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25事件 ー密室の謎ー
25事件 ー密室の謎ー
緋乃村 誠
ミステリー推理・本格
2025年08月10日
公開日
1.2万字
完結済
「矢部。こりゃどうみても25だよな?」 「ですね。どうみても25です」  21歳の女性が殺された。部屋は鍵が掛かっており密室。そして殺人現場に残された『25』というダイイングメッセージ。 誰がなんの目的で犯行に及んだのか、またその手口はいったい...。

25事件ー密室の謎ー

「……矢部。こりゃどうみても25だよな」

「ええ、どう見ても25ですね」


 被害者の近くに『25』と血で書かれたダイイングメッセージ。部下の矢部と頭を捻ったが、どうみても数字の25にしか見えない。


 わからねぇ事をいくら考えても仕方ねぇ。

 俺は気持ちを切り替えることにした。


「で、容疑者は集まったか?」

「あとは被害者の元彼の二宮五郎さんだけでして、もうすぐ到着するそうです」

「そうか」


 被害者の名前は、佐藤心美。21歳。

 現場は彼女の住むマンションの一室。


 発見までの経緯としては、勤め先の店長が今朝7時になっても職場に来ないのを不審に思い、自宅マンションを訪ねてきた。


 マンションへ到着した店長は、常駐していた大家のおばちゃんに事情を説明。

 その際に、非番だったの矢部が、偶然マンションの前を通りかかった。

 矢部が事情を聞いて、3人はそのまま一緒に205号室まで行き、リビングで死んでいる佐藤心美さんを発見。


 死因は、背中に突き刺さったナイフによる失血性ショック死。刺さった位置からして、明らかに他殺。


 なお、3人が部屋に入る際に部屋に鍵は掛かっていた為、大家の持つスペアキーで開錠。


 ――つまり、密室殺人ってやつだ。


 刑事課に郷原あり。と言われたこの郷原龍彦ですら刑事を35年やってきて、密室殺人なんて初めてのことだった。


 さて、どうしたもんか……。


「あの……郷原先輩。俺、今日非番なんですけど……」

「馬鹿野郎! てめぇが第一発見者だろうが!」

「は、はい! すいません!」

「ったく! ちゃんと情報の整理をしておけよ!」

「はい!」


 いつものように怒鳴り散らかすと、矢部がメモを片手にぶつぶつと頭の中で整理を始めた。

 俺の頭の中にはもう事件の流れのイメージがあるが、出来ればこの山はコイツに任せたい。


 なんせ俺も今年で定年だ。

 コイツを一人前にしてやりてぇ気持ちはある。


「……矢部。死亡推定時刻は?」

「はい。えっと鑑識の報告によると、紫斑の具合や体温からして、昨夜の22時頃から23時くらいとのことでした」


 それくらい鑑識に頼らずに予想して欲しいもんだが、矢部にはまだ無理か……。


「で、そこの『25』と書かれたダイイングメッセージはどう思う?」

「そうですね。死の淵で難しいことは考えられないと思いますので、素直に犯人の名前か、犯人の特徴に関するモノかと思います」

「……ふむ」


 あと考えられるのは、犯人の年齢や名前なら画数か? または部屋番号……。カレンダーの25日には特に記載はない、か。


「あの、いまこっちに向かってる被害者の元彼の名前が二宮五郎で、もろに25なんですけど……」

「んなことわかっとるわ! まだ聴取を取ってねぇのに、憶測で犯人を勝手に決めつけんなって言ってんだろ!」

「すっ! すいません!」

「ったく、何年刑事やってんだ」


 はぁ。いかんな、歳をとると怒りっぽくなっちまう。今日そこは矢部に手柄を取らせてやりたいが……。


 俺は他に手がかりがないか部屋を見回す。


