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元科捜研の俺、異世界でも犯人は逃がさない ~鑑定スキルと科学知識で事件解決~
元科捜研の俺、異世界でも犯人は逃がさない ~鑑定スキルと科学知識で事件解決~
雪野耳子
異世界ファンタジー冒険・バトル
2025年08月13日
公開日
1.6万字
連載中
科捜研の捜査員・天笠玲人は、事件帰りの夜に突然刺され、気づけば異世界の貴族の少年に転生していた。混乱の中でも、証拠を追う習慣と科学の知識はそのまま。鑑定スキルと現代の知識を武器に、事件の謎や異世界の不思議に挑んでいく。「犯人は絶対に逃がさない」――元科捜研の魂で、異世界の常識をひっくり返す!

第1話 事件の夜より、謎な朝。

 夜の警察本部ビル――その上層階、明かりの消えた廊下を一つだけ残る灯りが照らしている。

 科捜研。正式には『科学捜査研究所』。

 事件現場から集められた『ただの物』を、証拠として『意味ある情報』に変える場所だ。

 無機質な壁と棚に囲まれた一室に、検査機器や薬品の並ぶ独特の匂いが漂っている。

 蛍光灯の青白い光は、夜が深まるほどに人間から体温を奪っていくみたいだ。

 パソコンのモニターがひとつ、二つだけ残る光源。

 机の上は、山のような書類とレポート、分析用の小瓶や顕微鏡、そしてコーヒーの空き缶が乱雑に並ぶ。

 白衣の袖口には乾いたコーヒーのシミが、何度もこすられた痕跡のように広がっている。

 もう何時間――いや、何日ここにいたかも分からない。

 この一週間、俺は現場と研究所の往復で、ほとんど家に帰っていない。

 時間の感覚も薄れ、時計の針がぐるぐる回っても、机の上の書類はちっとも減ってくれない。

 ようやく一段落ついたのは、夜もとうに更けてからだった。

「お疲れ……ようやく全部終わったな」

 思わず深く椅子に沈み込んで、背もたれに体重を預ける。

 肩と首がギシギシと音を立て、無意識に伸びをした。

 夜の静寂の中、デスクライトの光がほのかに手元を照らす。

「……あー、ダメだ、もう動けない。眠すぎて意識飛びそう……」

 隣のデスクでは、茅田がぐりぐり頭を掻きながら、目をしょぼしょぼさせている。

 深夜のラボ独特の静けさと疲労感――眠気に溺れそうになりながら、互いの存在だけが頼りになる。

「なあ、天笠。今日くらい打ち上げ行かね? ビール飲んで、悪いもん流そうぜ」

「……気持ちは分かるけど、今はビールより布団が恋しいわ」

 椅子の背もたれに思い切り体重を預けて、深く息を吐く。

 天井の蛍光灯がやけに白く、まぶたに刺さる。

 隣のデスクで、茅田がわざとらしく肩をすくめた。

「うわ、珍しい。天笠がこの時間に即帰り宣言か。よっぽどだな」

 茅田の口元には、眠気と皮肉がないまぜになった笑み。自分の首を指で押しながら、ぼそっと続ける。

「そりゃ、今週ずっと詰めてたしな。睡眠負債が利息ついてる。茅田だって顔やばいぞ、目が死んでる」

 手元のペンを指先でいじりながら言うと、茅田が「お前にだけは言われたくない」と唇を尖らせる。

 机に突っ伏す勢いで、両手で自分の顔を覆った。

「俺らゾンビみたいなもんだろ。てか、今朝コンビニで鏡見て普通に自分で引いたし」

「鏡でゾンビ判定は草」

 笑いながら、無意識に背伸び。肩と背中がギシ、と鳴った。

 部屋の隅で、空になったコーヒー缶がカランと転がる音がした。

「いいからさっさと帰ろう。終わったからには撤退戦だ」

 二人で書類の束を鞄に突っ込む。

 立ち上がると、足元に紙袋や書類が散らばっているのが目につく。

 椅子を机の下に押し込み、無人の廊下に出ると、夜のビルの静けさが肌に沁みた。

 蛍光灯が、どこかぼんやりとした色合いに見える。

 誰かの足音が遠くのエレベーター前で響く。

 俺たちはロッカールームへ向かう。

 ドアを開けて中に入ると、白いロッカーがずらりと並ぶ。

 慣れた手つきでダイヤルを回し、ロッカーを開ける。

「そういやさ、前に言ってた夢、最近どう?」

 茅田がタオルで顔を拭いながら、ふいに小声で切り出した。ちょっとだけ眉を上げて、俺を覗き込む。

