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第19話 作為

 二〇一三年一月一日。元日のこの日は、ヤクザの仕事はなく、家でのんびりとしていた。

 インターホンが鳴った。どうせ夏木だろうと思って無視していると繰り返し鳴る。うるせぇなと思って、玄関に出る。そこには大きな袋を持った夏木と、少し疲労感をにじませた北川が立っていた。


「まず一人ずつ要件を聞こう。北川はどうした」

「実は族と『滝川会』でごたごたがあってな。そのことでちょっと相談がしたくて」

 だから北川は疲れているのか。面倒事を抱え込んでいるから。

「で、お前は」

 夏木を見やると、「家で正月行事なんて堅苦しくて嫌だからこの家に避難してきたのよ」と言った。


 なんだそれは、とツッコみそうになるが、まあ考えてみるとヤクザの総長の家の正月なんてきっと組関係の人間が集まる仰々しいものなのだろう。嫌な気持ちはわからんでもない。

 と、いうわけで二人とも家に上げる。

 夏木はスーパーで買ったというおせちをテーブルに広げた。三人で食べられるか、と疑問に思うような品数で、きっと数万はしただろう。

 夏木が人数分の皿と箸を取りに行っている間、僕は北川に訊ねた。


「ごたごたってなんだ」

「うちの連中の一部が、『滝川会』傘下の半グレに薬を買ってな。それを知ってそいつらを破門にしたんだが、そいつらがその半グレとつるんでうちに抗争を仕掛けたんだ」

「それで」

「もちろん抗争には勝ったさ。しかしそのことが『滝川会』に知れてうちはつぶされようとしているんだ」


 状況が呑み込めた。『赤城』は半グレではないので薬や詐欺などの犯罪は禁止にしている。それが、相原が総長になったそのあとからより厳罰化され、行ったものは問答無用で破門だ。

 ただ、何か裏で策士めいたことがあったのではないか、と予想する。『滝川会』傘下の半グレが『赤城』に近づいたのではないかと。もしかしたら奴らが『赤城』を邪魔に思っている可能性があるのではないか。日本最大の暴走族だから多方面で様々な暴力団のツテを持っている。暴走族という特性上族上りが地元の暴力団に入るからだ。ゆえに『赤城』は暴力団ではないけれど、その界隈では大きな影響力を持っているというわけだ。OBが暴力団の組長や会長という話も、少なくはない。だからか、今だ現状、全国には勢力拡大が出来ていない『滝川会』が『赤城』を喰ってその巨大組織をつぶし、空いた穴を埋めるように傘下の組織を日本中に置くのかもしれないな。

 しかし、思案したあとでそれの矛盾に気付く。わざわざ組織を作るよりも、『赤城』に取り入って傘下に入れて支配した方が都合がいいのではないか、と。

 わからないな。連中の考えていることが。……そもそも前提が間違っているのか。


 つまりは——情報が足りない。

 机に皿を置いたあとで不愛想に黒豆をつまんでいる夏木に問う。

「お前はこのことで何か知ってることはないのか」

「さあ、おじいちゃんと話なんかしないし……。でも、『滝川会』のことなら一つだけ、おじいちゃんと組員が話していたすごい話があるわよ」

「なんだ」

 夏木は試すような目でこちらを見てきた。それは本当に聞くのか、聞いたら後戻りは出来ないぞという意味合いの。僕は頷き、「話してくれ」と促した

「『滝川会』の池袋事務所の頭(かしら)が、たった入組半年の若造が務めることになったということが暴力団のネットワークで騒然となったのよ」

「どういうことだ」

「その若造というのが、亜東佳。かつての『亜東一家』の副総長だった男」


 暴力団同士では、独自の情報網を構築している。それはマル暴対策であったり、抗争の時に一触即発の状況下で互いの降りどころ、引き際を見極めるために情報を共有しているのだ。

