「『多田組』に目を付けられたのはまずいな。奴らは健二をひったくるつもりだろうな もうすっかり夜になって、灰色に染まる車内。運転席には『赤城あかぎ』の男がハンドルを握り、横の助手席では険しい顔の北川が、ウィンドウガラスを開けて煙草を吸っている。後部座席では私と健二が、俯いて座っていた。
健二の肩はわずかに震えているようだ。それは多分畏怖の感情。きっと彼の脳内ではヤクザの言葉が何度もリフレインしていることだろう。
『多田組』と言えば、関東最大の暴力組織だ。全国各地点に二次団体を持ち、たしか指定暴力団になっていて警察から絶えず注目されていたはずだ。
「だがなぜ一界の暴力団がただの喧嘩野郎を勧誘するんだ? 立派な脅し文句まで付けて。奴らの意図はなんだ」
それに答える者はいない。いや、答えられる者はいないという言葉の方が正しいか。暴力団の考えていることなんて、ただの暴走族には到底わからない。
「どうするんだ健二。お前が組織に入らないと身内を殺されるぞ。もしかしたらそれは周辺の人物も、という意味かもしれない。だとすれば一ノ宮も他人事ひとごとでは済まないぞ。お前の大切な恋人なんだろ」
「ああ……」
かすれた脆い声。彼は目元を手で覆って、思案しているようだった。
「なら腹くくるしかないんじゃないか。相原さんが言っていた信念、忘れたわけじゃないだろ」
信念、男は皆そんな自身の信念モットーを基に行動する。女が馬鹿らしく思うくらいに。不良の語る信念なんて呆れたものだろうと、私は勝手に思っていた。
いつの間にか私の自宅の前で車が止まった。私はお礼を言って、それから健二に言葉を伝えようとして、やめた。今の切羽詰まった彼には何を言っても無駄だと思ったから
車を見送ってから、手首の腕時計を見る。午後十時ほど。遅くなることは母に伝えていなかった。玄関の扉を開けると、リビングから鬼の形相で母が現れた。「あんた、今何時だと思ってるの」だが、私の顔の痣を見て途端に凍り付く。
「何かあったの?」
「別に……何もないよ」
そんな見え透いた嘘に母は複雑な表情で納得した。子供のプライベートには深く入り込まないのが母の良いところだった。だから最後に、「相談ならいつでも聞くわよ」と言い残し去っていった。
私は階段を上り、自室の電気を点けてノートPCを開いた。検索エンジンに『多田組』と打ち込む。すると何万もの候補が画面上に現れた。スクロールしてサイトの一つ一つを確認する。ウィキペディア、ニュース記事、事件の数々を。
わかったことは、組織の構成員は全国で二万人をはるかに超え、その組織を束ねるのが総長の織田裕次郎らしい。
闇の組織と暴走族では力の差がありすぎる。なら健二はおとなしく組織に入るしかないのか。
今度は『ヤクザ 入会するとどんな仕事が回されるのか』と検索する。
一つのブログを開く。そのブログの記事を執筆したのが元暴力団の人らしく、つらつらと暴力団の悪質な裏の仕事が書かれていた。
『まず、やらされるのが覚せい剤のバイ。簡単なようで実は危険な仕事。その後、兄貴分と一緒にケツ持ちしている店のミカジメ料を集金しにいく。若手はとにかく嫌で面倒な仕事を回される。暴力団なんて絶対に入ってはいけない』と記されていた。それを見て身震いした。健二はたとえ犯罪行為をしていたとしても、所詮ガキのやること。暴走族としてバイクの暴走行為、煙草と酒の未成年使用。それぐらいだろう。暴力団に入って犯罪の仕事を任され、警察に捕まったりでもしたら懲役が付く。すれば何年間も彼と会えないだろう。
「私は一体、どうしたらいいんだろう……」
何も出来ない自分に歯痒さを感じた。結局私は傍観を決め込むしかないのか。