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第2話 セイレーンの娘

「さてさて!何はともあれ先ずはその汚れた服装をなんとかせねばならんな!」


 エーデルシュタインは夕焼け色の瞳をギョロギョロさせながら、双子の服装を観察していました。あんまり不躾な視線でしたが、慣れっこな双子は顔を見合わせて、


「汚い?ノエル。」

「そうだよ。シエル。だって見てご覧よ」


 蜘蛛の巣が布の表面に張り付いていて、緑色のカビが服の裾を侵食しています。元々はシンプルな白いシャツとズボンだったはずなのですが、双子が不器用な手で何度も縫い直したせいで、ツギハギで、不格好で、なんともヘンテコな服に見えました。


「ヨハネ!二人をシャワーに入れろ!あと服だ!私が縫ってやろう!その薄汚いマフラーは要らないな!?」


 エーデルシュタインは手早く執事に命令すると、二人の首に巻かれたマフラーを指差しました。二人は思わずマフラーに目を落とします。これは、二人のお母さんが、二人を家から追い出す前に巻いてくれたものでしたから。


「ご主人様。」

「なんだ!?ヨハネ!」

「貴方様は素晴らしい頭脳をお待ちなのに、余りにも人の心がお分かりにならない。」

「ん?褒められているのか?貶されているのか?」

「シエル様、ノエル様。申し訳ございません。そのマフラーは私が丁重にお預かり致しますので、どうぞご安心ください。」


 ヨハネが優雅に一礼しました。なんだかほっとして、双子はマフラーを握りしめていた手を緩めました。エーデルシュタインは尚も首を傾げていましたが、何も言ってはきませんでした。


「シャワー室にご案内します。」

「ああ!ツルッツルのピッカピカに仕上げてきてくれ!」


 双子はなんとなく、エーデルシュタインとヨハネという主従のことが分かってきた気がしました。多分、エーデルシュタインはあんまり大人っぽくない大人で、ヨハネは彼の優しいお姉さんみたいなお兄さんなのでしょう。双子は手を繋いでいたので、お互いの思考が全く同じなことに気付いて、密かにくすくすと笑いました。





 ヨハネは階段をゆっくりゆっくり降りていきます。幼い双子の歩幅に合わせてくれているようです。双子は目を合わせて、パッと繋いでいた手を離すと、ヨハネの両側にぴったりくっつきました。そして、白い手袋に覆われた手に、自分たちの手をぎゅう、と握らせたのです。ヨハネは一瞬目を見開きましたが、すぐに優しい笑みを浮かべて、緩い力で握り返してくれました。



 辿り着いたシャワールームは、水色のタイルでできた、清潔そうな場所でした。奥に大きなお風呂もあって、それがまるでプールみたいで、双子はどきどきします。ヨハネが双子のシャツのボタンを外して、服を脱ぐのを手伝ってくれました。双子はバタバタ手足を動かして、早く早くお風呂で泳ぎたいと全速力で服を脱ぎ散らかしました。


「まずはシャワーを浴びましょうね。少し傷が痛むかもしれませんが、我慢できますか?」


 そう言われて、二人はお互いの体をじっと見下ろしました。白い柔い肌に、ミミズ腫れや、細かな切り傷や、青紫色の打撲痕が点在していました。そして何より、眼帯を外した彼らの目玉の周りには、大きな傷跡がありました。一瞬、二人の頭の中に、両親の顔がよぎりましたが、すぐに消えて居なくなりました。ヨハネが温かいシャワーを二人に掛けてくれたからです。水の勢いも弱めで、二人の傷を気遣ってくれているのが分かります。


「頭を洗いましょうね。痒いところや、痛いところがあったら仰ってください。」


 ヨハネは、なんだかいい匂いのするシャンプーで、二人の髪の毛を丁寧に洗っていきます。そのとき、手袋は外されていて、ヨハネの細い指がよく見えました。双子は鏡を見ながら、機嫌良く歌を歌います。


