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婚約破棄された眠り猫令嬢、おっとりとざまあします
婚約破棄された眠り猫令嬢、おっとりとざまあします
高取和生
異世界恋愛ロマファン
2025年08月19日
公開日
4,198字
連載中
レオーネは、割とぼんやりしている令嬢である。領民などからは親しみを込めて、「眠り猫姫」と呼ばれているが、それは笑った時の瞳が、寝ている猫に似ているからだ。 そんなぼんやりしたレオーネは、表情は薄く、色素も薄く、顔貌も薄い。女性の体つきとしても、これまた薄いのだ。 ところでレオーネもお年頃になり、一応婚約者が出来た。子爵同士の政略結婚。婚約者のハワードは、見た目だけなら良い男。しかしハワードは自分の外見に釣り合うような、美形の女性を求めており、レオーネのことは気に入っていない。よってある日いきなりハワードは宣言する。 「レオーネ! 君との婚約を破棄する」 ぼんやりとした眠り猫令嬢は、あっという間に訳ありで傷モノの令嬢にランクダウンするのだった……。 これは、ぼんやりとしながらも、根底に人間としての優しさを持つ一人の女性が、傷を乗り越えて幸せを見つけていくというお話である。

第1話 眠り猫のような令嬢

 レオーネは、よく言えばおっとり、有体に言えば、ぼんやりしている、ように見える。

 領民からは親しみを込めて、「眠り猫姫」と呼ばれている。笑った時の弧を描く瞳が、寝ている猫に似ているそうだ。レオーネは一応、コードリアス子爵家の令嬢だ。一応……。


 ちなみに学園内でのレオーネは『薄暮の令嬢』という仇名がついている。

 同じ貴族たちの前では、レオーネの表情は薄い。

 体全体の色素も薄いし、顔貌も薄い。

 女性の体つきとしても、これまた薄い

 さらに言えば、貴族令嬢としての意識や矜持もペラッペラッなのだ。


 ただし、ぼんやりしていても、頭の働きが悪いわけではない。

 もっとも、素晴らしく良い、とも言えない。



 レオーネがまだ、四歳か五歳頃に、こんなことがあった。

 父が懇意にしている何処かの貴族(どこの家だか忘れた)が、たまに遊びに来ていた頃だ。

 その貴族は、息子を一人連れて来ていた。全体的にぽちゃとした少年だ。


 レオーネは子爵家の庭で遊ぶのが好きだったので、小綺麗な恰好をしている、ぽっちゃり子息を庭に誘う。蝶々や甲虫を追いかけ、落ち葉拾いをしているうちに、子ども同士はすぐに仲良くなっていた。ぽっちゃりしていても、子息は温和な性格で、レオーネを令嬢として扱っていた。