 エアコンの温度は26度。

 8月とはいえ、寒いくらいに部屋は冷えている。


「他には……」


 既に鑑識がいくつかの証拠になりそうな箇所へマーカ置いてるが、どれも違うな……。


「矢部、被害者の所持品はどうなってる?」

「えっとですね。部屋の隅に置かれた鞄の中から財布やスマホはありました。鑑識が確認しましたが、これと言って……」


 手がかりは無し、か……。


 しかし、妙だな……。

 被害者は玄関に背を向けてリビングで倒れている。


 つまり犯人に背を向けていたことになる。いきなり襲われたなら玄関で倒れるだろう。なぜリビングなんだ? しかも犯人に背を向けたまま……。


 犯人は顔見知りで、被害者が部屋に招き入れたか……。


「……はい。はい、わかりました。郷原さん、容疑者が全員ここの管理人室に集まったみたいです」

「わかった」


 犯人が顔見知りの可能性が高いなら、顔見知りを呼べばいい。


 ――俺と矢部は現場の部屋を出て、1階にある管理人の控室へ向かった。扉を開くと、そこには既に今回の事件の容疑者が待機していた。


 部屋にいたのは、チャラい格好に茶髪でサングラスを頭に載せた元彼の二宮五郎。

 そして被害者の上司であり勤め先の店長。

 ここの管理人をやっているおばちゃんの3人。


「お待たせしてしまい申し訳ありません。神奈川県警の刑事課 捜査1課2班の郷原です」

「同じく矢部です。本日非番のため、私服で失礼します」


 慣例に従って、俺たちは警察手帳を開いてみせた。


 全員が訝しげな表情で我々へ視線を飛ばすが、それは私服の矢部を警察か疑っているわけではなく、なぜ自分らが呼ばれたのかという疑念からだった。


「おいコラ。心美が殺されたってのは本当なんか?」


 元彼の二宮が、ぶっきらぼうに聞きながら一歩前へ出た。矢部の予想通り、この中で1番怪しいのはこの男だ。


「ええ、残念ですが……」

「……そうか」


 二宮は力無くふらつくと、ソファーへと腰を下ろした。この男の風貌からして突っかかってくるかと思ったが、予想外に大人しい。


「……ごほんっ」


 なるべくこの場の指揮を矢部にやらせたくて、俺はわざとらしい咳をすると、矢部もそれに気付いて皆へ声をかける。


「……えーっと! 皆さんも腰を下ろしてください! 事件についてお聞きしたいことがあります」


 皆は一瞬顔を見合わせると、それぞれがソファーへと腰を下ろした。悪いが俺も腰が痛いから座らせてもらおう。


「えー、本来なら個別に取り調べをするのですが、事件についての説明だけ、この場でやらせてください。話の途中でもし違う点がありましたら、遠慮なくお声がけください」


 全員がそれに対して頷くと、矢部は事件の説明を始めた。


「まず石山理香さん。佐藤心美さんのお勤め先であるスーパーの店長さんだとのことですが、間違いありませんか?」

「はい。今日は7時からのシフトだったのに、7時15分になっても心美ちゃんが出勤してこなくて……。彼女は無断欠勤なんてする子じゃないので、すぐに電話しました」

「心美ちゃん? ですか? 佐藤さんではなく?」

「あ、えっと私と心美ちゃんは良く飲みにいく仲でして……」

「なるほど、どうぞ続けてください」


 店長の石山は余計なこと言ったかな? と少し不安そうな顔をしたが、軽く深呼吸すると唾を飲み込み話を続けた。


「心美ちゃんにいくら電話をしても出ないので、ここに向かったんです。スーパーとここは徒歩3分程度でしたから……」

「そしてマンションについて、すぐに管理人のおばちゃんに事情を説明したと?」

「そうです。そこからは管理人さんと一緒でした」


