第3話「研究室の罠」
昼下がりの学園。
実技評価の余波がまだ胸の奥に残るハイネは、ナイアからのメッセージを受け取り技術研究棟へと向かっていた。
リラリの調子が安定しないのを見かねて、ナイアが特別にメンテナンスをしてくれるというのだ。
白いタイル張りの研究室。
工具と端末が整然と並ぶ中、リラリが作業台に横たえられている。
義手を外したその姿は、どこか儚げだった。
「心配しなくても大丈夫さ。俺、こういうの得意なんだ」
ナイアはいつもの明るい笑顔で言ったが、ハイネの胸はざわついていた。
昨日の戦闘、そして黒服の男たちの視線が頭から離れない。
リラリは静かに目を閉じ、ナイアの手で内部データを解析されていく。
そのモニターに、突然見慣れない暗号ファイルが映し出された。
「……これ、なんだ?」
ナイアの指が止まり、センドが眉をひそめる。
ファイル名は政府軍開発局の記号に酷似していた。
「リラリの体内データだ。……隠されてたのか?」
その瞬間、研究室の窓が砕け、閃光弾が投げ込まれた。
黒いスーツの男たちが煙の中から現れ、無言で銃口を向ける。
「来たか!」
センドが即座に前に出て、光学防御壁を展開する。
青いシールドが光を放ち、銃撃を弾いた。
ナイアはシールドの後ろで二丁拳銃を抜き、素早い動作で反撃を開始する。
ハイネは手元の訓練用銃を握りしめ、震える手で引き金を引いた。
弾は外れ、壁に穴をあけるだけだった。
目の前で繰り広げられる銃撃戦に、彼はただ必死で照準を合わせる。
一方、リラリは作業台から飛び降り、躊躇なく床を駆ける。
残る腕で素早く攻撃をかわし、敵を撹乱するように動く。
しかしその動きにはわずかな迷いがあった。
(私は……戦闘型。だけど、主人を守るプログラムは……持っていない。それでも、ここにいていいのか?)
銃弾が飛び交い、煙と火花が散る。
リラリの問いは誰にも届かず、胸の奥で渦巻き続ける。
その時だった。
黒服の男が投げた小型爆弾が、まっすぐハイネの足元へと転がっていった。
「マスター!」
リラリは考えるより先に跳び出していた。
爆風を受け止め、床を転がる。
鋭い破片が彼女の脚を裂き、機械の油が飛び散る。
「リラリ!!」
ハイネは叫んだ。
彼女は片膝をつき、顔を歪めながらもこちらを見上げる。
「……わかりません。ただ、守りたかったから……」
その言葉が胸を刺す。
ナイアが銃撃を続けながら叫んだ。
「いいパートナーじゃないか!」
戦闘はやがてセンドとナイアの連携によって収束した。
防御壁の影から放たれる弾丸が敵を次々と制圧し、黒服の男たちは撤退していく。
静まり返る研究室。
ナイアはすぐさまリラリに駆け寄り、損傷した足を応急処置すると、作業台の奥から義手のパーツを取り出した。
「実はさ、今日呼んだのはこれが目的なんだ。義手の調整、完成してたんだよ」
リラリの肩に新たな義手が装着され、機械音と共に指が動く。
片足の修理も施され、彼女はゆっくりと立ち上がった。
「……ナイア、ありがとう」
ハイネは深く頭を下げた。
リラリに向き直り、真剣な瞳で言う。
「……ありがとう、リラリ。俺を守ってくれて」
リラリは胸に手を当て、小さく微笑む。
その内部に、確かな温もりが芽生えたような気がした。
戦闘の余韻がまだ研究室に残っていた。
床には撃ち落とされた黒服の男のひとりが倒れており、ナイアがしゃがみ込んで胸元を探る。
やがて彼の手に、銀色に光る小さなプレートが収まった。
「……この紋章、見覚えあるな」
プレートに刻まれていたのは、政府高官しか持たない権限を示す紋章だった。
ハイネは息を呑む。
「これって……」
「そう。これに手を出すってことは、この国そのものを敵に回すってことだよ」
ナイアは眉をひそめたが、その瞳に宿る光は恐れではなかった。
むしろ好奇心が燃えているようだった。
「なるほど? 面白いじゃん。このデータ、俺がなんとかするよ」
「えっ、ナイア、危ないんじゃ……」
「心配すんなって。俺とセンドに任せとけ」
ナイアはにやりと笑い、リラリのメンテナンス記録や解析データをまとめて自分の端末に転送すると、そのままポケットにしまい込んだ。
センドが黙ってその背を守るように立つ。
静まり返る室内で、リラリはまだ戸惑ったままだった。
義手を握りしめ、青い瞳を伏せる。
「……私に主人を守るプログラムは、ないはず……なのに」
ハイネはゆっくりと歩み寄り、リラリの視線に合わせるようにしゃがんだ。
「でも、最初の時も、今も……守ってくれたじゃん。それって、リラリ自身が守りたいって思ってくれたからだろ?」
「……思った、から……?」
リラリの声は小さく震えていた。
彼女の演算子に、その概念はまだ定義されていないのかもしれない。
ハイネは優しく笑った。
「バイオロイドはさ、人と同じようなもんだろ? 心があるんだよ」
「……こころ?」
リラリはゆっくりと自分の胸に手を当てる。
そこには、ハイネが植え込んだ機械の心臓が脈を打っていた。
「では……ハイネ様が優しいから、私にこころが宿ったんですね」
その瞬間、彼女は初めてハイネの名を呼んだ。
ハイネは目を見開き、顔を赤らめて視線を逸らす。
「さ、さぁ! 帰るぞ!」
「はい、ハイネ様」
夕暮れの光が研究棟を染める。
二人は並んで歩き出した。ハイネの背を見つめながら、リラリは自分の胸に手を当て、まだ慣れない感覚を確かめるように、静かに歩を進めていくのだった。