「夢?」

 何気なく聞き返しながら、私服をロッカーから引き抜く。

 茅田は少し苦笑して、手をぶらぶらさせていた。

「ほら、知らない場所で自分が誰かになってるやつ。妙に細かくてリアルで、みんなで『天笠の前世はどこの貴族だ』とか言ってたじゃん」

「……ああ、あれな。最近は寝ても気がつきゃ朝だし、夢どころじゃないわ。目覚まし鳴って初めて時間の概念思い出すレベル」

 シャツのボタンを外しながら答えると、茅田は「まじか」と目を丸くした。少しだけ笑って、そのまま床に座り込む勢いでカバンの中身をいじり始める。

「やべえな。ブラックジョークでも何でもなく、俺たち現代に生きてる気しねぇな」

「新作出たら報告するよ。今は脳みそ泥水だ」

 ふたりして妙な脱力感で顔を見合わせる。

 茅田は頭をくしゃっとかき、照れ隠しみたいに肩をすくめた。

「いや、脳みそ溶けてても天笠は天笠だろ。あー、でもほんと、今夜だけは休んでくれ」

 私服に着替え終わり、ロッカーを閉めて荷物を肩にかける。

 二人で並んで廊下を歩き、エレベーターに乗り込む。

 静かな振動と機械音が、かすかに足元から伝わってくる。

 無人のフロア、足音がぽつ、ぽつと響く。

 エントランスに近づくと、夜の冷気が自動ドアの隙間から流れ込んでくる。

 ドア越しに、警備員がちらとこちらを見て小さく会釈する。

 俺も、ちょっとだけ手を挙げて返した。

 エントランスには夜勤組がちらほら。

 コーヒー片手の塔田警部が俺らに気づいて、声を張った。

「おっ、茅田に天笠! 今帰りか、お前ら?」

「はい、ようやく解放ですよ。警部、まだまだですか?」

「当たり前だ、俺らはこれから夜勤の山だよ。ったく、お前ら羨ましいぜ」

「いやいや、今回は科捜研チームがいたからこそ早かったっすよ。俺らだけじゃ無理でしたって」

「また出たよ、茅田の科捜研贔屓。まあ、でも、実際進展は早かったな」

 松方巡査部長が隣で苦笑しながら、分厚い書類ファイルを抱えていた。

「天笠くん、徹夜で粘ってなかったら、まだあの現場ずっと封鎖してたと思いますよ」

「ほんとだ。お前、また謙遜するなよ。ああ見えて松方、裏で天笠を神格化してるからな」

「やめてくれ。大げさすぎ。こっちは地味な作業しかしてない」

「天笠がそう言うと余計ウケるんだよな」

 松方が苦笑いのまま、軽く手を振ってきた。

「でもさ、たまには飲み会も来てくれよ。松方部長の愚痴はビールとセットだから」

「悪い、今日はほんとに限界。顔出しはまた今度で勘弁してください」

「よし、次の事件が終わったら絶対だぞ」

 塔田警部がコーヒーを掲げる。「お疲れさん、ちゃんと休めよ」

「明日またな。みんな倒れないようにね」

「俺は絶対寝坊する自信ある」

「大丈夫。天笠が遅刻したら職場の神話が崩壊する」

「あはは、それはやめてくれ」

 エントランスを抜けると、ビルの外気が思った以上に冷たい。

 自動ドアが背後で閉まる音が、やけに現実味を帯びて耳に残る。

 茅田と並んで歩きながら、ふと肩を軽くぶつけ合った。

「じゃ、また明日な。寝落ちして朝になっても俺のせいにすんなよ?」

「そっちこそ。途中で力尽きて道端で寝てんなよ」

 茅田と別れて、ふらふらとコンビニの明かりに吸い寄せられる。

 夜の空気は、喧騒と静けさが溶けあって、不思議と心地いい。

 店内の灯りがやたら明るく感じる。

 雑誌コーナーを横目に、弁当、ビール、プリン、ケーキ、ポテチ――眠い頭で適当にかごに突っ込んでいく。

 レジで財布をまさぐりながら、ふいに自分のご褒美ラインナップに苦笑い。

「……完璧。今夜はこれで生き返る」

 袋を片手に外へ出れば、夜風が頬を撫でた。

 微かに湿った匂い。車が遠くを走る音、信号が変わるたび響く自転車のブレーキ音、救急車のサイレンも遠ざかっていく。

「明日は昼まで絶対起きない……」

 思わず口から漏れる。本当にただの、平凡な夜だと信じていた。

 ……けれど。

 背後で、カツカツと靴音が響く。

 この時間、この路地は誰も通らないはずだ。

 妙に足音が耳に残る。