 おばちゃんは呼ばれて、少しビクッと体を揺らした。管理人のおばちゃんの名前は秋田陽子。雇われのアルバイトで、見た感じ60代。少し耳が遠いらしい。


「管理人さん。今の証言は合ってますか?」

「はい?」

「いや、今の話は合ってますかと」

「ああ? ああ、はい。そのお姉さんが管理人室に来たんですよ」

「……わかりました」


 矢部が少し汗をかき始めてきた。

 おいおい、まだ話の中では現場までこれてねぇぞ。話の持っていき方もなっちゃいねぇ。今度ちゃんと教えてやるか……。


「えーっとすみません、管理人さん。こちらの店長さんが受付に来てからの話をお願いしても良いですか?」

「はい……。そちらのお姉さんが息を切らしてやってきて、205号室の様子を確認したいというので、部外者を入れるわけにはいきませんと説明をしていたら……」

「非番だったうちの矢部が通りかかったと」

「あ、そうです。郷原さん」


 ここまでの話で不審な点は何も無い。

 強いて言えば、矢部が偶然通りかかったことくらいだが、矢部の家はこの近くだし不自然はない、か。


「矢部。3人は一緒に部屋に向かったのか? 目は離してないか?」

「はい、俺が管理人さんから鍵を受け取って、3人で一緒に向かいました」


 矢部からの話より現場にいた2人に喋らせたい俺は、矢部に顎で喋らせろと指示を出すと、矢部もそれを理解した。


「すみません。その時の様子を店長さんお願いします」

「はい……。えっと、私達が心美ちゃんの部屋の前まで来たら、こちらの警察官の方がドアを叩きながら『もしもし! 佐藤心美さん! 大丈夫ですか?!』と確認をして、数秒待ちましたが返事がなかったので、『開けますよ!』と声をかけてから、ガチャリと鍵を開けて中に入りました」


 管理人のおばちゃんも頷いてるから、状況は合っているのだろう。


「それで俺が入ったら、リビングで倒れてる佐藤心美さんを見つけて、2人は部屋の外で待機させて俺だけが部屋へ入りました」


 だからお前が喋んじゃねぇよ。犯人しか知らない情報を漏らすかもしれねぇだろ。なるべく容疑者には喋らせる。これが鉄則だろうが……。


 俺は我慢ならなくなって、気付いたら口を開いていた。


「あー、店長さん。今の話で他に何か気になることはありませんか? 何か音や声を聞いたとか、違和感があったとか」

「えぇー、何かあったかな……。あ、そういえば刑事さんが部屋に入ったあと、ピッピッて電子音が聞こえたような?」

「ふむ。そうですか……」

「つかよ。俺は関係ねぇんじゃねぇか?」


 それまで黙っていた元彼の二宮が口を開いた。

 足を組んで明らかに態度が悪い。

 自分がなぜこの場に呼ばれているのかすらわかっていない様子だ。


「俺も漫画は良く読むけどよ。つまり部屋は密室だったんだろ? 自殺じゃねぇのか?」

「いえ、ナイフは背中にまっすぐ刺さっていました。自殺では出来ない場所です」

「ふーん。まぁ俺には関係ないけどな」


 あくまで関係ないとしらを切る二宮。その言葉にいち早く反応したのは店長の石山だった。


「ちょっと! 私は知ってるんだからね! あんた、心美ちゃんにお金を貸してくれってしつこく迫ってたでしょ!」

「は? 違ってねぇけど……ちげーよ!」


 違ってねぇのかよ……。

 まぁいい少し喋らせるか。

 すかさず矢部も聞き入った。


「あのぉ、どういうことですか?」

「私は心美ちゃんから相談を受けていたのよ! 元彼がお金を貸してくれってしつこく言われてて、辛いって!」


 その言葉に二宮の目が泳ぐ。

 全員の視線も二宮に注がれる。


「……ああ。心美に金を借りてたのは本当だよ。昨日だって借りに来たけけど、断られてすぐに帰ったしよ」


 昨日も借りに来ただと?

