「ちょっと!」
甲高く鋭さのある声に呼び止められカルネは足を止め振り返った。
瞬間、目の前に子どもの腕を突き付けられた。
「この傷! どうして放っておいたままなんですか!」
声をかけてきたその女性は、子どもの腕をカルネに突き付けながらキンキンと耳障りな声で叫んだ。
――ああ、またか
女性の声に周りにいた子どもや親が距離を置くのを肌で感じながら、カルネはその子供の腕を見る。
パッと見ではわからないが、よくよく見ると赤みを帯びた皮膚があり、何かにこすったような皮膚が少しばかりはがれた跡があった。
「どこかでこすった傷ですね」
舐めときゃ傷がわからなくなる程度だな、と思いながらカルネが顔を上げると。
女性が怒りで満ちた顔で目をギラギラと滾らせていた。
「こすった、じゃないでしょう! 何で治さないんですか!」
唾を飛ばさんばかりの罵声にカルネは耳を塞ぎたくなるのを堪え、いつもの笑顔を何とか張り付ける。
子供の目の前で大人同士が怒った顔を突き合わせるのは、精神教育としてよろしくない。
「治さない、とは?」
カルネの問いに「先生はバカなんですか!」と女性は叫ぶ。
「何故、回復魔法できっちり傷を治さないのですか! これは職務怠慢じゃないですか!?」
――ああ、やっぱり
予想通りの言葉に、笑顔を張り付けつつもカルネは内心ため息を吐く。
この質問、この職についてから何度目だろうか?
カルネは答え慣れた言葉を口にする。
「お母さん。お子様の身体に傷がついて怒るのはもっともです。こちらの不注意で傷をつけてしまい申し訳ありませんでした」
ここでカルネは深々と頭を下げる。
そしてすぐに頭を上げるとハキハキと口を動かした。
「しかしながら、この小さな傷では回復魔法を使ってはいけないんです。お子様はまだ1歳ですよね?」
「そうよ」
「では、まだ成長途中の身体で不完全です。その不完全な体に回復魔法を施したとしましょう。そもそも回復魔法はその人本来の治癒力を活性化させるもの。不完全な者が受けると成長中の身体の内部のバランスが崩れ、支障をきたしてしまう可能性があります。つまり、本来障害をせずにすむ場所に障害をきたしてしまうということです」
「でも、これくらいの傷なら……」
「これぐらいの傷だからこそ、です」
反論しようとした女性の言葉をカルネは口調を強めて切り捨てた。
「小さな傷を負うごとに回復魔法を施してしまえば、それは順調に成長している身体の内部を壊し続けているのと同じこと。要するに、一度では効かない毒を何度も与えて毒を浸透させてしまっているということになります」
「そんな……」
言葉を失い真っ青になる女性にカルネは「まぁ、大袈裟に言ったら、の話ですが」と付け加えた。
「ちなみに、命に関わる傷に関しては例外です。死んでしまっては元も子もないですからね。ですが、自然治癒で治せる傷は出来る限り自然に任せましょう。その方が冒険者向きの治癒能力をもった強い子に育ってくれますよ」
――――ま、そもそもケガさせるのが施設として駄目だけど
自分の都合に悪い言葉は飲み込み、カルネはにこやかに告げた。
「そう、そうだったのね……。じゃあ私、間違ってたのね……ごめんなさい。その、怒鳴りつけてしまって」
最初の勢いはどこへやら、しゅんと視線を落とし小さくなる女性にカルネは微笑みかける。
「いえ、こちらこそご心配おかけしてしまい申し訳ございません。お母さん方が安心して<アンファン>にお子様たちを預けられるよう私たちも尽力いたしますので、どうかご理解のほどよろしくお願いいたします」
カルネはそう言って再び頭を下げた。
けれどもまたすぐに上げると
「ちなみに、回復薬もNGですからね」
と懐をごそごそし始めた女性に輝く笑顔を向けた。
「うえ!?」
カルネの言葉に驚いた女性は探っていた手をポケットから取り出した。
瞬間、コロコロと落ちる、冒険者の常備薬である回復薬。
カルネは落ちた回復薬を拾うと女性に差し出し
