町の中心にあるアーケードは、今朝も開店の準備で賑やかなはずだった。だが、その日は違った。シャッターが半分しか開いていない店舗が並び、床に貼られた古いチラシが風にめくれあがっていた。売るものがなくなったのか、売っても意味がなくなったのか。どちらにしても、生活が止まり始めていた。
結城蓮は、駅前の時計を見上げた。午前九時を少し過ぎていたが、電車は来なかった。アプリでは「通常運行」と表示されている。だが町に電車が来るかどうかは、もう「通常」では測れない。
昨日の午後、政府は“国家改造計画”なるものを発表した。内閣府の臨時会見。画面の中でスーツ姿の官僚が、穏やかな顔でこう言った。
「人口50万人未満の自治体について、インフラ供給と公共予算の見直しを行います。持続可能な未来のための選択です」
見直し。蓮はその言葉を何度も頭の中で反芻した。
電気が止まり、水道が止まり、病院が閉まり、学校が統廃合される。
それを“見直し”という単語で片づけた政府の滑らかさが、腹の底に静かに沈んでいった。
町は、選ばれなかった。
それだけのことだった。
家に戻ると、祖母がテレビを消して、庭の花に水をやっていた。
「ばあちゃん、水道止まるって、ニュースで言ってたけど」
「知っとるよ」
「それでも水やるん?」
「花は今日生きとるんやけん、明日のことは明日考える」
その言い方が腹立たしくて、でも反論できなくて、蓮は黙った。
祖母はこの町で生まれ、この町で子どもを産み、この町で年老いた。
町の小学校で教員をしていた頃、今のような“取り残される不安”はなかったという。
「東京に行くなんて考えたこともなかったよ」と、何度も言っていた。
蓮はその“考えたこともない”という言葉が嫌いだった。
午後、学校に顔を出すと、担任が出席簿を閉じながら言った。
「今日が最後かもしれんな」
「なにがですか」
「“登校”っていう形の、な」
「オンラインになるんですか?」
「そういう名目やけど、実質中止や。教員の再配置も決まっとる」
クラスメイトは数人しか来ていなかった。
誰も話さない。卒業式でもないのに、卒業したような空気が教室に漂っていた。
紙のプリントが机に置かれていた。通信教育の案内だった。
QRコードを読み込んで学習サイトにアクセスしろと書かれていたが、蓮の家のWi-Fiは一週間前から不安定だった。
帰り道、スーパーの前を通ると、「営業終了」の紙がガラス扉の内側から貼られていた。
下の方に、小さく「長い間ありがとうございました」と書かれていたが、その言葉の下に“国家に代わって”という皮肉が見える気がした。
公園のブランコに、誰かが使い古したスマートフォンを括りつけていた。画面は割れていたが、うっすらと「電波圏外」の文字が光っていた。
遊具の上で、通信すら切られたこの町が、象徴としてそこにあった。
夜、蓮は一人で屋根裏に上がった。
もうすぐ都市への移住が始まる。町の外に出れば、政令指定都市の一部として生きていけるらしい。食料も電気も医療も、すべて整っているという話だった。
だが、そこにはこの家も、祖母も、ブランコも、もうなかった。
「蓮、出るんやったら早めに荷造りしときよ」
階下から祖母の声がした。
「国に捨てられたとか思わんことや。誰も国なんか信じとらんかったんやから」
そう言って笑う声が、やけに軽かった。
蓮は、押入れの奥にしまってあった小さな地図帳を開いた。
宇和島、という地名の上に、小さな指を置いた。
この場所が、消える。
誰にも告げられずに、ただ静かに、地図の外側へと押し出される。
怒るべきなのか、悲しむべきなのか。
それすら、わからなかった。