店内は騒然としていた。
殴られた痛みから苦悶の表情を浮かべる若いホスト。額に汗をかき、焦った様子で室内を駆けずり回るボーイ。床に散らばったドンペリの破片とその液体。その全てが異様だった。
「兄貴、これはどういうことです?」
険しい表情の大友に声をかけると、目すらこちらに向けず言った。
「襲撃だよ。どこかの組がうちのケツ持ちの店で暴れたんだ。考えられるにそいつは『滝川会』だな」
『滝川会』の構成員が襲撃。いったいなぜだ。なんでそんな目立ったことをしたんだ。つのる疑問を大友にぶつける。
「奴らは例のバイ野郎を殺したことに感付きやがったんだろうな。それで報復だ。手始めにまずぬるいことやって、牽制だよ」
例のバイ野郎――相原を殺したことに気付いただって。警察にも知られていないことにどうして連中がわかるんだ。それを訊ねると、
「いつまでも姿を見せないバイ野郎のことを疑問に思って、自宅を調べた。けれどそこにもいないこと。そして命じていたうちのシマでのバイに関連付けて、俺らが殺したと悟りやがった、というのが相場だろうな」
的確な予想だった。それなら頷ける。ヤクザはなんでも筋を通し、やられたら必ずやり返し、相手の出方をうかがう。ただでは引き下がらない連中だ。
この店のオーナーか、五十歳ぐらいの中年が血相変えてこちらに来た。
「すみません。店がこんなことになってしまい……しばらくの間、上納金を収められるかわかりません」
「大丈夫です。我々のような存在が上納金を貰っているのは店を守るためです。店を守れなかった我々には、また金を受け取る資格はありません。そのことは若頭に伝えておきます」
不気味なほどの丁寧な口調の大友の言葉にオーナーは安堵し、頭を下げた。
僕と大友は近くのソファに座る。大友は面倒なことになった、と嘆息交じりに言って、
「若頭に相談するが、きっと俺たちも奴らに報復する。その報復の指揮をお前に任せたい」
「どういうことです?」
「どんなやり方で連中にやり返すか、その立案から実行までやってくれ。期待してるぞ」
「そんな、僕には無理ですよ」
あ、と大友が半眼で睨んでくる。「俺の指示に盾突く気か?」僕は慌てて否定した。
報復の連鎖。重ね重ね互いに攻撃し合い、どちらかが折れるまでそれは終わらない。
そんなものの指揮官をやらされるなんてたまったもんじゃない。ヤクザを指揮するなんて、それが出来るほど僕の玉は座っていない。でも兄貴から言われたならやるしかないのだ。
大友からもう帰れ、と言われたので店を出た。それからバイクを走らせてしばらくしてアパートに着いた。腕時計で時間を確認する。深夜四時半。また出勤するまで三時間程度。仮眠程度ならとれるか。
玄関を開けて部屋に入るなり、ジャケットだけ脱いでそのままベッドに寝転がった。ワイシャツの皴など、気にしてられないほど疲労していた。
目をつむる。すると瞼の裏にぼんやりと江美の姿が浮かんだような気がした。江美のことを思い出して、もどかしくなる。彼女の存在の片鱗だけでも感じたくて、以前購入した音楽プレイヤーで江美がずっと聴いていた曲を流す。イヤホンを耳に差すとドクンと心臓が波打った。歌手の艶美な歌声と、今でも明利に思い出せる様々な彼女との記憶がシンクロして、その情景をさらに美しいものへと変容させた。
江美のことを想うと夢を思い出す。夢を思い出すと涙がこぼれそうになる。けれど涙はとうに枯れて今ではその感覚だけしか感じられない。
いつの間にか朝を迎えていた。重い瞼をこすりジャケットを羽織って家を出た。いつも通り車に乗り込む。
*****
それからしばらく車を走らせて、事務所近くのパーキングに停める。そこからしばし歩く。事務所のビルが見えると、その前に立つ異様なダッフルコートの男が立っているのがわかった。そいつは同業者だと本能が訴えていた。危険な存在だと。
「あなたは『多田組』の方ですね」
「……誰ですかあなたは」
