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第7話

「そろそろいい時間になったし向かおうか」


「特別な場所ってどこなんですか?」


「それは着いてからのお楽しみ」


 そういって口に指を当てて秘密のポーズを取った。藤堂さんのその仕草さえ色っぽいと感じてしまう。


 私は一体どこに連れて行かれるんだろう? 少しのワクワクと高級なドレスに着替えたせいもあって緊張もしていて。


 藤堂さんのいう特別な場所が私のイメージと一致するわけないもんね。私が想像するよりもきっと凄い場所なんだろうな。


◇  ◇  ◇


「着いたよ」


「ここって……」


 目の前には大きなクルーズ船。生まれてこの方乗ったことがないくらいの大きさだ。


「ディナークルーズの予約が取れたからここにしたんだ。一時間くらい近くをまわってくれるみたいだよ」


「……」


「千夏、どうしたの?」


「いえ。たしかに私にとっては初めての体験で特別な場所だなって」


「驚いた? ならサプライズは大成功だね」


「そうですね。だからドレスコードが必要だったんですね」


「必須ってわけじゃないよ。俺が千夏のドレス姿が見たかっただけ」


「っ」


 そのためだけにわざわざ高いドレスを買ってくれるなんて。藤堂さんはどれだけ私のことが好きなんだろう。


「景色を見ながら食事を楽しむのは千夏が喜ぶと思ってね」


「すっごく楽しみです!」


「千夏」


「なんですか?」


「これからも俺が色んな初めてを体験させてあげるから。千夏の初めては全部、俺のものだよ」


「うっ」


 心臓がいくつあっても足りない。藤堂さんの「初めての体験」って言葉を聞いて、変なことを考えてしまった。


「千夏はエッチだね。初めてって何を想像したの?」


「してませんっ!」


「ははっ」


 私の思考が読まれてしまった。もしかして口に出してしまっていただろうかと不安になった。


「千夏が行ったことないような場所にも連れて行ってあげるし、千夏が今考えてるようなこともたくさんしてあげるよ」


「あ、ありがとうございます」


 これ以上変なことを言ったら、からかわれるのは目に見えるし。今は大人しく黙っておこう。


 それよりも藤堂さんのスーツ姿、何度見てもカッコいい、な。私が別のドレスを試着してる間に藤堂さんもいつの間にかタキシードに着替えていた。


 値段は私じゃ買えないようなものだけど、藤堂さんならたとえ安物のスーツだってタキシードだってカッコよく着こなすだろう。


 服はあくまでも藤堂さんを輝かせるものに過ぎない。藤堂さんが眩しくて、背景にキラキラや花が見えるのは少女漫画の読みすぎだろうか。


「本当はこの船を貸し切りにしたかったんだけど当日だったから断られちゃったんだ」


「そこまでしなくて大丈夫ですから」


 貸し切りなんていくらお金がかかるのか想像がつかないけど絶対高いし!


「でも、よく当日に予約が取れましたね」


「最初は断られそうな雰囲気だったんだけど、何故か俺の名前を聞いた途端、態度が変わってね。俺、そんなに不機嫌な声出した覚えはないんだけど圧が強すぎたのかな?」


「たぶんそうじゃないと思います」


「どういうこと?」


「藤堂さんはそのままでいてください」


「千夏がいうならわかったよ」


 藤堂さんは自分の立場をわかってなさすぎる。化粧品に詳しくない私でも藤堂ブランドはかなり大企業だということは知ってるし。


 ここに着くまでに藤堂ブランドについてネットでいろいろ調べたらそう書いてあった。


 四十五階建てのタマワン最上階に住むくらいだからそれなりに儲かってるんだろうと思いきや、想像の十倍以上はすごい人だった。


 そんな藤堂さんからディナークルーズの電話がくれば、そりゃあ……ね。ニュースや新聞をあまり見ない私は藤堂さんがそういうのにも取り上げられていることを今さっき知った。


 これだけの有名人の予約を断れば相手側のほうがあとで痛い目を見るのはあきらかだもんね。


 ただのブランド化粧品会社の社長だったら、そこまで有名にはならない。けれどルックスも完璧で藤堂ブランドが世に出てから、別のブランド化粧品会社の売り上げや営業利益をわずか半年で追い抜かして、今ではブランド化粧品会社の中でトップなら話は変わってくる。


 私ってそんなスパダリ社長から結婚を申し込まれたの? それでいて私の心の準備が出来ていないから結婚をするのを待たせているなんて、ますます信じられない。本当に凄い人と交際してるんだな私。


◇  ◇  ◇


「景色を見ながらこんなに美味しい食事を食べれるなんて贅沢です」


「気に入ってくれて良かった」


 クルーズ船に乗ってから三十分が経った。最初は船酔いしないか心配だったけど杞憂のようだった。


「藤堂さんはいつもこんなふうにクルーズ船に乗って誰かと食事したりするんですか?」


「仕事の取引先の人とか接待する時には来るけど、女性と来たのは千夏が初めてだよ」


「そ、そうなんですね」


 私の言いたいことを察するかのように答えてくれた。私以外の女性と来てもおかしくないし、なんなら異性と付き合っていても不思議じゃない。


 六年という空白の期間があって、藤堂さんの容姿や年収に惹かれて女性のほうから言い寄ってくるだろう。


 なんならお見合いの一つや二つあるに違いない。私は一般人だから、そんな世界を知らないけれど、お金持ちにはお金持ちの世界もあるのよね。


「藤堂さんはもう三十歳ですし、お見合いの話とかなかったんですか?」


 心の中に留めておくつもりだったのに気になって聞いてしまった。


「数年前にあったよ」


「そう、ですよね」


 やっぱりそうだよね。普通なら私なんか相手にされないもん。


「でも全て断ったよ」


「どうしてですか?」


「結婚したいほど好きな人がいるから貴女とは結婚出来ませんって断ってた」


「それって……」


 もしかして私なんじゃ……? とありもしない想像をした。数年前ってことはまだ私と再会する前だ。


「俺は六年前から千夏のことが忘れられなかったんだ」


「え?」


「再会したときに言っただろ? 千夏好みの男になって帰ってきたって」


「……っ」


「ち、千夏?」


「そこまで私のことを好きでいてくれたなんて」


 不安が一気に掻き消されていく。藤堂さんの想い人が私だったらどんなに嬉しいか。


 私は目の前から突然いなくなった悲しさで恋に億劫になっていたというのに。藤堂さんのことも好きというよりは忘れないと。そういう気持ちだった。


 なのに藤堂さんはその間も私のことを忘れずに私だけのために社長になるため努力を続けていた。

 こんなにも私のことを好きでいる藤堂さんを私は裏切れない。


「藤堂さん。やっぱり私、今すぐ藤堂さんと結婚したいです」


「……!」


 この気持ちはもう抑えきれない。昨日の今日で判断が早すぎる? そんなことない。だって私は六年前、藤堂さんに恋をしていたのだから。

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