 だから他事務所の情報も当然、組員なら知れるのだが、まさかあの亜東佳が『滝川会』に入って、しかも若頭になっているなんて。驚愕した。

 普通、若頭になるには数年汚れ仕事をこなし、求められる以上の実績を積まないといけない。それには聡明さや、忍耐強さが必要だ。たとえそれが佳に備わっていたとしても、たった半年で若頭になるなんて不可能に近い。よほどのきっかけがあったのだろうと予想がつく。だがそれがなんなのか、わからない


「そういえば聞いたことがある」と北川が口をはさむ。「『亜東一家』の頭が変わって、今は名を変えて『刹那(せつな)群衆(ぐんしゅう)』として活動してるって」

 ということなら、佳の兄、清はどうしているのだろう。頭が変わったなら清も暴走族をやめているということか。佳と同じく組員になったか、半グレに成り代わったかのどちらかだ。あいつが普通の生活を送っていることは、考えにくかった。清は性根から暴力が好きで、それにたまらない快楽を感じていたから。人は快楽には逆らえない。快楽の前では人は理性を失い、それにむさぼるように依存する。


「清はどうしてるんだ?」

「それがね……わからないのよ」

「消息不明らしい」


 夏木と北川が答える。何か裏がある。だがやはりそれを推測し確実なものへと変化させるには、やはり情報が足りない。


「なあ、うちの組が『滝川会』をつぶそうとしている理由ってなんだ?」

 あのホスト店襲撃のあと、佐倉が語っていたことがある。『多田組』は全力で『滝川会』をつぶす、だからお前もこの調子でがんばれ、と鼓舞してきた。その違和感がずっとぬぐえなかった。ここで降りて、互いに利害を一致させたうえで関係を修復させるのが一番だ。報復を繰り返すには、互いにデメリットが多い気がする。二つの組は規模が大きく、二次系の団体も多い。本部が抗争なんてなったら、その二次団体も緊張が走る。すれば自然と円滑に利益が上がらなくなる。そんな状態はもちろん歓迎出来るものではない。

 僕の印象としては、互いに“固着”しているように見える。何に対して“固着”しているのかわからないが。


「それもわからない。そうすることで組にとって何かしらのメリットがあるのはたしかだけど」

 溜息をつく。暴力の世界は理解出来ないことだらけだ。

「北川、もし組と暴力沙汰にでもなればただじゃ済まないぞ。こっちは半端者の不良。向こうは暴力のプロだ。隙を衝かれて族が瓦解する」

 北川は沈鬱に「わかってる」と呟いた。

「夏木に頼みたいことがある。『滝川会』に密偵を頼めないか。あいつらは女の前だとぺらぺら内部情報を喋るからな。『赤城』を崩壊させたくないんだ」


 僕にとって『赤城』は居場所そのものだった。仲間と共に犯罪をしている傍ら、その瞬間に仲間と一体となっているような感覚。それに『赤城』で僕が安心できたのは、相原が作った喧嘩禁止令のおかげだった。僕が族に入った一年後、二〇一〇年に総長になった相原が積極的に喧嘩をしないという命令を施行した。それで僕は暴力から一時的に解放された。それまでは北川などの喧嘩野郎に誘われて他の暴走族に喧嘩を売りに行くことが日課だった。そんな状況をあまり良くは思わなかった相原。全国統一したのだからもう喧嘩はしなくてもいいと考えたのだ。施行されたことで喧嘩野郎は抗争を仕掛けることが出来なくなった。そのおかげで僕は暴力という名の自傷をしなくても済み、それから仲間と語らう方が心の安寧になったのだ。こうして僕を救ってくれた存在を、なくしたくない。


「わかった」


 夏木は一瞬の逡巡もなく答えた。それに内心都合がいい女だな、と思った。


  6


「——話は佐倉から聞いてるぞ。俺と話がしたいんだってな」


『多田組』池袋事務所。東京で構えられている三つの事務所のうちの一つだ。ちなみに本部上野事務所、僕が所属する渋谷事務所、そしてここだ。その他にも総長の邸宅にも組員が集められることがある。


 僕の目の前にいる男――池袋事務所の組長である泉谷の特徴は簡潔に言って狼だ。動物のような鋭い目付きと野性的な雰囲気。そして相手を脅すことに何の躊躇もしないヤクザの鏡のような男。噂では堅気を恫喝したあと、警察の目など気にせずそいつをソープへ売り飛ばしたこともあるそうだ。

