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「久しいな、公女。──ここにいたか、我が后よ」


 力強く張りのある美声が、雷鳴の隙間を縫って部屋に響いた。一年ぶりに耳にする、懐かしい声だ。

 それとともに、絨毯に大粒の水滴が落ちる音がする。雨足は強く、ずぶ濡れになったのだろう。つい以前の習慣で、濡れた衣装を替えようと体が動こうとするのを、シェルはすんでのところでとどめた。

 もう一年が経つのに、体はまだ侍従の頃の記憶から抜け出せていない。不要だと厭われたにもかかわらず、唯一と心に定めた主を前に、侍従の礼を取ろうとしてしまう。


(しっかりしろ、今はクリスのために盾の役目を果たすんだ)


 この国へ呼び戻された理由を思い出し、シェルは腰の剣に手を掛けた。

 それでも、解雇された元侍従が皇帝の顔を直視することは憚られる。シェルは睫毛を伏せながら、精一杯声を張った。


「畏れながら、ユングリングの姫を狩ると仰せなら、その盾を退けてからに……ぐうッ! はっ、ぁ……ぁ、……」


 突然容赦のない拳が、鳩尾に鋭く打ち込まれた。まったくの無防備だったシェルは、急所にまともにくらい呆気なく気絶してしまう。

 倒れかかる体が床に打ちつけられる前に、逞しい腕が細身を抱きとめた。そのまま掬うように抱き上げ、腕を枕に仰のいた額に、皇帝は許しを乞うように唇を押し当てる。

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