 矢部はそれに対してさらに信じられない事を言った。


「防犯カメラに映ってた人物は、やっぱり二宮さんだったんですね」

「ちょっとまて! 矢部! 俺は聞いてねぇぞ!」


 思わず立ち上がって矢部を怒鳴りつけた。

 現場で聞いた時には、そんな話は出てなかったからだ。


「えっ……。あ、すみません。郷原さんが来る前に、おばちゃんと監視カメラの映像を確認したんです。あれ? 言ってませんでしたっけ?」

「クソが! テメェ、後で覚えてろ……」

「あわわわ……」


 もうダメだ。こいつに任せてられん。

 俺は凍り付いた場をほぐす様にわざと苦笑いをした。


「ハハハ。すみません。部下の連絡ミスがあったようです。で、二宮さん。佐藤心美さんの部屋に訪れたのは何時頃ですか?」

「お、おう……。確か、22時頃だったと思う。すぐ帰ったから22時半にはここを出てるな」


 矢部の見立てた死亡時刻は22時から23時。

 タイミング的にはドンピシャだが……。


「そのあとはどこへ?」

「ん? あぁ、金もねぇしパチ屋も閉まってるし、ダチの家も追い出されたばかりだからよ。公園で酔っ払いのおっさんと朝まで語り合ってたぜ」


 その後のアリバイはあるのか。

 俺は、落ち着きを取り戻したの思われる矢部へ視線を向けた。


「矢部。防犯カメラの情報を出せ」

「は、はい……すみません。俺が確認したところ、22時頃に男がマンションへ入り、その15分後には出て行ってます。それ以外は朝まで特にデータはありませんでした」

「データはありませんでした? どういうことだ?」

「えっと、ここの防犯カメラは24時間録画ではなく、安い動作検知式なんです。監視範囲内で何かが動くと自動で録画するみたいで……」


 なるほど。だからそれ以外のデータがありませんでした、か。つまり二宮以外の訪問は無かったことになる。


「あ、その端末です。フォルダは開いたままなので見てください」


 言われて部屋の隅を見ると、確かに古い形のパソコンが置いてある。

 「少々お待ちを」と皆に声をかけて俺はパソコンを操作すると、確かに昨日日付のフォルダには二宮が入ってくる動画と、出ていく動画の二つだけ。


 今日の日付のフォルダには、朝4時に管理人室へ入るおばちゃんの動画からだった。


「……確かにな」


 現状、元彼の二宮には動機もあり、出入りした証拠もある。ちょっと揺さぶってみるか……。


「現状、二宮さんが非常に怪しく思えてしまうのですが……。どう思いますか?」

「そうよ! あんたが心美ちゃんを殺したんでしょ!」


 店長のその言葉に二宮は激昂して立ち上がった。


「はぁ?! 俺じゃねぇよ! それに密室のトリックはどう説明を付ける気だよ!」


 二宮の言う通りだ。

 この男、見た目通りのではなくて意外と賢いのかもな。


「しらばっくれんじゃねぇ! お前がやったんだろ!」


 立ち上がった二宮に、矢部が掴み掛かった時だった。


 チャリーン


 2人の間から鍵が落ちた。

 全員の視線がその一点へ集中する。


「あ、あぁ! 鍵! これ心美の部屋の鍵よね?! 管理人さんどうですか?!」


 店長が慌ててその鍵を拾うと、管理人のおばちゃんに手渡した。指紋が付くから勝手に触るなと言いたいが、もう手遅れだった。


「……同じです。これ205号室の鍵です!」

「二宮ぁぁあ! やっぱりお前か!」


 矢部が俺直伝の柔術で二宮を組み伏せると、腰から取り出した手錠を二宮の腕へ掛けようとした――が、それを俺が止めた。


「……矢部。勝手な事をすんじゃねぇ」

「でも郷原さんも見てたでしょ?! こいつから鍵が落ちるのを!」

「だから知らねーって! 俺じゃねーよ!」

「2人とも落ち着け! 話はまだ終わってねぇ!」


 その一言で、興奮する2人は少し押し黙った。

 俺は矢部を入り口へ突き放すと、二宮をゆっくりとソファーに座らせて謝った。


「二宮さん。部下が申し訳ありませんでした」

「……いや、まぁ俺もこんなナリだし、疑われるのは仕方ねぇけどよ。……俺は殺してねぇからな?」

「はい。あなたは犯人ではありません」

「「……え?!」」


 俺のその言葉に全員が同じ言葉を口にした。


「いや、この人でしょ! だって昨日の夜に心美ちゃんの家に行ってて! 動機だってあるし! 今だってこの人から鍵から落ちてきたのよ?! 全ての証拠がこの人を指してるじゃない!」


