(陣痛って、本当に突然来るものなのね)
徐々に強くなる痛み。生理痛なんて比較にならないほどの激痛が、波となって一定間隔で襲ってくる。
臨月。
いつ陣痛が来てもおかしくないとは思っていたけれど、まさか揚げ物をしている最中に来るなんて。
(火を止めたことは確認しているけれど、揚げたて天ぷらの行方が気になる。お義母さん、どうか美味しく食べてくださいね……!)
わたしは陣痛タクシーの中で、義母に留守の戸締りをお願いしたときのことを思い出していた。
入院道具を掴んで出ていったから、戸締りの確認ができなかったのだ。
だから義母に鍵等の戸締りをお願いした時に、夕飯は義父母が食べてほしいと伝えた。
(望さん、早く来て。心細いよ……)
実父母にも義両親にも付き添われることなく、さっさとタクシーに乗ってきてしまったから、傍には誰もいない。
看護師は忙しそうに部屋を出ていってしまった。
望さんはいつも通り仕事に行っているから、連絡は入れたけれど、こっちに来るまでどのくらいかかることか。
「あ、いたたたた……っ!」
来た来た、波が。
お腹をうんと壊している便通にも似た痛み。
必死に痛みと戦っていて、沸騰しそうなほどの痛みの中で、鳴り響く着信音のノイズ。
(お母さんから?! 今?!)
口から呻き声を呪いのビデオのように漏らしながら、携帯の通話ボタンに触れる。
「もし、もし?!」
『あ、つらそうね』
「陣痛中につらくないわけないでしょ?!」
『喋れているならまだ大丈夫!』
(暢気な)
怒鳴り声で返すことで、ほんの少しだけ痛みが和らいだ気がした。
気のせいだった。
「あ、ちょっと引いてきた……」
僅かな間の休憩時間。深呼吸をして、母の話に耳を傾ける。
「で、どうしたの? あなたの娘は陣痛と戦っています」
『うん。それは知ってる。ただ、双子ちゃんなのに普通分娩って大丈夫なのかなって』
「もう産む段階に入ったのに、そんなこと言わないでよ」
心配してくれているのは分かるけど。呟く言葉は拗ねたような響きを伴っていた。
「何回も言ってるけど、ふたりとも頭は下にあるからって、お医者さん言っていたでしょ?」
『そうだけどぉ。でも、双子なんて産んだ人、知らないから』
実母の不安が伝染してきそうになる。
わたしはぐっと唇を噛んで、電話越しに笑い返した。
「大丈夫だよ。大きな病院だし、先生たちも対応してくれているんだから」
『そうね、そうよね。大丈夫よね』
母は何度も念を押すように繰り返している。
電話越しに、父の声が聞こえた。
『それじゃあ、お母さんたち今から行くからね。頑張ってね、陽毬』
心配そうな声音を断ち切るために電話を切る。
疲労感を感じ、ふぅ、と大きく息を吐く。
「お母さん、心配性なんだから」
呟いた声に口角が上がる。
子供の誕生を心待ちにしているのは、実家も義実家も同じ。
だけど、わたしのことも大切にしてもらえていることに、わたしは嬉しくなった。
「あ、またきたっ」
嬉しさに浸る暇もない。
今は、襲い来るこの痛みと戦うことに集中し始めた。
***
一体どのくらい痛みと戦っていたのだろう。
もう最初の痛みなんて思い出せないくらいの激痛。生まれて初めて感じる激痛に意識を取られている内に、いつの間にか分娩台でいきんでいた。
(記憶ほとんどないんだけど)
そんな思考も掻き消される。
何度も叫んで喉はガラガラで、でも水を飲む余裕さえもなくて。
「はい、いきんで!」
今は助産師の指示に従うだけの時間。
何度もいきんで、いきんで、いきんで。
産声が聞こえた。
「はい、もう一人がんばるよ!」
お腹の中にはもうひとり残っている。
安堵して力を緩める暇もないまま、痛みはまだ襲ってくる。
がんばれって、声が聞こえてくる。誰の声なのかもう分からない。
立会いの望さんの声かしら。看護師の声かしら。それとも頑固そうな担当助産師の声? それとも。
がんばれ、がんばれ。がんばれ、がんばれ!
いくつものがんばれを、何度も耳に通したその時。
「産まれた!」
はっきりと、望さんの声が聞こえた。産まれたって、声が聞こえた。
弱々しい産声を発する我が子がふたり。
その姿を見ることもなく。
「?!」
続く痛みに体を九の字に折りそうになった。
異変に真っ先に気が付いたのは助産師。
出産後の後処理をしようとしたところ、何かに気が付いたらしい。
「もうひとりいるわ」
「えっ?!」
驚いたような声を上げたのは、わたしじゃなくて望さん。わたしは痛みに呻いている。
でも、少しだけ頭は冷静になっていた。既にふたりを外に出したからだとは思う。
薄らと聞こえてくる話をまとめると、お腹の中にもう一人いて、その子は逆子という話。
だから、お腹を切るか切らないか……。
病院側としては帝王切開を勧めたい。そんな感じの話。
わたしは望さんの腕を掴む。
びっくり跳ねる身体、寄せられる視線。
彼に視線で、強く、強く訴える。
『切れ』と。
痛みで言葉もうまく出せない。
だけど、子供を助けたい気持ちだけは本物だった。
狼狽えていた望さんは、わたしの目を見て覚悟を決めた顔をした。
わたしは再び襲い来る痛みと戦う。
気が遠くなるほどの痛み。歪む視界。暗闇が襲ってきて。
目が覚めたとき、わたしのお腹に縫い跡ができていた。