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転職に失敗したおっさん、異世界転生し事務職無双する
転職に失敗したおっさん、異世界転生し事務職無双する
全裸の人
異世界ファンタジー冒険・バトル
2025年08月15日
公開日
1.5万字
連載中
鷲羽 翔(ワシバ ショウ)43歳、無職。 事務職一筋20年余りのおっさんは、早期退職制度に乗っかり勤めていた企業を退職する。 とはいえ人生まだ先もあるし、貧乏生活から脱出できないおっさんは転職活動に明け暮れるが、お祈りメールの雨あられ。 絶望のなか電車事故に遭い、目が覚めるとファルコ・フライハイル32歳というおっさんに転生していた。 奇しくも田舎で事務職だったファルコは、冒険者になるべく上京中だった。 世はまさに大冒険時代。 夢とロマンを追いかけて、誰もが冒険者になる時代。 しかし、そこには深刻な問題が蔓延していた。 数多のギルドに協会、公的機関で事務職員が圧倒的に不足していたのだ。 転生前の記憶と技術を駆使し、翔改めファルコは事務職としてバックオフィスというダンジョンを無双攻略していくのだった。

第1話 お祈りメールと満員電車①

 午前九時十二分。

 鳴ったのは希望の音ではなかった。


 鷲羽翔(わしば・しょう)、四十三歳、無職。

 都心へ向かう通勤電車の中、満員に押し潰されながらスマホを取り出した彼は、画面に浮かんだメールの件名を見て、心の中で「はい、出ました」とつぶやいた。


> 件名:採用選考の結果について


 その一文だけで、すでに内容は察せる。

 読む気力もない。それでも、何かの間違いがあるんじゃないかという一縷の望みにすがり、震える親指で本文を開いた。


> この度は弊社の求人にご応募いただき、誠にありがとうございました。

> 慎重に選考を行いました結果――


 「はい、いつものやつだよ!!」


 声にならない悲鳴が胸の中で反響する。

 これで何通目だ? 二桁どころか、三桁の領域に入りかけている。

 誰にも見せられない、翔の「お祈りメール」フォルダは、もうスマホの容量を圧迫しはじめていた。


 翔はそっとスマホを伏せ、車内の床に視線を落とす。


 彼の人生は、いまや“敗北の積み重ね”だった。




 大学を出てから二十年間、地味ながら真面目に働いてきた。

 経理や総務、庶務といった裏方業務に従事し、会社の数字と雑務をひたすら黙々と処理していた。


 だが三年前、勤務先の早期退職制度が始まり、家庭の事情で応募。

 「再就職なんて、すぐ見つかるさ」と軽く考えていた――あの時の自分をぶん殴りたい。


 履歴書は返送すらされないこともあり、

 面接には呼ばれても「うーん、ちょっと経験が特殊ですねぇ」と微妙な顔をされる。

 求人票の「年齢不問」は、まやかしだと身に染みて知った。


 “おっさん”というだけで、社会の需要から外れてしまったのだ。




 ギュウギュウの通勤ラッシュ。吊革は取れず、背中にはリュック、前にはスマホの画面。

 身動きも取れず、酸素も薄い。誰かのワキの下から謎の香り。

 翔は思った。


 ――これが今の自分か。


 希望もなく、行き先もわからず、ただ押し流されていくしかない人生。


 「せめて……もう一回だけでいいんだ」


 夢なんてもういい。

 派手な成功も、富も名声もいらない。

 普通の、ささやかな暮らしでいい。


 一軒家に住んで、家族で食卓を囲んで、笑いながら生きる。

 ほんのちょっと、心が安らぐ時間が欲しかった。




 「神様でも、悪魔でもいい……頼むから、俺に――」


 次の瞬間。


 《ブオォォォォオオオオオオッ!!!!》


 耳を劈くブレーキ音。

 強烈な揺れ。

 隣のサラリーマンの肘が顔面に入り、倒れそうになった瞬間、翔の視界がぐにゃりと歪んだ。


 「えっ、うわっ――」


 思考が止まり、体が浮く感覚。

 光と音が急激に遠のいていき――


 彼は、意識を手放した。








 どこか、柔らかい。

 そして、あたたかい。


 翔は、ゆっくりと目を開いた。




 目に映ったのは、見知らぬ天井だった。

 安っぽい蛍光灯ではなく、木目の美しい梁。

 鼻をくすぐるのは、乾いた藁と木材の匂い。


 「……病院?」


 そんなわけがない。

 窓の外から差し込む日差しが、明らかに異質だった。

 光が柔らかいのだ。どこか、絵本のような世界。


 そして、身体も――軽い。


 「あれ?」


 鏡を探して、隅にあった姿見を覗き込む。


 そこに映っていたのは――三十代前半の、やや精悍な男。


 「誰だお前!?」


 いや、間違いなく自分なのだ。

 けれど、明らかに若返っている。

 肌にハリがあり、髪もある。シワもたるみも消えている。

 腹も出ていない!


 「うそ……うそだろ……」


 さらに混乱する頭に、突如情報が流れ込んできた。


 ファルコ・フライハイル。32歳。村出身。特技:帳簿整理。趣味:紙の匂いを嗅ぐこと。職歴:事務職一筋。


 「ちょっ、まっ……なんだこれ!? 誰の人生だ!?」


 いや、これが自分なのだ。

 記憶が混ざっている。

 “翔”としての記憶と、“ファルコ”としての記憶が、違和感なく混在している。


 つまり――


 「転生した……のか?」






 しばらくして、宿屋の主が部屋にやってきた。


 「お、起きたか。昨日はずいぶん酔ってたらしいなぁ」


 「……酔ってた?」


 「なんだ、覚えてねぇのか。あんた、『都会に出てギルドに転職する!』っつって飲んでただろ。『事務仕事にサヨナラだー!』って叫びながら床で寝てたぞ?」


 「まじかよ、ファルコ……」


 翔=ファルコは頭を抱えた。


 神か悪魔かは知らないが、願いは確かに届いた。

 “転職”は……成功している。物理的に。


 「けど、これ……どう考えても、想像以上に転職してるだろ……」






 部屋の外に出ると、そこには見たこともない街並みが広がっていた。


 石造りの建物。馬車。空を飛ぶ小さなドラゴンみたいな何か。

 どこをどう見ても、これは現代日本ではない。


 だが、不思議と恐怖はなかった。

 むしろ、胸の奥が高鳴っている。


 「……よし。まずは情報収集と、ギルド登録だな」


 この世界で生きるには、冒険者になるのが一番の近道だとファルコの記憶が囁いていた。


 勇者じゃなくていい。賢者でも、剣豪でもなくていい。


 ただ、普通の冒険者になれれば。


 その一歩を踏み出すことが、今の翔にとって、確かに「再スタート」だった。

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