「ああ、すみません。聡明なお母さんですから、魔法が駄目ならどんなに弱い回復薬でもダメだとご理解していますよね。失礼しました。はい、落としものです」
ニコニコとした表情を崩さず回復薬を差し出してくるカルネに、ちょっとした恐怖を覚えた女性は「はい……ありがとうございます」と怯えながら受け取り、子どもを抱きかかえてそそくさとその場を去った。
「有無を言わさぬ笑顔とは正にこのこと」
ボソ、と呟かれた言葉にカルネは振り向いた。
そのカルネと目を合わさぬようさっと視線を逸らしたセレーネは掃除を再開していた。
「……今の親、私が担当している部屋の子じゃないんだけどなぁ」
カルネが呟くと、セレーネは瞬間移動のごとくカルネの前に跪き
「先輩ありがとうございました! どうかこれからもお手をお借りしたいのでどうぞよろしくお願いいたします! 心から今回の対応感謝いたします!」
とハキハキと述べ敬った。
わかりやすい態度の後輩に重々しく頷きながら「よろしい」とカルネは答えた。
そして、首を傾け、コキリ、と鳴らしながらほぐした。
親との会話というものは、数えきれないぐらいしているのに精神を使うなぁ
まだ施設の玄関には子供や親がいるので、カルネは心の中でそっとため息を吐いた。
子どもというものは、大人の目のないところでトラブルを起こすもの。
なのでこうした親との対話は嫌でも毎日あるし欠かせない。
そして。
一難去ってまた一難という言葉があるように。
カルネが親の相手をしている間に、施設の広場で早速トラブルが起こっていた。
<アンファン>
それは、魔物と人が共存するこの世界で冒険者の小さな子どもを預かり保育する施設。
年齢は、赤子から5歳まで。
6歳からは成長段階がしっかりしているのと、その年齢に達するとその子どもの性格や適性のあった学校というものがあるので、その年齢までを預かっている。
何故冒険者の子ども限定なのかというと、冒険者の子どもたちは普通ではないからだ。
人は、全員が戦える術を持っているわけではない。
料理、道具作り、商人、荷物運びなど、どちらかというと優れた技術を要する類の方が得意だ。
そういった親から生まれた子たちは戦う術を必要としないため、魔法や剣を学ぶことはほとんどない。
生まれ持ってもつこともない。
だが、冒険者の親から生まれた子は違う。
修行で優れた魔法や技を持った者から生まれた子は、同じものをそのまま受け継ぎこの世に生まれることが多い。
それがどういった原理でそうなるかは解明されていない。
ただ、親が持っている力はそのまま子にいくということがほとんどなのだ。
そのため、扱いに慣れていないまま強い力をもった子は。
訳の分からぬまま戦う術を間違った使い方をしてしまい、暴走する。
暴走すると親でも止められないほどになる。
親によっては、苦労して手に入れた力を簡単に手に入れる我が子を憎む者もいる。
それ故、捨てられたり、見放されたり、暴走を怖がる人ばかりで預け先がなかったりと、普通の子と明らかに差別され、冒険者の子どもは真っ当に育たないのが当たり前の状態となっていた。
そこで出来上がったのが、冒険者の子どもたちのための施設、アンファン。
戦う術を少しばかりかじった者たちが運営する保育施設。
だが、問題の多い子どもばかりを受け入れるとなると、やはり問題を避けることは不可能。
とてつもない労力と精神力を要するので、やりたがるものは少ないのだ。
そのため、子どもの数に対し働いている職員は少ない。
けれども様々なところから運営資金を頂戴している<アンファン>は給料がとてつもなくいい。
なので、この職場に適性と見なされたものは園長リアリドによる飴と鞭で半ば拘束に近い形で重宝される。
その重宝されている一人が、カルネだ。
――給料が悪かったら絶対やめてる
「カルネ先生! トラブル発生です!」
小さなトラブルを解決したばかりの所にかかる声に、カルネは静かにそう思った。