 店長さんが早口で激しく捲し立てる。

 二宮はその迫力に押されて引き気味で、管理人のおばちゃんはうんうんと頷いている。


「まぁまぁ、この件に関する私なりの見解を述べますので、それを聞いてからでも遅くはないでしょう?」


 そう説明すると、皆は落ち着きを取り戻した。


 この時点で、もう俺には誰が犯人か分かっている。しかし動機がわからねぇ……。こればかりは話しながら紐解いていくしかねぇな。


「まず。死亡推定時刻について、記録によると発見時、室温は26度で遺体の体温もそれに近い状態だった。矢部、合ってるな?」

「……そうですね」

「そして、死後の体温の低下はおおむね1時間に1度。通常なら死後10時間くらいでここまで下がるので、死亡時刻は22時頃〜23時頃だと予想が付く」

「はい。鑑識の話的にも22時〜23時くらいとの話でした」


 そう。死んだのが仮に22時で検温したのが8時頃なら、死んでから9時間。体温が36度から下がっても26〜27度。合っている。


 だが……。


「――矢部。もし、犯人が死亡時間をずらす為に、エアコンの温度を変えていたら?」

「……そ、その場合は、もちろん死亡推定時刻がズレてきます」


 その話を聞いて、店長が「あっ」と声を出した。


「室温が26度って言いました? それおかしいです。心美ちゃんは寒がりで、いつもスーパーの休憩室も28度に設定していましたから」

「なるほど……。では、仮に室温が28度だったとして、体温36度から室温の28度を引くと、死亡したのは8時間前。……死亡推定時刻は夜中の1時〜2時」


 もちろん犯人がエアコンの温度をいじった証拠など、どこにもない。これはあくまで仮説だ。だか証拠はなくとも証言はある。


「……なら、俺は関係なくねぇか?」


 それまで黙っていた二宮が名乗り出た。


「いやよ? 仮に死亡時刻が1時〜2時なら、俺はそのとき公園でおっちゃんと飲んでたぜ?」

「そんなの証拠にならないでしょ!」

「は? お前漫画読んだことねぇのかよ? つか、お前こそ犯人なんじゃねぇのか? 昨日の夜のアリバイあんのかよ!」

「なんですって?!」

「……2人とも落ち着いてください。お二人は犯人ではありません。もちろんおばちゃんもね」


 ガタっとローテーブルを揺らして二宮が立ち上がる。


「はぁ?! じゃあ誰が心美を殺したっていうんだよ! 誰が密室を作れるんだよ! まさか心美が刺された後に、自分で鍵を締めたなんていうんじゃねぇだろうな?!」

「違います。なぁ? 矢部」

「……へ?」


 俺が振ったことで、全員が矢部へ視線を送る。その意味を全員が薄く理解した。


「え、まさか。この刑事さんが……?」

「ええ?! ちょ! 郷原さん! なんの冗談すか? 犯人を炙り出すための演技ですか?」


 矢部は身振り手振りで否定するが、俺はソファーから立ち上がって、さりげなく他の3人と矢部の間に立った。


「お前しかいねぇんだよ。密室を作れるのも、佐藤心美さんを殺して証拠を隠滅出来るのもな」


 俺の決めつけに対して、店長が異論を唱えた。


「あの、でも矢部さんは私たちと一緒に部屋まで来て、一緒に鍵を開けたんですよ? それは間違いありません。ね? 管理人さん」

「ええ、そうですね。ガチャンという音を私も聞いていますし……」


 その言葉を聞いて、俺は思わずおばちゃんを指差した。


「――それですよ」

「はい?」

「佐藤心美さんの部屋は、元々鍵なんて掛かっていなかったんです」

「えぇ?!」

「理屈は簡単です。おばちゃんは鍵を矢部に渡して3人で部屋まで行った」

「そうですよ? その後に彼がドアを叩いて――あ」


 店長もおばちゃんも気付いたみたいだ。

 まさか目の前で密室が作られていたことに。


「そう。矢部は、ドアを叩きながらんですよ。そうだよな? 矢部」


