ぬらり、と湿った金属光沢が陽に
触角と細く長い脚まで含めれば一間強(約一.九メートル)はあろう巨体だ。翡翠と藍、銅の斑がまだらに散った
真宵が息を呑むより早く、前に出た立羽の背に大きな蝶の
薄紅と深紅の二層が重なるそれは、彼岸花の花弁を幾重にも織り上げたかのよう。
赤い鱗粉が彼女の全身を包み込んでいた。白い頬は血色が増し、瞳孔は開いている。
斑猫が地を三度刻み、矢のように突っ込んでくる。ひゅっ、と風の筋が走るほどの直線。
立羽の羽衣の袖が揺れて、呼応するようにその両翅から赤い鱗粉が粒子の帯となって前方に散った。それをまともに浴びた斑猫は、弾かれたように飛び
羽ばたいて距離を詰めた立羽は、前脚で顔をこする斑猫を冷徹に見下ろして、指先で小さく弧を描く。
「
刹那の囁きののち、撒かれた粉が空中で糸に変わった。朝露を連ねた蜘蛛の巣のような赤透明の束が、蟲の頭部と胸部との間の節に巻きつく。斑猫の長い六本の脚がバタバタと苦しげに
ギチチ……ギッ、ヌチッ、パキャッ
糸が締まっていき、蟲の節が嫌な音を立てる。
立羽の右手のひらが、ひらりと斑猫に差し出された。まるで女神が救いの手を差し伸べるかのよう。
その優雅で美しい手のひらが、次の瞬間きゅっと閉じられ、拳となった。
ブツンッ……ゴトッ! ビチャチャ、ブチ、ビチャ
斑猫の頭部が落ちて地面に転がり、粘着性の体液が溢れ出す。それでもなお、凶悪な大顎は開閉を繰り返し、脚は蠢いている。
それらに向かい、立羽は片手をかざした。
「
斑猫の残骸に赤い鱗粉が集まっていく。立羽の背から生える両翅が悠然とひとつ羽ばたいて前方に風を送り込むと、残骸は砂のように細かくなって飛んでいった。
一瞬の空白。真宵は息をするのも忘れてその光景に見入っていた。
呼吸の乱れもなく、羽衣に汚れひとつ付けずに勝利を収めた美しい蝶。
「あの」
恐る恐る真宵が発した呼びかけに、彼女は振り返る。
赤い瞳が、ぎらりと燃える。
「っ……」
真宵は喉が詰まったようになって、二の句を継げなかった。その怯えを、立羽は見逃さない。彼女の背から、役目を終えた両翅が霧散する。頬の赤みが引いていき、瞳から闘志が消え去る。
眉尻を下げて立羽は言う。
「怖いと思われましたか。申し訳ございません。半蟲化して戦闘を行うと、蟲としての本能が刺激されて身体が昂るのです」
真宵は首と両手をブンブンと振って否定する。
「いえっ、怖いだなんて……少し驚いただけです。守ってもらったのに、気を悪くさせてごめんなさい」
「夜華君、あなたは謝ってばかりでいらっしゃる。あまり私にお気遣いくださいますな」
「……はい」
「さあ、ほかにも蟲が集まってくるといけません。参りましょう」
言うが早いか、立羽の輪郭は白い粒子状に
ひら、ひら――その場で静かに羽ばたく。
「その姿で……戦うこともあるのですか」
赤い蝶は答える。
「ございますよ」
「そんなに小さいのに」
「ふふ。
「強そう……」
「ええ、強うございます……が、あまりその姿では戦いたくないのです。蟲の姿で戦うと、初めはいいのですが、次第に理性の枷が外れて見境がつかなくなりますゆえ」
「なるほど……見境が……」
「知識として覚えておかれませ。蟲間が蟲に変態して戦うのは、
真宵は頷き、朱色の羽衣を深く被り直した。遠くから、大地の
国境の兆し――
木々の影が薄れ、風が熱を帯びてきた。
やがて視界が開けて、荒野が目の前に現れる。