つい数分前までは、多少傍若無人な気がありつつも、神の如く秀麗だった男。その彼は、今や悪魔や死神のように
炯々とした眼光が、未だ獲物を捉えた捕食者の如く僕を射抜いている。先まで見え隠れしていた人間的側面の一切は、鳴りを潜めた。表層から芯部に至るまで、まるで獣のような獰猛さを孕む姿。そこから人としての感情は、寸分たりとも読み取れない。話の通じる相手ではなくなったのだと、直感的にそう悟るほどに。
これほどまでに様変わりした彼が、人間らしく問い質すなんて真似をするようには思えなかった。外見は同じだというのに、中身だけを猛獣と
「言っただろ?
「ま、待ってくださいよ!! 今までそんな
「仕方ねえよな。これも監視官に見付かるなんて
「じ、冗談ですよね? こんな馬鹿げた話ないですよ!?」
「ああ、心配は要らない。リードは俺に任せてくれ。侵入経路も潜伏している仲間の有無についても、俺達はまだ何も分かち合えていないんだからな。そんな状態で無体を強いるなんて、紳士じゃないだろ? こっちも手土産なしで帰省したんじゃ、ボスに面目が立たない。そんな訳で、簡単に殺したりはしねえ。汚れたシーツは埃が出なくなるまで叩く——これが
全く話を聞いてくれない男の異常性に気付くまで、
何だこの緊急事態。何だこの絶体絶命。今までの和やかさはどこへ行った? 男は僕の左手を後ろ手で押さえ付け、右手を踏み付けにし、更に背の上に腰を下ろして抵抗の一切を捩じ伏せた。しかし、僕も蹂躙される実状を安易に良しとはできなかった。拘束された両手に力を入れる——丁度その時。
「うわああああああ!!」
耳を
止め
右肩に空いた穴から、ダラダラと出血が止まらない。そのせいなのか、生暖かい感触が右半身に広がっていく。じわじわ失われていく
「ここの警備は最高水準に匹敵する程度に、クラッキング・施設への直接侵入への対策が綿密に敷かれている。だが、それを難なく突破したのがお前という訳だ。実際監視カメラの配置に死角はない。カメラそのものを乗っ取るにしても、極めて攻略困難なファイヤーウォールが準備されている。
「そ、んなの、覚えてないってさっき——」
男は僕の両腕を背後に回し、ベルトポケットから取り出した手錠でそれを
痛みに喘ぐ僕を、足蹴りで仰向けにすれば、恐怖に滲んだ僕の瞳と残忍に歪む男の瞳が
更に、男は顔色一つ変えぬまま、傷口に
その瞬間、僕は悲痛な叫び声を上げる。しかし即座に
男にマウントポジションを占められ。互いの視線を一致させるために髪を鷲掴みにされ。更には
確然たる力量差を見せ付けた上で。男は途端に大人しくなった僕に対して、一音一音を明確に発音した静かな声音で問い掛ける。
「いいか? 【質問に答えない】という選択肢は、お前には用意されていない。面倒だが仕切り直しだ。お前はどこからここに入った?」
「分かりません。記憶にない、んです。気が付いた、ら、ここにいて——い”っ!!」
「……強情な奴だ。結構結構」
掴まれた頭をガツンと床に叩き付けられ、身体はくたりと静かになる。急に焦点の合わなくなった両目は虚ろになり、打ち付けられた後頭部の激痛に悶絶する身体は、一度だけ跳ねた。だが、それさえも男に押さえ付けられて静止する。突発的に開き掛けた口からは、意味を持たぬ言葉しか生じない。加えて、身体は指一本たりとも動かない。脳からの信号が途絶えて動けないのだ。
男は、動作も言葉も失くしたこちらに全く気を緩めることはせず、ただじーっと静観し続けている。単純に観察すると言っても、数分待てども動く兆候のない僕を見下ろすだけの行為だ。当然飽きが生じたであろう男が、次に起こしたアクションは、「おい」と無骨に声を掛けることであった。続け様に「死ぬなら
しかし、最も恐ろしかったのは彼の発言や行動などではない。人間味のない行為を平然と振る舞う彼自身こそが、恐怖そのものに他ならなかった。
——怪物——。
ただ目の前にいるこの男は、普通の人間などではなく、怪物なのだと。そう思った。