 部屋の中に不穏な空気が流れた。

 さっきまでポンコツ刑事だった男が一転、殺人犯になったのだがら無理はない。


「いやいやいや、郷原先輩。待ってくださいよ!」


 笑いながら近付いてきた矢部に対して、俺はホルスターの拳銃へ手をかけた。


「待たねぇよ。お前はドアを叩きながら鍵を閉めた。そして、鍵を開けるところを2人に見せてから部屋に入り、念の為2人には部屋に入らないように指示。その隙にエアコンの温度を26度へ下げた。違うか?」


 矢部の表情が曇る。

 口角が下がり息が荒くなる。

 店長は、自分が最初に証言した自分の発言を思い出した、


「……そっか。私が聞いた、あのピッピッて音は、エアコンの音を下げる音だったんですね?」

「ええ、恐らく」


 これで密室のトリックは解けた。


 事件の流れは読めたが、これからの矢部の行動が読めない。3人を守りながら矢部を無力化出来るだろうか……。少し時間を稼ぐか……。


「そもそも被害者の倒れてる位置が、玄関に背を向けてる時点で、元彼の二宮は犯人じゃない可能性が高かった。金の無心をするような人間を簡単に部屋に入れますかね?」


 監視カメラは、どうせ確認すると言って矢部が消したんだろう。ここのは動体検知だから、夜中の2時頃のデータを丸ごと消してもバレはしない。


「だが、わからないこともあります。それは、矢部が佐藤心美さんを殺す動機だ」

「――あれ、郷原さん。ダイイングメッセージの謎は解けたんですか?」


 もちろん解けている。

 解けているからこそ理解したく無かった。


「……あのぉ、ダイイングメッセージってなんすか?」


 二宮が割って入る。

 そういえば、こいつにはダイイングメッセージのこと言ってなかったな。


「被害者の近くに血文字で書いてあったんだよ。『25』って数字がな」


 単純に考えれば、あの『25』は、被害者が犯人の名前を告げようと書いたものに見えるが、あれにはまったく違う意味があった。


「……え、じゃあこの刑事が俺に罪をなすりつけようとしたってことだよな?! さっきの鍵も、俺から落ちたように見せかけたんだろ?!」


 二宮が矢部に殴りかかろうと苛立ちで立ち上がるが、俺は背中でそれを制御した。矢部は非番で私服だが、どこに拳銃を隠し持っているかわからない。


「矢部、あのダイイングメッセージ。あれはお前がわざと残したな? そもそも被害者は、背中を刺されて死んでるから指に血を付ける事が出来ねぇよな」


 時間を稼げば、上にいる鑑識班の奴らが降りてくる可能性が高い。時間を稼ぐしかない。


「――ククク。いやぁ、やっぱり郷原さんは最高ですね」

「……矢部」


 矢部は顔を手で隠して、ニヤリと笑った。その顔は今まで見てきたどの矢部とも違う。なにかに取り憑かれた目だった。


「そうです。あのダイイングメッセージね。あれは殺した後に、俺がわざと残したんですよ」


 矢部はさらっと自白した。

 自分が佐藤心美を殺したと。

 そこに反省の色は見えない。

 それが俺には1番堪えた……。


「テメェ! やっぱり俺に罪を被せようと!」

「うーん。半分正解、半分不正解です」


 考えたくは無かったが、あれは殺人犯が自分の作品に署名するかのような行為だったのだ。


「……矢部。あれはお前の名前を示していた。アルファベットの25個目はY。2個目はB、そして5個目はE。それらを並べるとYBE……」


 矢部はパチパチと手を叩く、その恍惚とした表情からは何も読み取れない。本当の殺人者とは、こうも心が読めないものなのかと俺は戦慄した。


「いやぁ、郷原さんが事件を解けなかったらどうしようかと思って、念の為に『25』ってヒントを残したんですよ。根拠なしに私を疑うようでしたら、二宮五郎に疑いがいくだけでしたし」


