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09 «真相»

「ええいままよ! 第一級接触禁忌種厳重管理区域って何ですか!? 危険生物って、一体何を隔離してるんですかここはっ!? 窓の外は真っ白で何もない地面が続いてる……けど、誰かの執拗な視線を感じるような気持ち悪さがあるし……。と、とにかく全部が意味不明なんですけどっ!!」


 よし言った。若干負けた気もするが言ってやったぞ。

 息巻いて、疑問を隈なくち撒ける。すると、彼は少し面食らったように目を瞬かせて、その後諦観したように淡白な瞳でこちらを見返した。その視線の先は、僕越しにカーテンの奥に向いていたような気もしたけれど。


「……何だ。窓の外、見たのか?」


「あれ……。言ってませんでした、っけ……? 一応その話は重要事項じゃないと思って、えて説明から省いたんですけど……」


「——ってのに、馬鹿な奴」


 前半は、小さな声で上手く聞き取れなかった。しかし、後半の「馬鹿な奴」という台詞には、ただの揶揄やゆではなく、憐憫に近いものが感じ取れた。こちら側を見越してカーテンの彼方かなたを望むその瞳は、哀れみにも似た色をしている。


「その白い景色こそ、一望監視施設パノプティコンの監視室さ。ハーフミラーとモニターでできてるから、通常は気付かないだろうが。普遍的に白い空間が広がっているのは、監視室職員が意図的にからだ」


 ソファから立ち上がり、窓際のベッドまで足を運ぶ男。シャッと一挙にカーテンを開け、何も映さない窓にそっと手を当てる。そして、真っ白いエリアの存在について説き始めた。その後ろ姿に、何か可哀想なものでも見るような佇まいに、妙な違和感を感じたのは言うまでもない。


「にしても、よく向こう側の視線を


 無意識下で監視官の視線を察知していたとは露知らず。それに感付いたと伝えたことが何か不味かったのかと思いつつも、彼の言葉に耳を傾ける。


 男は小さく言葉を続ける。「ま、それは俺にも見えてるんだけどね」と。

 The watcher is also watched——そんな言葉を体現するような彼の異様で胡乱うろんな嗤笑に、僕は奇怪な引っ掛かりを覚えた。この発言は、人間の台詞に等しくないか、と。それだけならまだいい。これは、自身がただ監視されるがままを容認しているのではない。暗に「監視している側の人間のことも、こちらは常に見ている」と、不穏な暗喩を投げ掛けているも同然ではないか。

 そして、彼はまだ家主と名乗り出ていないものの、【小説の所有者】である。【扇状の造りをした室内】が、彼の住んでいる私室なのだとしたら。そう考えたところで、推測は確信に変わる。


「あ、の、もしかして——」


「漸く答えに辿り着いたか。ご明察の通り。ここで隔離されてるのは、だよ」


「何で……、そんな……」


 唐突に訪れた衝撃。何故そんなにもやけに簡単に事実を明け透けにした? 物憂げな瞳が何を語るのか、僕には知る由もない。


 しかし、白子アルビノという様相以外極普通の人間だ。だというのに何でまた彼を隔離する必要があるのだろうか。極めて稀有な存在とは言え、危険性があるとは思えない。

 確かに、つい先刻蛇のようにめ付けてきた眼光とその瞳の奥に内包した攻撃性。この素因が、彼の危険性の高さを意味しているのかもしれないとは十分考えられる。それでも、隔離するなんていうのは、甚だ針小棒大でないかとも思う訳で。


「で、でも!! 僕が侵入した割に警報とか鳴らないってことは、本当はそんな厳重な設備じゃないってことですよね!? だって一般人の僕ですら、監視官に見付からずにこの部屋ここに潜り込めるってことは、相当なざるじゃないですか!!」


 不吉な空気が漂う場面を取り繕うかの如く、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。かまびすしくさんざめく予兆を感じたのだ。この場を支配する不快な淀みに。


ざる扱いとは監視官泣かせの言い様だぜ。警報が鳴らないのは、警報が鳴る間もなく俺とお前が鉢合わせたことが原因だろうな。飽くまで監視官は、管理区域に存在する【管理物直々じきじきたる侵入者の排除】をってことさ。警報を鳴らす必要がないだけで、設備に異常はない。心配するな」


 男はゆったりとした動作でレッグホルスターから拳銃を引き抜き、未だカウチソファに座る僕へ照星フロントサイトを合わせた。いつの間にか外してある安全装置セーフティ——いつでも射撃可能な状態だ。

 銃口マズルの奥部がこんなにも冥暗で充満されたものだなんて、知りたくもなかった。剣呑とした気配の裏に潜んでいたものは、やはり彼の真性の魔物性だったのだ。


 一望監視施設パノプティコンというからには、囚人収監所のように極不自由なものと思っていた。だが、現実はこれほど生活感に満ち溢れた自由を与えている。その状態を見る限り、何かに縛り付けたり動けなくしたりするほどの危険性はないのかもしれない。なんて、生温い考えを持たざるを得なかった。

 実際は違う。途端に豹変した、彼の冷徹な瞳と嘲笑う口元。地獄への門が開かれたことを暗示するかのように、惨憺さんたんたる様相をしている。「誰だ、これは?」と誤認するほどに、先まで会話していた男の面影は全く残っていない。


「俺、お前に要求したよな。ことのあらましを説明して欲しいって。んで、順序逆に再度説明して欲しいって」


「し、ましたね。でも、一応僕の話が本当ってことで仮説を立てて、記憶喪失ってことで納得したじゃないですか」


「一度片の付いた案件を何度も穿ほじくり返すのは、個人的にもナンセンスだとは思うんだがな。状況が状況だけに、今回は致し方ないと思う。……まあ、何だ。質問の仕方っていうのは、ただ言葉で聞くだけで完結するとは限らねえのさ。例えばほら——」


 ——ガッと右頬に衝撃が走る。拳銃を持つ左手で頬を強く殴られ、カウチソファに深く沈む。勢い良く倒れ込んだ肉体を受け止めようとする反動で、ソファ内部のスプリングが小さく軋んだ。


「な、に……?」


 口の中に広がる鈍痛、蔓延する血の匂い。単に、これらに戸惑う訳でもない。単純に何が起きたのか、全く分からなかった。僕は、ソファの上に俯せになった視界の中で、己の手の甲に付着した赤い水滴をじっと眺めていた。

 点々と数を増やす斑点は、切れた口腔から滴る血液そのものだ。「一度殴られただけでここまで出血するのか」と、半ば予想外の事態に驚愕する。腫脹しているであろう右頬をするりと撫でると、思いの外高熱を帯びる頬に不安感を覚えた。口内の頬肉にそろそろと舌を沿わせると、バックリと裂けた損傷部に辿り着く。傷付いた頬肉に舌が接触するだけで、ビリビリとした痛みが駆け抜けた。

 数秒してやっと頬の感触が戻り、なるほど銃床ストックで殴打されたのか、と状況を把握した頃。今度は、背中の上を占拠している重量感の存在を知覚した。後背の上を占める男を恐々と振り返り、言葉を失くす。そこにあるのは、肉食動物の如く虎視眈々とこちらを射る真紅の炯眼。その鋭い一閃は、絶句する僕を繁々しげしげと見下ろしている。まじろぐことさえ忘れた双眸が、三日月状に歪むのを見て、否応なく全身が竦むのが分かった。


「——暴力とかな」

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