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琥珀の婚礼 ー箱入り娘がひたすら王子に愛されてー
琥珀の婚礼 ー箱入り娘がひたすら王子に愛されてー
宇津木 しろ
異世界恋愛ロマファン
2025年08月11日
公開日
2,017字
連載中
両家の令嬢・フィオナ・ルーチェは、幼少期に誘拐事件に遭って以来、 森に閉じ込められていた。 過保護な両親の元、見えない鎖に縛り付けられているような毎日。 「逃げ出したい」と言う声も、誰にも届かない。 そんなフィオナを救ってくれたのは、 ルミナリエ王国の第一王子――レオニス・ルミナリエだった。 突然の結婚の申し込みに、フィオナの世界はみるみるうちに変わっていく。 世界一甘くてやさしい、ロマンスファンタジー。

第1話 あなたはどこにいますか?

「いってらっしゃいませ、お父様、お母様」


フィオナ・ルーチェは今日も笑顔で、細い腕を振りながら両親を見送る。


笑顔は、もう習慣だった。

心では何度も、こう願っていたのに。


――私も、一緒に行きたい。


けれど、それを口にした瞬間、

この平穏な籠の暮らしは壊れてしまう気がした。


残されたのは、木々のざわめきと鳥のさえずる声だけ。森のその静けさが、フィオナの心をかえって波立たせる。


ふたりの姿が見えなくなったあと、フィオナはひとりため息をついた。


鏡の前に腰を下ろし、ハニーブラウンの髪へとブラシを通す。

腰まで伸びたその髪は、隣国の「ラプンツェル」の物語とどこか似ている。


でも、決定的に違うのは、王子様が現れないことだった。


琥珀色の瞳が、鏡越しに揺れていた。


髪は艶やかに整い、ドレスはしわひとつない。

けれどそこに映る少女は、どこか作り物のようだった。


鎖をつけられているわけでもない。暴力を振るわれているわけでもない。


それでも、逃げ出したい。

この窒息しそうな毎日から。


涙がひとすじ頬をつたって、落ちる。

その涙は窓の木枠にしみ込んでから、すぐに跡形もなく消える。

まるで、なにひとつ力を持たない自分自身のようだった。


「わたしは、どうしたらいいの?」


フィオナは滲む視界で、窓から青空を見つめていた。


そんなときに思い出すのは、いつも同じ。

――誘拐されたあの日のこと。



「フィー、走るよ!」


男の子に手を引かれ、こけそうになりながらも、ひたすらに走った。5歳のときだった。


今となっては、夢の中の出来事のよう。

記憶は輪郭を失って、ふわふわと漂っている。


ただひとつ、はっきりと覚えているのは、男の子のサファイアそっくりな瞳だけ。


その日から11年間、フィオナは森へと閉じ込められている。


それでも空は、今日も変わらず澄んでいて。

森の風に乗って届く鳥のさえずりが、やけに遠く感じられた。


――あの日、手を引いてくれたあなたは、今どこにいますか?


フィオナはハンカチで目元を拭って、天をもう一度仰いだ。



太陽が天高く昇ったころ。


カラン、カラン。

玄関のベルが鳴る。


フィオナは、今日も居留守を使っていた。


(お父様とお母様の言いつけを、守らなくては)


彼女は今年で16歳。それでも、ひとりで玄関先に出ることは、一度たりとも許されていない。


また、誘拐されるかもしれない──そんな心配からだ。


フィオナは部屋の隅で身体を屈めて、ただひたすら時が過ぎるのを待った。


しかし、ベルは鳴りやまない。


こんなことは初めてだ。


もしかしたら、本当に悪い人が来たのかもしれない。──フィオナの手はかすかに震えていた。


そして。


コン、コンと玄関のドアをノックする音が、静まり返った部屋中に響いた。


(誰、誰なの)


心臓の鼓動が速くなる。

このまま、じっとしていて大丈夫なのか、それとも身の危険が迫っているのか。フィオナには分からなかった。


前屈みになりながら、玄関脇の小さな窓に近づいたそのとき。

──声がした。


「フィオナ・ルーチェ嬢。ここを開けてください。ルミナリエ王国 第一王子、レオニス・ルミナリエ様の命で参りました」


(私の名前が呼ばれた)


どくん、と一拍胸が波立つ。


そして聞こえた、第一王子の名前。自分と接点があるはずもない、雲の上の人。


いったい、どうして? 私を誘き出す罠かもしれない。


フィオナは、小窓から恐る恐る覗く。すると、よく手入れのされた馬が5頭、その脇に甲冑を着た騎士が5名並んで立っているのが見えた。


王家の紋章であるユニコーンが描かれた旗を、先頭の騎士が掲げている。


どう考えても、それは嘘のようには見えなかった。


「私は側近のセドリック・グラヴィスと申します。フィオナ・ルーチェ嬢、ここを開けてください」


先頭の騎士が、落ち着いた声で呼び掛ける。


フィオナは、どうしたらよいかまるで分からなかった。


ちいさな子どものように、ドアの前にじっとへたり込んでいた。


王子様が迎えに来ることなんて、あるはずがない。


私はついに気が触れて、妄想をしているのかもしれない。


そんな考えがぐるぐると頭を巡った。


でも、もし、ここで開けなかったら。

──私は一生、この森のなかで、生きていかなければならない。


背筋に冷たいものが走った。

それだけは耐えられない、フィオナはすぐにそう思った。


馬の蹄の音だけが響くなか、ついに弱々しくドアノブを握った。


馬の蹄の音が、風に溶けていく。


フィオナは、震える指先でドアノブに触れた。


(……開けなきゃ。開けるのよ、フィオナ)


心の奥で何かが軋んで、何かが壊れた。


キィ──。


そして目に飛び込んできたのは──ひとりの騎士。


とび色の髪を逆立てた、紫水晶の瞳を持つ青年。


精悍な顔つきで、こちらをまっすぐに見ている。


「改めて名乗らさせていただきます。私はセドリック・グラヴィス。フィオナ・ルーチェ嬢、お迎えに参りました」


その瞬間、止まっていた時間が、

ゆっくりと、そして劇的に動き出した。


――ここから始まる、フィオナ・ルーチェの物語。

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