 その言葉を聞いて、俺は違和感の正体に気づいた。


「――いや、ちょっとまて。まさか、佐藤心美さんは、25を名前に持つ二宮五郎の元恋人だったから殺されたのか?!」

「えぇ、そうですよ」


 逆だったのだ。

 矢部と佐藤心美に接点はない。

 矢部は25=YBEを使えるという、ただそれだけの自分都合で二宮五郎をターゲットとして選んだ。


「二宮五郎は過去に何件か傷害事件を起こしてましてね? 佐藤心美さんと二宮の繋がりは調べがついてましたから「二宮が部屋に監視カメラを仕掛けてるから取り外します」と言ったら、簡単に部屋に入れてくれました」


 たいていの殺人犯は、承認欲求の塊だ。


 愛するゆえに殺す。

 愛してくれないから殺す。

 自分の存在を社会に知らしめたいから殺す。

 誰かに自分を見つけて欲しいから殺す。


 矢部の場合は、いつも俺に怒られてる故に、頑張ったでしょ? 僕がやったんだよ。という自己顕示欲のために証拠をあえて残したってことか?


「しかし、動機がわからねぇ。なぜ佐藤心美さんを殺した」

「あれ? わからないんですか? 郷原さんのせいですよ?」

「俺の……?」


 突然の告白に思考が止まった。


 ――佐藤心美が殺されたのは俺のせい?


 どういうことだ? 何か過去の事件に関係しているのか? と記憶を探ったが、この場にいる誰もが初対面だ。


 俺が考えあぐねていると、矢部がゆっくりと口を開いた。


「言ったじゃないですか。郷原さんはって」

「な……っ」


 俺は絶句した。

 一瞬天地がわからないほど視界がぐるりと回り、思わずソファーを掴んで踏みとどまった。


「……まさか。それだけか? それだけのために?」


 確かに言った。

 去年の暮れ、矢部や他の捜査二課の連中と飲んでる時に「一度くらい密室殺人とか担当して見てぇな」と、酒が入っていたし半分冗談もあった。


 しかし、刑事として難事件に挑んでみたいという気持ちは確かにあった。

 それが、まさかこんな事件を引き起こしてしまうとは……。


「俺に恨みがあるとかじゃないのか?」

「恨み? あはは、あるわけないじゃないですか! 俺は郷原さんを心の底から尊敬しているんですよ。だから最高のフィナーレを飾って欲しかったんです」

「……い、イカれてる。ただそれだけのために! 1人の罪の無い女性を殺したというのか?!」


 俺は今までで何人もの凶悪犯と対峙してきた。

 時にはヤクザやヒットマンみたいな奴とも戦った。

 しかし矢部は、その誰よりも底知れぬ何かを持っている。それは理解出来ないし、してはいけない。


「――でも、失敗しちゃいました」


 カチャ!

 カチャ!


 矢部が銃を取り出すのと同時に、俺もホルスターから拳銃を抜いて銃口を矢部に向けた。


「やめろ! 矢部! ここにいる誰1人! もうこれ以上傷付く必要はない!」


 二丁の拳銃が互いを見つめ合う。

 緊張感が俺の筋肉を固くする。


「あーあ。これを機に、第二弾、第三弾の25を用意していたんですが……。まさか第一弾でバレちゃうなんて、想定外ですよ。郷原さん」


 視界の端で、店長や管理人のおばちゃんは恐怖で縮こまっている。下手に騒がられるよりマシだが、この距離では防げて1発。死ぬ気で止めるしかない。


「もっと郷原さんと一緒に事件を解決したかった……」

「俺だって、もっとお前と事件を解決したかった。なのに……!」

「ですよね? なら、そこの3人を殺して、二宮に罪を被ってもらうのはどうです? 俺がもっと楽しい事件を用意しますから」

「なッ……」


 意味不明な提案をする矢部。その目は狂気で焦点が定まっていない。もはや説得は不可能な状態だった。


 ガチャと、矢部の拳銃の撃鉄が上げられ、銃口が俺から店長へと向けられる。


 もうダメだ。

 すまん、矢部!


