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カルア戦記
カルア戦記
MKT
異世界ファンタジー戦記
2025年08月08日
公開日
5.2万字
連載中
 かつて栄華を誇った王国ヴェイルウッドは、突如として現れたアガベ帝国の侵略により滅亡した。王族の唯一の生き残りである王子カルアは、帝国への復讐を誓い、放浪の旅に出る。  旅の途中で、彼は様々な仲間と出会う。 槍兵のラフロイグ、剣士のタリスカー、弓兵のボウモア、工兵のピーテッド、そして魔術師のヒューガルデル。  彼らは帝国の圧政に苦しむ者たちであり、カルアの志に共感し、その旗の下に集った。  当初は少数のゲリラに過ぎなかった彼らだが、カルアが持つ現代の知識と、卓越した知略を駆使した戦術により、その勢力は次第に拡大していく。  そしてついに、水の都グレンリヴェットを陥落させ、帝国に対抗する新たな本拠地を築き上げることに成功する。  グレンリヴェット奪還の報は、帝国軍の総大将アードベックの耳に届く。彼は、カルアを侮っていたことを悟り、一万を超える大軍を差し向ける。  だが、カルアは双子の将軍が率いるその軍勢を、「離間の計」によって内部から崩壊させ、再び勝利を収めた。  この勝利は、カルア軍を単なる反乱軍から、帝国に対抗する一国へと押し上げた。  今、カルアは次なる戦いの準備を進めている。 帝国からの更なる報復を前に、彼は「血の刃、鉄の馬車」と呼ばれる新型兵器を開発。そして、守りではなく、攻めに転じることを決意する。  彼の最終目的は、帝国の心臓部である黒曜宮を攻略すること。それは、敵の総大将アードベックとの直接対決を意味していた。  亡国の王子カルアは、自らの手で滅びた国を再興させ、英雄の時代を築くことができるのか。  そして、彼が率いる軍勢は、帝国の誇る圧倒的な軍事力の前に、希望の光となるのか。

プロローグ

 その声は、甘美な現世の夢にうつつを抜かす若者に、厳然たる現実を突きつける神託であった。


「殿下、ご無事ですか?」


 その言葉は、甘美な響きを持つ「転移」を遂げたばかりのカルアに、己が置かれた状況を正確に理解させた。


 彼は夜空の星を閉じ込めたかのような大理石の床に立っていた。天井から降り注ぐまばゆい光が、伝説の神殿かと見まごうばかりの華美な宮殿を照らし出す。だが、その華やかさの奥底には、鋭利な刃を隠したかのような重苦しい威圧感と、重く粘りつくような緊張感が漂っていた。


 カルアは、周囲の貴族たちの視線から逃れるように一歩後ずさった。だが、その動きは彼をより一層、深い水底へと沈めていく。まるで溺れる者が藻掻くほど、重力に逆らえずに沈みゆくかのようだった。


「殿下、わたくしの言葉が聞こえませんか?」


 再び声が響く。先ほどよりいくらか硬質になったその声に、カルアの全身は凍てついた。声の主は、宝石のように輝く装飾を身につけた年若い侍女だ。その表情は、驚きと戸惑い、そしてわずかな期待が混じり合っていた。しかし何よりも強く感じられたのは、カルアの無礼に対する深い「畏れ」であった。


 ――殿下。


 その言葉の意味を、カルアは理解した。この世界で、自分は「王子」という地位を与えられたのだ。漫画や小説で読み慣れた設定に、何の苦労もなく栄華を手に入れるという甘い夢想が、一瞬胸をよぎる。だが、その期待はすぐに、得体の知れない不安へと姿を変えた。


 床の冷たさ、空気の密度の濃さ、肌に吸い付くような上質なベルベットの感触。すべてが、この世界が作り物ではないことを雄弁に物語っていた。


「俺が……この世界の、王子……?」


 カルアは、自らの手を見つめる。きめ細やかな肌、血の通った温かさ。それは、かつての「平凡な男子中学生」の手ではない。鏡がなくとも、その事実は明らかだった。もしこのまま、異世界の王子として何不自由ない生活を送れるならば――そんな甘い妄想が、ほんのわずかに、カルアの心をよぎった。貧しい旅人が道端で拾った一文銭を、大金持ちになった夢にまで膨らませるのと似ていた。


 だが、その妄想が脆くも崩れ去るまでに、時間はかからなかった。


「敵襲です!アガベ帝国の軍が、城門を突破しました!」


 城の外から、地鳴りのような轟音が響いた。カルアの甘い夢は、一瞬にして打ち砕かれる。絶叫、悲鳴、甲冑がぶつかり合う鈍い音。豪華絢爛だった宮殿は、たちまち血と硝煙の匂いに塗りつぶされていく。


 窓の外では、夜空を焦がすような炎が渦を巻いていた。巨大な竜が灼熱の炎を吐き出し、大地を埋め尽くすアガベ帝国の兵士たちは、漆黒の津波のように城壁を、塔を、そしてこの国の希望を、すべて踏み潰していく。


「カルア、行け!」


 血に濡れた父王は、重厚な王剣を抜き放ち、真紅のマントを炎の風に激しく翻らせる。その背中に刻まれた深い傷口から、止めどなく血が流れ落ち、大理石の床に鮮烈な模様を描いた。


「ご命令です。殿下を、このバルバトスが命に代えても守り抜きます」


 バルバトスと名乗る血まみれの元軍団長は、震えるカルアの手に、父王から託された紋章を無理やり握らせた。男の手は硬く、そして温かだった。


「誰にも見せるな。決して、その手を離すな」


 それが、父の最期の言葉となった。


 城は炎に包まれ、美しい王都は見るも無残な廃墟と化していく。カルアは何もできなかった。戦うことも、守ることも、ただバルバトスに馬に乗せられ、後を追うことしかできなかった。それはまるで、嵐の海を漂う小舟のようであった。


 鼻を突く煙の匂い、背中を焦がす熱風、耳元で鳴り響く破壊の咆哮。それは、かつて読んだどんな物語よりも――現実だった。


 握りしめた父の紋章は、冷たいはずなのに微かに熱を帯び、まるでカルアの心臓の鼓動と共鳴しているかのように感じられた。


 そして、わずか数時間で、カルアの「王子」としての人生は終わりを告げたのだ。王族としての身分も、温かな家族も、この世界の希望すらも。すべてが奪われたその日、彼は初めて知った。異世界に転移したからといって、何一つ報われることはないという現実を。


 馬の蹄が、燃え盛る王都を遠ざけていく。漆黒の闇の中、無力な王子はただ独り、答えのない問いを胸に抱きながら、逃げ続けるしかなかった。


「……俺は、これからどうすればいいんだ……?」


 彼の問いに答える者はいなかった。ただ、燃え盛る王都を背に、闇夜を駆ける馬の蹄の音が、虚しく響き渡るばかりであった。

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