 何だか嫌な予感がして、歩くスピードを落とす。

「……すみません」

 小さな声。

 振り返った、その刹那。背中に灼けるような熱が突き刺さる。

「――ッ」

 全身から力が抜け、手に持っていた袋がアスファルトに落ちる。

 中身が跳ねて、ガシャガシャと音を立てる。

 膝が崩れ、地面の冷たさがじわじわと伝わってくる。

 街灯の下、逆光で相手の顔は影になり、輪郭しか見えない。

「……や、った……はは、これで……」

 カラン、とナイフが転がる音。

 血の赤が一瞬だけ視界をかすめた。

(……あれで、刺されたのか)

 頭がぼうっとしているのに、不思議と冷静な思考だけが働いている。

(指紋……残るな。足跡、血痕も……。現場保存……)

 意識が遠ざかる。

 体の痛みよりも、頭の片隅で証拠や事件のことばかり考えていた。

(……証拠、大丈夫……。通り魔、か?……くそぉ……犯人、ぜってぇ、逃がさないからな……)

 視界が暗くなっていく。

 最後の最後まで、俺の頭は仕事から抜けられなかった。


 ◆     ◆     ◆


 ―――眩しい光。


 ……まぶたの裏に、じんわりと熱が差し込む。

 頬に触れるのは、やけに柔らかいシーツ。

 ゆっくりと重いまぶたを開けると、目に飛び込んできたのは、彫刻が施された高い天井と大きなシャンデリア。

 壁紙には金色の蔦模様が這っている。

(……どこだ、ここ)

 まずそれしか思い浮かばない。

 身体を動かそうとしたが、うまく力が入らない。腕を持ち上げてみると、やけに細く短い。

 自分のものじゃないような感覚。

 指先まで、見慣れた形じゃない。

「あ、動きました! 坊ちゃま!」

 すぐそばで誰かが声を上げた。

 ベッドの周りには見知らぬ人たちが数人、こちらを覗き込んでいる。

 ふわりと膨らんだドレス、レースの飾り、きらびやかな刺繍の入った上着。

 まるで舞台か映画のセットの中に放り込まれたようだ。

 現実味がなくて、逆に不安になる。

 みんな、俺の顔を心配そうに覗き込んでいる。

 けれど、誰一人見覚えがない。

 ……病院じゃない。

 事故――いや、違う。

 そうだ、俺は……刺された。

 でも、ここはあの冷たい夜道でも、見慣れた病院の天井でもない。

(なんなんだ、ここは……)

 落ち着け、と自分に言い聞かせるが、心臓がばくばくと音を立てる。

 声を出してみようとするが、出てきたのは妙に高くて幼い声だった。

 喉が乾く。

 誰かが話しかけてくるが、言葉が頭に入ってこない。ノイズのように聞こえるだけだ。

 頭の奥がじんじん痛む。

 ……さっきまでの記憶が、ゆっくりと滲み上がってくる。

 コンビニの袋、冷たいアスファルト、焼けるような痛み、ナイフ。

 その先は、白く途切れている。

(……もしかして、俺……)

 指をぎゅっと握ろうとしても、細い手が丸まるだけだ。

 混乱と不安が波のように押し寄せる。

 ――証拠。現場に、ちゃんと残ってるはずだ。

 犯人は……まだ捕まってない。

 俺、まだ何も終わってないのに。

 喉の奥が苦しくて、息が浅くなる。

(……死んだ、のか……)

 ぞわりと背筋が冷たくなった。ありえないはずの現実に、思考がついていかない。

 目の前の景色がぐにゃりと歪んでいく。

 胸が苦しい。どうしていいかわからない。

「……レイン、しっかりして!」

 すぐそばで、どこか品のある女性の声が響いた。

「医師をっ!」

「いや、治癒師を呼んだ方が!」

 誰かが大きな声で叫ぶ。

 慌ただしい人の動きと、何人もの足音、ざわめきが遠ざかっていく。

 自分だけが、世界から少しずつ切り離されていくような感覚。

 誰かが呼びかけている。

 名前を呼ばれている気がする。

 でも、もう言葉も届かない。

 世界の輪郭はまだ曖昧で、夢か現実かも分からない。

 ただ、胸の奥には、あの日の記憶と悔しさが、確かに刺さったままだった。

 ――意識が、また遠ざかっていく。

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