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第2話 三つ子、誕生前日譚 2

(陣痛って、本当に突然来るものなのね)


 徐々に強くなる痛み。生理痛なんて比較にならないほどの激痛が、波となって一定間隔で襲ってくる。


 臨月。

いつ陣痛が来てもおかしくないとは思っていたけれど、まさか揚げ物をしている最中に来るなんて。


(火を止めたことは確認しているけれど、揚げたて天ぷらの行方が気になる。お義母さん、どうか美味しく食べてくださいね……!)


 わたしは陣痛タクシーの中で、義母に留守の戸締りをお願いしたときのことを思い出していた。

入院道具を掴んで出ていったから、戸締りの確認ができなかったのだ。

だから義母に鍵等の戸締りをお願いした時に、夕飯は義父母が食べてほしいと伝えた。


(望さん、早く来て。心細いよ……)


 実父母にも義両親にも付き添われることなく、さっさとタクシーに乗ってきてしまったから、傍には誰もいない。

看護師は忙しそうに部屋を出ていってしまった。

望さんはいつも通り仕事に行っているから、連絡は入れたけれど、こっちに来るまでどのくらいかかることか。


「あ、いたたたた……っ!」


 来た来た、波が。

お腹をうんと壊している便通にも似た痛み。

必死に痛みと戦っていて、沸騰しそうなほどの痛みの中で、鳴り響く着信音のノイズ。


(お母さんから?! 今?!)


 口から呻き声を呪いのビデオのように漏らしながら、携帯の通話ボタンに触れる。


「もし、もし?!」

『あ、つらそうね』

「陣痛中につらくないわけないでしょ?!」

『喋れているならまだ大丈夫!』

(暢気な)


 怒鳴り声で返すことで、ほんの少しだけ痛みが和らいだ気がした。

気のせいだった。


「あ、ちょっと引いてきた……」


 僅かな間の休憩時間。深呼吸をして、母の話に耳を傾ける。


「で、どうしたの? あなたの娘は陣痛と戦っています」

『うん。それは知ってる。ただ、双子ちゃんなのに普通分娩って大丈夫なのかなって』

「もう産む段階に入ったのに、そんなこと言わないでよ」


 心配してくれているのは分かるけど。呟く言葉は拗ねたような響きを伴っていた。


「何回も言ってるけど、ふたりとも頭は下にあるからって、お医者さん言っていたでしょ?」

『そうだけどぉ。でも、双子なんて産んだ人、知らないから』


 実母の不安が伝染してきそうになる。

わたしはぐっと唇を噛んで、電話越しに笑い返した。


「大丈夫だよ。大きな病院だし、先生たちも対応してくれているんだから」

『そうね、そうよね。大丈夫よね』


 母は何度も念を押すように繰り返している。

電話越しに、父の声が聞こえた。


『それじゃあ、お母さんたち今から行くからね。頑張ってね、陽毬』


 心配そうな声音を断ち切るために電話を切る。

疲労感を感じ、ふぅ、と大きく息を吐く。


「お母さん、心配性なんだから」


 呟いた声に口角が上がる。

子供の誕生を心待ちにしているのは、実家も義実家も同じ。

だけど、わたしのことも大切にしてもらえていることに、わたしは嬉しくなった。


「あ、またきたっ」


 嬉しさに浸る暇もない。

今は、襲い来るこの痛みと戦うことに集中し始めた。


***


 一体どのくらい痛みと戦っていたのだろう。

もう最初の痛みなんて思い出せないくらいの激痛。生まれて初めて感じる激痛に意識を取られている内に、いつの間にか分娩台でいきんでいた。


(記憶ほとんどないんだけど)


 そんな思考も掻き消される。

何度も叫んで喉はガラガラで、でも水を飲む余裕さえもなくて。


「はい、いきんで!」


 今は助産師の指示に従うだけの時間。

何度もいきんで、いきんで、いきんで。


 産声が聞こえた。


「はい、もう一人がんばるよ!」


 お腹の中にはもうひとり残っている。

安堵して力を緩める暇もないまま、痛みはまだ襲ってくる。


 がんばれって、声が聞こえてくる。誰の声なのかもう分からない。

立会いの望さんの声かしら。看護師の声かしら。それとも頑固そうな担当助産師の声? それとも。


 がんばれ、がんばれ。がんばれ、がんばれ!


 いくつものがんばれを、何度も耳に通したその時。


「産まれた!」


 はっきりと、望さんの声が聞こえた。産まれたって、声が聞こえた。

弱々しい産声を発する我が子がふたり。

その姿を見ることもなく。


「?!」


 続く痛みに体を九の字に折りそうになった。


 異変に真っ先に気が付いたのは助産師。

出産後の後処理をしようとしたところ、何かに気が付いたらしい。


「もうひとりいるわ」

「えっ?!」


 驚いたような声を上げたのは、わたしじゃなくて望さん。わたしは痛みに呻いている。

でも、少しだけ頭は冷静になっていた。既にふたりを外に出したからだとは思う。

 薄らと聞こえてくる話をまとめると、お腹の中にもう一人いて、その子は逆子という話。

だから、お腹を切るか切らないか……。

病院側としては帝王切開を勧めたい。そんな感じの話。


 わたしは望さんの腕を掴む。

びっくり跳ねる身体、寄せられる視線。

彼に視線で、強く、強く訴える。


 『切れ』と。


 痛みで言葉もうまく出せない。

だけど、子供を助けたい気持ちだけは本物だった。


 狼狽えていた望さんは、わたしの目を見て覚悟を決めた顔をした。

わたしは再び襲い来る痛みと戦う。

気が遠くなるほどの痛み。歪む視界。暗闇が襲ってきて。


 目が覚めたとき、わたしのお腹に縫い跡ができていた。

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