 俺も撃鉄をあげて、矢部の左太もも撃った。

 パァン! という乾いた音が狭い室内に響き渡る。


「きゃぁああ!」

「うぉ!」

「――ぐぁっ!」


 皆が発報に叫ぶ中、堪らず膝を折る矢部。

 俺はすかさず矢部の右手に喰らい付くと、無理やり拳銃を奪って部屋の隅へ放り投げた。


「矢部! 観念しろ!」

「がっ!」


 矢部を得意の柔術で押さえ込むと、俺は急いで腰から手錠を取り出して、素早く矢部の両手に手錠を掛けた。


「……はぁはぁ。よしっ」


 俺は急いでハンカチを取り出すと、血が滴る矢部の左足へ強く押し当てる。


「ぐぁっ!」

「落ち着け! 矢部! 致命傷は外れてる!」


 矢部は痛みで顔を歪めたが、しだいにその声は笑い声へと変わっていった。


「……はぁはぁ。うぅ、ぅぐく――ククク、ハハハ! 痛い、とっても痛い……。やった、ついに郷原さんの夢を叶えられた!」

「矢部……?」


 後ろ手で手錠をされた矢部は、足の痛みなど無いかのように笑っている。その笑いはどこか子どもじみていて無邪気な笑いだった。


「郷原さん言ってたじゃないですか。って」

「おま……ッ!」


 俺は矢部をぶん殴りたい欲求を抑えて、矢部の傷口を押さえ続ける。部屋には血の鉄臭さで満たされ、血で手が滑る。


「あの……。こ、これ拾った方がいいですか?」


 俺が投げ飛ばした矢部の拳銃を二宮が拾おうとした。すかさず俺は怒鳴り散らす。


「馬鹿野郎! 素人が触るんじゃねぇ! 」

「――ふふ、郷原さん。大丈夫ですよ。俺の拳銃、元々弾なんて入ってませんよ」

「な、お前はいったい……」

「だから言ったじゃ無いですか、俺は郷原さんに素敵な事件を提供したかっただけですよ」


 完全にイカれてやがる。

 コイツは何をしたいんだ?!

 なぜそこまで俺に執着するのか、それを矢部に問い詰める前に、バキッ! と管理人室のドアが強引に打ち破られた。


「開いたぞ! 郷原警部補! 銃声が聞こえましたが大丈夫ですか?! なっ!」


 鑑識班が続々と管理人室へやってきた。

 どうやら矢部が鍵を閉めていたらしく、ドアが開かなかったようだ。


「や、矢部さん?! これはいったい……」


 管理人室には、血を流す矢部とそれを介抱する俺。そして部屋の隅に飛んだ拳銃を拾っていた二宮。


 当然の如く鑑識班の連中は、拳銃を持つ二宮に殺到した。


「あいつだ! 確保!」

「痛っ?! お、おい! 俺じゃねぇよ?!」

「確保! 犯人確保ーーーッ!」

「うわぁあああ!」


 管理人室はごった返し、鑑識班が無線で応援を呼ぶ中、矢部は静かに笑っていた。



 ――後日。


 俺は取り調べ室の窓際の椅子に座っていた。


 目の前には鋭い視線を送る若い刑事が、何枚かの資料を手に難しい顔をしていた。


「……郷原警部補。最後に聞きたいのですが、矢部はあなたに最高の事件を用意したかった。そこへ至った理由に何か心当たりはありますか?」


 わかるわけがない。

 矢部が何を考えて1課にいたのか、俺の下で何を感じていたのか。の気持ちなんてわかりたくない。


 ――でも。


「矢部は……。俺に憧れていたらしい。こんな老いぼれに憧れたところで何もないのにな……」


 声にならない声で呟くと、俺は目を伏せた。


 あの日のことが脳裏をよぎる。

 矢部の笑み、その狂気じみた自己顕示欲――。

 俺には一生理解出来ないだろうし、したくねぇ。


 目を開けると、壁に掛けられたカレンダーが目に入った。


「――今日は25日か。嫌な日だ」

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