翌日、サヤ達のもとへゴンドウの部下がやってきて、ブレイドの個人番号カードを渡していった。
「……あいつ、本当に用意してきたわ。しかも、たった一日で……。一体どんな方法を使ったのかしら……」
サヤはホテルにあるブレイドの部屋で、ツインテールに結った髪をふわりと揺らしながら、じっとカードの表面を見つめていた。
今日のサヤは、鮮やかな赤のカットソーに、ふんわり広がる黒のプリーツミニスカートという装いだった。赤いトップスは白い肌を引き立て、肩口のレースがさりげない女性らしさを添えている。ミニスカートの裾からすらりと伸びた脚は、太ももの半ばまでを包む黒のニーソックスが美しく引き立てていた。全体的にカジュアルながらも可愛らしさが際立つコーディネートで、年相応の無邪気さと、どこか大人びた空気が絶妙に混ざり合っている。
一方、窓際の椅子に腰掛けているブレイドも、昨日のハンターギルド帰りに服を新調していた。黒のライダージャケットにジーンズという、シンプルながら精悍な装いは、彼が異世界人であることを微塵も感じさせない自然さだった。
サヤは部屋の中央に立ち、カードを両手で掲げ、照明にかざして改めて確認する。
「でも、登録されているこの名前はなんなのかしら。『ブレイ・ドウ』って……。ブレイドの態度が無礼だったから、当てつけでこんな名前にしたのかな?」
まるで珍妙なキラキラネームでも見るような顔で、サヤは個人番号カードに刻まれた氏名を見つめた。
「……別れ際、あの男に名前を聞かれたから、『ブレイド』としっかり伝えたんだがな」
ブレイドは肩をすくめた。特別な動揺は見せなかったが、どこか納得のいかない気配を滲ませている。
「そんなやりとりしてたんだ。気がつかなかったよ。でも、名前を聞いたうえで、ブレイ・ドウか……。ん? ブレイド……ブレイドウ……ブレイ・ドウ。……もしかして、ブレイドなんて名前、日本人っぽくないから、あいつ、ブレイ・ドウって聞き間違えたんじゃない?」
サヤは指でカードの文字をなぞりながら、一人で納得したように言った。漢字で書けば「武礼堂」――あり得ない話ではない。
「……俺の名前は、この世界ではおかしな名前なのか?」
「んー、外国ならおかしくないかもだけど、この国だとちょっと珍しいかな」
「そうなのか……」
そのつぶやきには、ほんの少しだけしょんぼりとした色が混じっていた。
サヤは苦笑いし、フォローするように声をかける。
「でも、これであなたの名前は、この世界じゃ『ブレイ・ドウ』になっちゃったわね。これからは『ブレイ』って呼んだほうがいい? それとも、『ドウ』のほうがお好み?」
「……どっちも却下だ。ブレイドのままで頼む」
ブレイドの言葉はいつになく真剣だった。どうやら、彼は自分の名前に少なからず誇りを持っているらしい。
「まあ、ハンター登録する時に、ハンターネームを自由に設定できるから、そっちはブレイドで登録しましょ。そうすれば、みんなもちゃんとブレイドって呼んでくれるし」
「……ああ、それで頼む」
「それじゃあ、さっそくハンター登録しに行きましょうか。ゴンドウとの勝負の前に手続きを済ませておかないと、ブレイドがダンジョンに入れないしね」
サヤは勢いよく言ったあと、ふと思い出したように付け加える。
「――あ、言い忘れてたけど、登録にはちょっとした試験があるから」
「試験?」
ブレイドがわずかに眉をひそめる。それを見たサヤは、慌てて手を振った。
「あ、そんな大げさなものじゃないよ。ただの体力測定みたいな感じ。普通にやってくれれば大丈夫だから」
にっこり笑って見せながらも、サヤは内心、ほんの少しだけ不安を覚えていた。
(……よく考えたら、普通って、ブレイドから一番縁遠い言葉な気がしてきた)
心の中でそっとため息をつきそうになったが、サヤは首を振って思考を切り替える。
(ま、まあ、ブレイドならなんとかなるよね!)
