ。いつもの優しい笑顔ではない。どこか悲しそうで、諦めたような、そして申し訳なさそうな表情。


「結城くん、ごめんね」


彼女の手が動く。


しかし次の瞬間、教室のドアが勢いよく開いた。


「カナタァー!」


田中が飛び込んできて、ミオに体当たりした。ミオは壁に激突し、手に持っていた何かを落とした。床に転がったのは、鋭く研いだシャープペンシルの芯だった。


「田中……なんで……」


「お前のスマホ、さっき見せてもらっただろ?『4時15分に殺される』って表示が出てたから、急いで来たんだ」


カナタは震える手でスマホを確認した。確かに、10分前の画面には田中の行動が記されている。


『午後4時5分。田中がカナタのスマホの異常に気づき、急いで教室に向かう。そして早瀬ミオを制圧し、カナタを救う』


「でも、どうして早瀬さんが……」


壁にもたれて座り込んだミオは、項垂れたまま答えない。代わりに、彼女のスマホが答えを示していた。


床に落ちたスマホの画面には、ミライノートが表示されている。そこには信じられない文字が浮かんでいた。


『このアプリの使用者が複数になった場合、一方を排除する必要があります。排除方法:物理的消去。対象:結城カナタ』


そして最後に、小さく記されていた。


『管理者:早瀬ミオ。任務:実験体の監視および不要時の処分』


カナタは愕然とした。ミオとの出会いも、楽しかった会話も、一緒に過ごした時間も、すべて監視のためだったのか。


「僕は……実験体?」


ミオがゆっくりと顔を上げた。その瞳には涙が浮かんでいる。


「最初は……そのつもりだった」


か細い声で、ミオが呟いた。


「ミライノートは開発段階のアプリ。人間の行動予測の精度を測るための実験だった。私は監視役として、あなたに近づいた」


カナタの胸が痛んだ。すべてが嘘だったのか。


「でも……」


ミオが続ける。


「一緒にいるうちに、本当に楽しくなった。あなたと話している時、実験のことを忘れてしまうほど。それが……間違いだった」


スマホ画面の一番下に、震える文字で書かれた一行が見えた。


『備考:実験体への感情移入を確認。任務続行困難につき、強制執行モードを発動』


ミオは自分の意志で殺そうとしたのではない。アプリに強制されていたのだ。


翌日、ミオは転校していった。


カナタが登校すると、彼女の席は空っぽで、担任が淡々と転校の事実を告げただけだった。まるで早瀬ミオという少女が最初からいなかったかのように。


カナタのスマホからミライノートは消えていた。でも、代わりに一通のメッセージが残されていた。


『結城くん、本当にごめんなさい。あなたと過ごした時間は、私にとって初めての本当の時間でした。実験なんて忘れて、ただの高校生として笑っていられた。ありがとう。そして、さようなら』


カナタは教室の窓から空を見上げた。


時々思い出す。あの時のミオの悲しそうな表情を。彼女の涙の意味を。


彼女もまた、誰かに操られていた被害者だったのかもしれない。大きな組織の歯車として、感情を持ってはいけない役割を与えられていた。


それから数日後、田中がカナタに言った。


「なあ、あの後ニュース見たか?大手IT企業で不正実験の疑いって」


「え?」


「スマホアプリを使った無断人体実験。内部告発があったらしい。関係者は全員逮捕されたって」


カナタは複雑な気持ちになった。ミオが内部告発をしたのだろうか。自分を守るために。


そして今も、世界のどこかで、新しい「実験体」が10分後の未来を見つめているのかもしれない。


未来を知ることが、本当に幸せなことなのか。


カナタは今でも分からないままだ。


でも一つだけ確かなことがある。あの短い時間、ミオと過ごした時間は、実験だったかもしれないけれど、彼女の気持ちは本物だった。


そしてカナタの気持ちも。


夕日が教室を橙色に染める中、カナタは静かに呟いた。


「早瀬さん、元気でいてくれ」


その時、窓の外で誰かが振り返ったような気がした。でも振り返って見ても、そこには誰もいなかった。


ただ風が、桜の花びらを舞い上げているだけだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?