 そんな噂を持つ相手に今から発破をかけようとしている僕は、我に返り馬鹿なのかと思う。だがやらないといけないことだ。

 佐倉にお願いし泉谷と会った。次にすることは噂の真相を探りながら確かめ、それに乗っかることだ。それが出来れば疑問の真相に近づける。


「はい。実は泉谷組長が滝川会長の暗殺任務を総長直々から任され、それを遂行するためのチームを創設すると聞きまして」


 他事務所との交流のときに、「噂だが……」と組員から聞き出した情報。『滝川会』会長滝川元(はじめ)の暗殺任務。それを完遂するために極秘チーム作られるというもの。だがこの情報はまだオープンにはされておらず、正式に号令がかかったわけではないものだ。ゆえん不確かな情報。こいつの信憑性を確実なものへとするため、泉谷に発破をかけるのだ。

 泉谷の目が鋭くなる。「どっからそれを聞いた?」


「身内から聞きました」


 と決して他の暴力団から得た情報ではないと暗に主張する意味合いと明確な人物像を知られないようにするための言葉。

 もし、泉谷の機嫌を損ね、情報元に危害が及ぶことがあったら大問題だからだ。

 頭の回転が早いのか、泉谷は誰から聞いた、と言い直した。しても言い方は変えない。仲間内の親しい組員から聞きましたという言葉に変えるだけだ。

 沈黙が落ちる。僕は緊張して今にも震え上がりそうだった。


「わかった。それでお前はこれを知って何がしたい」


 納得してくれて質問を変えてきた。そこでようやく本題だ。僕は用意してきた言葉を答える。


「その遂行チームに、僕を入れてくれませんか」

「ほう、覚悟はあるのか。俺に玉預けられる覚悟は」

「……」

「何、黙ってんだよ。チームで仕事するうえでそのリーダーの命令に従うっていうのは当たり前だろ。それが命を懸けるものでも。鉄砲玉でも」


 玉、とはヤクザ用語で心臓のこと。泉谷は僕に「俺に心臓を差し出せんのか?」と問いているのだ。その言葉に僕は恐怖心で逃げてしまいそうになる。それでもこうして今、立っていられるのは根性だ。


「もちろんです」

「ならこのテッポウで自分の左目貫けよ」

 そう言って泉谷はジャケットから拳銃を取り出し、こちらに投げて地面によこした。

 僕は呆然として、言葉が呑み込めないでいた。左目を貫くってなんだ。

「なにぼうっとしてんだよ。早くしろよ」

 僕は震える手を意識しながら拳銃を拾う。それを自分の左目に向けて引き金に手を付ける。銃口の黒い先端が、視界に定まる。

 どうすればいいんだ、これ。


 何も出来ないでいると泉谷が恫喝した。「早く撃てや‼」

 僕は引き金を引いた——。左目が真っ赤に染まり、そして一瞬で闇に包まれ激しい痛みが訪れる——はずだったが。カス、という音だけで、痛みや閃光が現れなかった。


「すごい勇気だ。その銃は弾が空っぽだったんだよ。これはうちの事務所の度胸試しみたいなもんだ。悪いな」

 泉谷は全く悪びれる様子もなく、そう言った。

「お前の話、聞いてやる。今から寿司屋にでも行くか? ちょうど夕飯時だしな。おごってやるよ」

素直に礼を言ったが、内心この野郎がと思っていた。人を試すような人間はろくでもないんだ。その手段も最低だ。だが取り入るためには媚を売るしかない。怒りを呑み込んだ。

 車を回すほどの距離じゃねーから、ということで歩いて寿司屋へ向かう。ものの十分で着いた。寿司屋の店構えは豪奢で、人を選ぶような雰囲気があった。暖簾の達筆な文字が、僕を睨むようだ。

 入るとそこはカウンターだけの高級寿司で、泉谷が言うにはここの店主は『多田組』の関係者で、どれだけ内部情報を喋っても大丈夫らしい。席に着いて互いに上のコースを頼んだ。