「双子の兄さんどこ行くの」

「双子の兄さん雲のうえ」

「双子の弟どこ行くの」

「双子の弟地の地獄」

「双子の兄弟どこ行くの」

「双子の兄弟お先真っ暗!」


 きゃはは、とお互いの頭の泡を飛ばし合います。泡が目に入ったノエルは、慌ててごしごしと目玉を擦ります。


「こら。擦ってはいけませんよ。水でよく流すんです。」


 その手を、ヨハネが止めました。二人が見ると、ヨハネもところどころ泡まみれでした。それが自分たちのせいだと気付いて、双子は真っ青になります。


「おや?お二方、どうされましたか?」

「服……」

「汚しちゃった……」


 二人は呆然としながら、正直に答えました。きっと怒られる、と思って、お互いの拳を握って、俯きます。ですが、上から穏やかな声が響きます。


「私の服なんて、気にしなくてよいのですよ。それよりも、傷は大丈夫でしたか?」

「う、うん……」

「大丈夫……」

「ならば問題ありませんね。さぁ、体を洗って、お風呂に入りましょう。貸切ですから、今回ばかりは泳いでもオーケーです。」


 驚きました。どうやらヨハネは、本物の天使様かもしれません。今まで双子の周りに、「私なんて」なんて言う大人は居ませんでした。それが自虐ではなく、美しい謙遜であることも、双子には新鮮に映りました。


 双子は体を洗って、思いっきり走ってお風呂に飛び込みました。勿論手を繋いで!ザッパーン!景気のいい音がして、ぶくぶくと口から泡が漏れます。ですが、なんだかおかしいのです。


(冷たいね……ノエル)

(なんだか変だね、シエル)


 そう、お風呂のお湯は、だったのです。とびきり冷たいという訳ではありませんが、シャワーで温まった体が冷えていくのを感じました。


 ぶくぶくぶく。


 双子が自分たちの背より深いところに沈んでいくと、底になにかありました。大人くらい大きなものです。よく見ると、頭のようなものもあります。わ、と双子が気泡を出しながら言った瞬間、水を伝って振動のようなものが伝わってきました。ぬらり、とその人が怪我動き、目の前までやってきます。


 目が合ったその人の体は、鱗で覆われていました。


 豊満な胸も、きっと美しかったであろう顔も、細く白い足も。全身ではありませんが、大部分が水色の鱗が生えていたのです。ですが、双子はそれどころではありません。母親の裸体ですらあまり見たことがない二人でしたから、初めて見る"女の人"にそれそれはびっくりしました。ガボガボ!急いで水面に急上昇します。


「シエル様!ノエル様!どうされましたか?」

「「お、おんなのひと……」」

「え?」


 二人は"水"から上がって、走ってヨハネの服の裾を掴みました。まだ心臓がバクバクしています。


 二人が恐る恐るお風呂の方を見ると、水面から半分、あの女の人の顔がのぞいていました。瞳孔がカッと開いていて、とても友好的な生き物とは思えません。


「「きゃーーー!!!!」」


 双子は甲高い悲鳴を上げました。

余計に強くヨハネの服を掴みます。ぐしゃぐしゃになっているだろうとは分かっていますが、それでヨハネが怒らないことも知っていたので。


「うふふ、お二方。あの方はエリザベスさんと言うのですよ。このヴィッラ・メメント・モリの住人です。」


 他にも住人の方はいらっしゃるのですよ、と上から優しい声が聞こえてきます。ヨハネはどうやら笑っているようです。揶揄われたような気がして、双子はぽかぽかヨハネの腰を叩きました。そうすると、余計にヨハネは笑うのです。


「エリザベスさんは、セイレーンの"成りかけ"です。鱗があったでしょう?もう理性はないので、出会したときはお気を付けを。あの方の歌声を聴いた者は、無条件に溺死しますので。」


 うふふ、うふふ。と何でもないことのように、ヨハネは言いました。双子は、エリザベスが女の人だから動揺したのであって、セイレーンだからびっくりしたのではなかったので、そうなんだな、くらいにしか思いませんでした。


 ててて、と手を繋いでシエルとノエルは、エリザベスの元へ走っていき、


「僕、シエル!」

「僕、ノエル!」

「「びっくりしてごめんね!仲良くしてね!」」


 エリザベスは相変わらず、水面から顔を半分出したままでしたが、喉から、


「キュクルルルル」


 と音を出して、また水の中へ消えていきました。


「あれは彼女なりの挨拶ですよ。よかった。気に入られたみたいですね。」


 パチパチパチ、とヨハネが拍手します。




 ピィーッ!!!ピィーッ!!!

「あ"ー!!アァー!!!!聞こえてるか!?双子!!服が出来たから今すぐ来い!!!最高傑作だ!!!ヨハネ!!お前も早く来い!!!」


 ツー、ツー、ツー……


「……主の無礼にも慣れていただきたいのですが、無理強いはしません。イヤなときはイヤだと、ハッキリ言うのがコツです。」



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