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到着

4月30日(土) 曇り


列車を乗り継いで辿り着いた駅は、小さな無人駅だった。<br>

改札もなく、線路を渡るための踏切すら手動式。まるで昭和に取り残されたような風景に、スマホの電波が時折消えるたび、私は不安の芯に触れてしまいそうになった。


「ここからは、車で十五分くらい」

誠司がハンドルを握る軽トラの助手席に座って、私は首を傾げた。

ナビもない山道を、彼は慣れた様子で登っていく。


「さっきの駅、名前なかったよね」

思わず漏らすと、誠司は笑って言った。


「うん、地元じゃ“あの駅”って呼ばれてる。地名をつけると、いろいろ“来る”って言われてるから」

軽い口調だったけど、その一言が妙に耳に残った。


カーブをいくつも越えた先、視界がひらけると、そこには――

古びた石塀に囲まれた、大きな屋敷が静かに佇んでいた。


門は黒く塗られた木製で、中央には見たことのない家紋のような刻印が彫られていた。<br>

それは一見すると、火の粉のような文様にも見えたし、痩せた女性の顔にも見えた。


「……ここが、うち」

誠司の言葉とともに、重たい門がギィ、と音を立てて開いた。


屋敷の中庭は広く、真ん中には大きなクスノキが一本、空を覆うように立っていた。<br>

地面は手入れされていたけれど、どこか、空気が濃い。<br>

草の匂いにまじって、乾いた土のにおいと、古い畳のような、目に見えない何かが鼻に残った。


「いらっしゃい、初めましてね」

奥から出てきたのは、年配の女性だった。肩までの白髪をきれいにまとめ、どこか上品な顔立ちだったけれど、目だけが異様に細く、そして開いていた。


「この人が、ひかり。伯母さんだよ」

誠司の母……ではない。ひかりさんは、彼の伯母にあたる人物だ。<br>

つまり、この家の“直系”――当主の娘、ということになる。


挨拶を済ませた私に、ひかりさんは笑いながら言った。


「女の子が来るなんて、久しぶり。よかったら、夜、ゆっくりお話しましょうね」

その声のトーンが優しいだけに、なぜか背筋が冷えた。


挨拶を終えたあと、私は案内された客間で荷物をほどいた。<br>

部屋は畳敷きで、障子越しに外の庭が見える。雨が降りそうな曇天の下、クスノキの影だけが妙に大きく見えた。


夕食には、彼の従兄弟である翔くんと美香ちゃんも顔を見せた。<br>

翔くんは髪を脱色して、口数も少なく、私には目もくれなかった。<br>

一方の美香ちゃんは、年齢の割に落ち着いていて、どこか人形のように無表情だった。


会話の端々に、聞き慣れない単語が出てきた。


「……ゆらゆら様、って誰?」

思わず口にしてしまったとき、空気が凍った気がした。


誠司が、すぐに笑ってごまかした。

「昔の土地神様みたいなもんだよ、気にしないでいいから」

ひかりさんも、微笑んだまま箸を止めなかったけど、翔くんだけが、一瞬こちらを見て、ふっと笑った。


口元だけが笑って、目はまったく笑ってなかった。


その夜、私は眠れなかった。<br>

部屋の外から、どこかで風鈴のような音がする。<br>

でも風はないし、鈴も見当たらない。


気のせい――そう思いたかった。<br>

でもなぜだろう。背中に感じる気配が、ずっと私の名を囁いている気がする。


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