「実は元々、お前を暗殺チームに入れるつもりだったんだ。なぜかって言うとお前が『滝川会』をつぶす上での重要なキーパーソンだからな」


「どういうことです」


「『滝川会』を消すことを画策した半年以上前、四月のことだ。滝川が表舞台から見えなくなって、亜東佳という二年前の八月に『滝川会』に入組した若造がその中心で指揮を取り始めたという情報を入手した。どうも滝川が消えたことと佳の抜擢が関連付いているようで匂う。そこでだ、詳しい情報を得るために、二〇一一年に亜東兄弟と接触し、その兄清から関東最強を奪い取った男を使えないかと佐倉が考え、上層部に伝えた。それが通りお前を強引に勧誘した」


「それで身内を殺すと脅しまで付けて……」

 僕は今ここで溜息を漏らしてしまいたかった。そんな裏の話があるのかと悪態を付きたくなる。命張ってここまでやってきて、実はただ他の暴力団をつぶすために用意された駒であると言われて、無性に腹が立った。

「一つ聞いてもいいですか」

「なんだ?」

「どうしてそこまでして『滝川会』に執着するんです」


 寿司が机に置かれた。大トロや赤身などが鮮やかに光っている。


「こんなこと、ただの組員には話さないことなんだが……。実は連中が中国のでかいマフィアにパイプを作ろうと模索しているみたいでな。それが叶ったら、うちは非常にヤバイ。中国と日本じゃ裏世界の規模が違う。武器輸入もしやすくなるし、海外を市場にした犯罪マーケットも手広く利用できる。うちもマフィアと一定の関係は持っているが、奴らが持とうとしてるマフィアはその倍以上のでかさなんだよ。うちは劣勢に追い込まれて、時間をかけて収縮していく。日本の経済成長が低迷してる現状、この国でシノギをけずれねぇんだわ。奴ら政治家は散々うちらを利用してきて、でその恩を仇で返すように暴対法なんか作りやがって。結局裏世界の奴らには誰も優しくなんてない。もう廃れていくだけだ」


 長い話に、ただ相槌を打つしかなかった。泉谷はヤクザ社会の未来の展望を予想して、悲観に暮れている。だがそれも所詮、犯罪者のたわごとだ。犯罪者は事実や規律を自分の都合のいいように捻じ曲げて解釈する。自分が見ている世界が全てだと妄信しているのだ。それは、認めたくないが自分も例外ではない。相原を見殺しにした時、ああするしかなかったと思い込んだのだ。


 赤身に醤油を垂らしてそれを口に運ぶ泉谷。

「小野って今、先輩からしごかれてるか?」

「毎日何かにつけてやられてますよ」

 泉谷は笑った。わかるわかる俺もそうだった、と。

「俺は生意気な不良上りでさ。俺のことが気に食わない親父や兄貴に袋叩きにされる毎日だったよ。だからさ、そのしんどさは俺も理解できる」

 お茶を飲んで、泉谷は息をつく。

「親父に気に入られようと躍起になって、今の地位になるまで五年かかったよ。幹部職は給料もいいし、それなりに仕事のやりがいもある。夢のある仕事だよ」


 ——夢のある仕事。それは違うなと思った。犯罪なら筋が通ればなんでもやる暴力団に就いてあらためてこんな最悪な仕事はないと思った。初めて任された仕事が、麻薬の密売だった。指定された場所に行って、目を充血させた主婦と思しき女性や、中学生の少年に万札と引き換えに薬を売った。するとそいつらは喜んで去っていく。その時、僕は人の人生を壊すことはなんて最悪だろうと感じた。初めて汚した手を見つめて、夢も希望もない仕事だなと思った。


 泉谷は麻痺してしまったのだろう。他人の人生を壊してしまうことに。それはこの世界で生きていくために持たないといけない処世術だ。正常な心の持ち主ならこの仕事はすぐに心を病んでしまう。

「——お前を暗殺チームに入れてやる。喜べ」

 話題を変えて、泉谷はどこか誇らしげに言った。僕はそれに頷いて、「がんばります」とだけ答えた。


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