「『多田組』のあなたに一つ、この事務所の若頭に言伝を頼みたい」
「だから、あなたは?」
「あなたと同じ仕事をする、ただの男ですよ。それよりも……。実は『多田組』が『滝川会』をつぶそうとしているという情報を得ましてね。ここからが本題ですが、『滝川会』の会長には御贔屓にしてもらっているんですよ。毎年何千万も寄付してもらってましてね。ですから『滝川会』を消されてしまうと非常に困るんですよね。うちはただの田舎の暴力団で金銭余裕もないですから。そこでですね、もしこのまま『多田組』が行動を移されるのなら、『滝川会』程度の寄付をしてもらってもいいですか」
僕の質問には答えずぺらぺらと喋る男。ヤクザ独特の詰め方だ。
「若頭に伝えようにも、誰に言われたのかわからないと信用してもらえないので、あなたがどこの組の人なのかだけでも教えてもらえませんか」
男はしばし黙考して、それから、
「中部地方を締めている『鬼頭会』に所属している者です」
それから男はでは、と告げて去っていった。僕は男の話を頭の中で反芻しながら事務所へと入った。佐倉と大友が会話をしていた。そこにすみませんと言って割って入る。男が話したことを端的に伝えると、佐倉はテーブルを叩き怒った。
「あの田舎者連中が。たわけたことぬかしやがって」
怒り心頭の佐倉に、恐る恐る疑問に思っていたことを訊ねる。
「『鬼頭会』って何なんですか?」
「うちはもちろん中部にも事務所を構えていてな、それで古い付き合いの組だよ。事務所を作るときにやれ上納金だ、やれ寄付だの言って金をゆすってきた連中で、うちはそいつらに毎年一千万円ほど金を収めていたんだ。事を荒立てたくないし、組同士の付き合いも大切だからな。それを奴らは勘違いしたのか調子に乗ったようなことを言いやがって……」
大友が総長に報告しますか、と言うと佐倉が、「そうしてくれ」と頼んだ。
それから二十分ほどすると、十人のいかにも図体(がたい)が大きい男たちが部屋に入ってきた。
その中の一人を、知っていた。黒髪短髪で厳しい顔つき。凍てつくような瞳。気崩したスーツ。その名は上原。かつて『赤城』と一戦を交えた暴走族『日光』の総長だった男。まさか『多田組』に入組しているとは思いもしなかった。
上原は僕に気付き、「おう」と声をかけてくる。それに応えはしたが、相原のことがあって気まずかった。
作戦会議が始まる。僕は考えていた案を提示した。
「奴らのケツ持ちしてる店を襲撃しましょう。目には目を歯には歯をってやつ」
店を襲撃されたら、こちらも同じことをしてやればいい。それで相手がどう出るか、見てやるのだ。
「いいけど、奴らもそんな報復、とっくに予想済みだろうな。店に護衛のヤクザを配置してるだろ。それを把握しなかったら返り討ちにあって失敗に終わるぞ」
「それですけど……」
一瞬、佐倉の表情をうかがってから、ある人物の名前を口に出した。
******
会議が終わり、僕は上原と一緒にマックへ向かっていた。
車内では互いに話さなかった。久しぶりの再会で、発すべき言葉をわかりかねていたから。
僕の車を上原が運転していた。聴きなじみのある曲を流すラジオを垂れ流しながらマックの駐車所に車を停め、外に出る。それから店内に入り、僕はビックマックのセットを。上原はベーコンレタスバーガーのセットを注文した。それを手に取って、席に着く。上原がナゲットをつまみながら、
「で、相原を見殺しにしたんだって? 大友さんから聞いたぞ」
と言ってきた。全身を緊張が電流のように走った。なんと言うべきか考えあぐねていると、
「そんな不安がるな。別にお前を責めようってことじゃない。あれは仕方がなかった。相原もヤクザになるって決めた時点で覚悟してただろうさ」
「そうですかね……」
上原は、あいつはいい男だったと感慨深げに呟いた。
僕は、初めて相原と出会った時のことを思い出した。今でも忘れられない、僕の運命を変えた出会いを——。