サヤは自分を納得させると、気を取り直して話題を切り替える。
「それと、なくすといけないから、個人番号カードは私が預かっておくね。何しろ、ブレイドは自慢のアイテムボックスを使えないみたいだし」
「……よろしく頼む」
アイテムボックスの件をからかわれたようで、ブレイドは少し不機嫌な顔で立ち上がる。そんな彼を見上げながら、サヤはくすりと笑った。
「はいはい。手続きできるように、しっかりサポートしてあげるから安心して」
頼れる先輩風を吹かせながら、サヤはブレイドに先立って歩き出す。
そして、二人は並んでハンターギルドへと向かっていった。
昨日に続き、サヤとブレイドはハンターギルドのロビーを訪れた。陽の光が射し込むロビーでは、既に数人の冒険者達が受付カウンターの前で何かの手続きをしている。先日はたまたまアカリの手が空いていたのですぐに対応してもらえたが、今日はそういうわけにはいかなかった。サヤは慣れた様子で受付機を操作し、呼び出し番号の書かれた紙を手にする。
ほどなくして、カウンターで手続きを終えたハンターが去ると、呼び出し音が鳴り、サヤの番号が表示された。二人は空いた受付窓口へと歩み寄る。
そこにいたのは、顔なじみの受付嬢アカリだった。
「いらっしゃい、サヤさん。昨日はゴンドウさんと揉めてたみたいだけど、大丈夫だった?」
アカリは微笑みを浮かべながら、まるで旧知の友人を迎えるかのように気さくに声をかけてきた。その目は、昨日の騒動をカウンター越しにしっかり見ていたことを窺わせる。
「たいしたことないから、気にしないで。それより、今日は彼のハンター登録をお願いしにきたの」
そう言って、サヤは隣のブレイドを軽く手で示す。アカリはその手の先を追い、ブレイドの姿をじっと見つめたあと、ふっと目を細めて笑った。
「あ、よく見れば昨日も一昨日も、サヤさんと一緒にいたかたじゃないですか。服装がかなり違っていたので、一瞬わかりませんでしたよ。……サヤさんは、ダンジョンで保護した人だって言ってましたけど、どうもそれだけじゃなさそうですね? 昨日も今日も、サヤさん、すごくおめかししていますし」
アカリはにこやかに微笑みながら、少しからかうような視線をサヤへ向けた。
彼女の言葉に、サヤの顔がぱっと赤く染まる。
「なっ――!? 違うから! アカリさん、変なこと言わないでくれるかな!」
「はいはい、わかりました。そういうことにしておきますね」
言葉の上では引き下がったものの、アカリの表情は「全部見抜いています」という風にしか見えなかった。
一方、ブレイドはというと、サヤとアカリのやり取りを静かに見守っていた。照れているような、無関心を装っているような――どちらとも取れる曖昧な顔つきで。
「それでは、まず本人確認をさせていただきたいので、個人番号カードを見せてもらえますか?」
アカリが事務的な口調に切り替え、ブレイドに向き直った。
ブレイドが何か言うより早く、サヤはポーチから小さなカードを取り出し、カウンターの上にそっと置いた。
「……これが彼のカードです」
正式なカードでないことを知っているだけに、サヤの表情にはどこか慎重な色が滲んでいる。しかし、アカリはそんなサヤの様子を、別の意味で受け取った。
なにしろ、個人番号カードは極めて重要な身分証明書だ。その取扱いには最大限の注意が求められ、たとえ家族であっても軽々しく預けるようなことはない。
そんなカードを、サヤはごく自然に持ち歩き、当たり前のように差し出した。それは、第三者から見れば、彼女とブレイドの関係が単なる知人以上のものであるという無言の証明でもあった。
アカリは何かを察したように、カウンターの上のカードとサヤの顔とを見比べ、意味ありげに目を細めて、ふっと唇の端を緩めた。
「……ふふっ、なるほどね」
サヤがカードを持っていたのは、ただ単純に、アイテムボックスが使えないブレイドに任せるより、自分が管理した方が確実だと判断しただけだった。だが、第三者にその真意が伝わるかどうかは別の話だった。
「それでは、スキャンさせていただきますね」
アカリは仕事に戻るように、読み取り装置を手に取った。そして、楽しそうに口元を緩ませたまま、カードの上にかざす。
その様子を見ながら、サヤは内心で冷や汗をかいていた。
(……偽物だって見抜かれたりしたら、まずいことになるんだけど、大丈夫だよね?)
サヤの胸の奥に、不安がじわりと広がっていた。
このカードを用意したのはゴンドウだ。どこまで精巧なものなのかはサヤにもわからない。外見は完璧でも、スキャンすれば矛盾が露呈する可能性もある。
そんなサヤの心配をよそに、当の本人であるブレイドは相変わらず落ち着いていた。カウンターの前で背筋を伸ばし、悠然と立っている。
ピッ――
控えめな電子音が鳴り、読み取りが完了した。
「……ブレイ・ドウさん。28歳、男性。――はい、確認取れました。個人番号カードはもう結構です」
アカリの言葉が耳に届いた瞬間、サヤは反射的にカードを手に取り、そそくさとポーチへとしまい込んだ。その動きは、まるで誰かに見られてはいけない秘密を慌てて隠すかのように素早かった。
アカリはそんなサヤの挙動に目を細めたが、特に怪しむ様子はない。むしろ、その行動を照れ隠しとでも解釈したのだろう、どこか微笑ましそうな表情を浮かべていた。
「それでは、体力測定に移りますね。訓練場に案内しますので、ついてきてください」
専用のタブレットを手に、アカリがにこやかに声をかける。
「わかった」
ブレイドはうなずくと、隣のサヤにだけ聞こえるように囁いた。
「……サヤの言っていた試験か」
「うん。登録する側にも責任ってものがあるからね。最低限、戦える能力があるかを調べるのよ」
「……ならば、俺も少しは本気を出したほうがよさそうだな」
ブレイドの声は落ち着いていて、どこか自信を滲ませていた。
「ブレイドなら大丈夫だよ」
サヤは安心させるように微笑んだ。
ミノタウロスを一撃で斬り伏せる力を見せつけられたので、彼女は当初、ブレイドを「とんでもない怪力の持ち主」だと思っていた。けれど、ホテルの部屋で試しに荷物を持たせたり、冗談半分で腕相撲を挑んだりした結果、彼の身体能力は確かに高いものの、決して異常なレベルではないと知った。鍛え抜かれた肉体は一流のハンターに匹敵するレベルではあるが、それでもあくまで人間の常識の範囲内に収まるものだ。決して超人ではない。
体力測定において、基準値を下回る数値を出すのもまずいが、人外のあり得ない数値を叩き出すのも、それはそれで問題がある。そんな漫画のような事態にならないか、サヤは事前にきちんと確認していた。
だからこそ、サヤは思う。
(普通にやってくれれば、ブレイドなら問題ないはず、きっと……)
自分にそう言い聞かせながら、サヤは軽く小さくうなずいた。