 ある日、いつもの様にレオーネと子息が遊んでいると、「にゃあ」という声がした。


「猫! 猫ちゃんがいるわ!」


 鳴き声の元を探ると、一本の樹の上にたどり着く。


「あ、子猫だ」


 子息が声の主を指す。子息は腕まくりをして、樹に登ろうとする。

 レオーネはそれを制した。


「私が行くわ」


 レオーネは木登りが得意ではなく、ノタクタしながら猫を目指す。


「おいで、猫ちゃん」


 猫はシャーッと威嚇する。


「ほら、こっちへおいで。こ、怖くないから」


 コワいのは、見ている自分だと子息は胸に片手を当てた。



 レオーネの必死な救出作戦により、なんとか猫は彼女の腕に捕獲された。


「よ、良かった……」


 子息がため息をつくと同時に、レオーネは樹から落ちた。

 猫を抱いたまま落ちた。

 ボスンと音がした。


「ああっ!」


 慌てて子息が駆け寄ると、運よくレオーネは根元の低木の茂みに頭から突っ込んでいた。

 猫を抱いたまま。

 猫は無事だった。

 子息がレオーネを助け起こすと、レオーネの頬をペロペロ舐めていた。


 レオーネに壊滅的な怪我はなかったが、茂みの小枝で顔面にかすり傷が出来ていた。 

 ほっとしたのかレオーネはポロポロ涙を流す。


「猫ちゃん、無事でよかった」


 涙を流しながらも、レオーネは猫の背を撫でた。


「でもヒリヒリするわ。か、顔に傷がついたから、もうお嫁に行けないかも……」


 ぐすぐすしながらも、猫ナデを続けるレオーネに子息は優しい眼差しをする。


「もしも……」

「えっ?」


「もしも君がお嫁に行けなかったら」

「た、ら?」


「その時は僕が、君を迎えに来るよ」



 幼い日の想い出である。

 レオーネも子息も、その場限りの口約束。

 幸い、レオーネの顔に傷は残らなかったが、その時の子息の顔も、レオーネの記憶に残らなかったのである。

 ぽっちゃりした輪郭と丸いお腹。青っぽい短髪であったことは、なんとなく覚えているのだが。



 そんなレオーネ、ぼんやりと昔を思い出しお茶を飲んでいたら、いつの間にやら婚約していた。

 父が何か言っていたのだが、聞き逃していたようだ。

 婚約相手と顔合わせをした時も、薄ぼんやりとしたまま挨拶した。


 婚約者の子爵令息ハワード・シーンは、レオーネの全てが最初から気に入らなかった。

 同じ家格だが自分は他の奴とは違う。

 もっと上の爵位の令嬢か、絶世の美人を娶りたいと思っていた。

 だって、俺自身が優秀で美しいのだから、と。


 ハワードの爵位と学識は大したことないが、外見は美しい。

 それを彼自身、自覚しているのがまた面倒くさい。


 今日も月一回の婚約者同士のお茶会で、親睦を深める機会であるのだが、ハワードは正面からレオーネを見ようとはしない。

 子爵邸の四阿で、彼は顔を傾けて髪を掻きあげる。サラサラのブロンドヘアが秋風になびく。

 これが一番カッコ良く見えると、ハワードは自覚している。


 レオーネには、なんかアホっぽく見えるのだが……。


「それで、今日も孤児院に慰問してたの?」

「はい、お友だちと一緒に行きました。……そのあと、孤児院の近くで一人暮らしをされている、ご老人のお邸にも参りました」

「友だちって誰?」

「グリモール様と、アリエンヌ様です」


 高位貴族のグリモールが慰問していると聞いて、ハワードは鼻白む。アリエンヌは男爵家の息女だったっけ。

 グリモールとはハワードが勝手に、ライバル認定をしている相手でもある。

 ふと思い返せば、グリモールから慰問に誘われたことがある。

 多忙を理由に断った。何の得にもならないことに時間をかけるほど、ハワードは暇ではないのだから。


 どうぞ、とレオーネは包みを開ける。

 中からは、焼き菓子が出てくる。


「孤児院の子どもの手作りか?」

「いえいえ。ご老人からのいただきものです」

「ふん……」


 どっちも変わらんと思いながら、ハワードは一口頬張った。

 存外旨い。

 だが、それをレオーネに言うのは癪に障る。


「君は、孤児院や老人の家で、何をしているんだ?」

「そうですねえ……」


 レオーネは、ホワンホワンと孤児院での様子を思い出す。


 元々、レオーネとアリエンヌは、年に数回開催される、孤児院のバザーを手伝っていた。

 それを聞いたグリモール・カザランド。王太子の側近候補で、知勇武に優れた男子である。

 彼が定期的に、孤児院を訪問しようと言いだした。


「孤児であっても、教育の機会を与えたい」


 若干上から目線だが、まあそこは高位貴族。

 国を良くしたいという想いはある。レオーネとアリエンヌは素直に従った。

 ゆえに一年くらい前から、一ヶ月に一度は三人で訪問している。

 最近、孤児院の敷地に棲みついた猫が、子猫を産んだので、子猫たちに会うのもレオーネは楽しみだ。かつてレオーネが木登りをして助けた猫は、だいぶ高齢になっていて、遊んでくれないから。


「本日孤児院では、子どもたちと一緒に絵本を読みながら、文字を教えたり、お菓子を食べたり……ご老人のところでは、お掃除やお洗濯を手伝ったり……お菓子を食べたり、ですね」


 結局お菓子かよ!


 何が楽しいのかと、ハワードは思う。

 一文の得にもならんことだ。

 しかも孤児院やら老人宅訪問やらの場合、レオーネの着る服は一層地味になる。

 今日のワンピースも、薄暮というより薄闇の色だ。


 やはり、無理だ。

 自他ともに認める麗しい自分の隣にいるのが、薄暮令嬢では釣り合わない。

 学園の仲間たちにもそう言われている。

 貴族の男たるもの、仲間から羨ましがられるような女性を、パートナーにするべきだ。


 ため息一つ吐くと、ハワードは立ち上がり、片手を挙げただけでレオーネの前から立ち去った。

 レオーネも吐き出したい息と想いを飲み込んで、お茶会を終了させた。



 レオーネ・コードリアスはハワード・シーンと、互いに十三歳の時に婚約を結んだ。

 貴族同士の政略結婚。

 愛情は二の次、三の次。


 ぼんやりとしていても、レオーネは他人の微細な感情を読み取ることは出来る。


 婚約者が自分を気に入っていないことくらい、レオーネも承知している。

 会った時から分かっていた。

 分かっているから、レオーネはハワードに聞かれたことしか答えない。


 婚約して三年、ハワードからレオーネへの贈り物はない。

 手紙もない。

 夜会へのお誘いも、勿論ない。

 二人とも、貴族が通う学園に在籍しているが、学園内では無視されている。


 レオーネは一応、季節の折々や、お茶会のお礼の手紙をハワードに送っている。庭で見つけた、愛らしい花や落ち葉を栞にして、同封したりもする。


 そんなささやかな贈り物すら、ハワードは気に入らないようだ。


 けち臭い女。


 そうも言われた。

 レオーネの父、コードリアス子爵は、いくつもの事業を手がけている資産家だ。

 どうせなら、もっと高額な、貴金属や宝石が良いとも仄めかされた。


 父は確かに資産家だが、レオーネに無駄使いを許す人ではない。


「相性、悪いのでしょうね……」


ハワードとのお茶会の数日後、レオーネはまた、ご老人のお邸を訪問していた。

 邸の主はノーマス卿。妻に先立たれ、爵位も領地も子息に譲り、郊外の邸に一人で暮らしている。

 この辺りの土地一帯は、レオーネの父、コードリアス子爵のものだ。



 コードリアス子爵とノーマス卿は、元々親交があるという。

 だから爵位は同じくらいだろうと、レオーネは思っている。


 お互い伴侶に先立たれ、相通じるものもある子爵と卿。

 ハワードと婚約した頃、父はレオーネに告げた。



「レオーネ。たまにノーマス卿のところに行って、お手伝いをしなさい」

「ノーマス、卿?」

「そうだ。伴侶に先立たれた男が集う『やもめ会』のリーダーもしている方だ」


 やもめ、会?

 やもめと鴎って響きが似ている……。

 レオーネの脳裏には、父の顔した鴎が、仲間を探して飛んでいる姿が映る。


 な、何だか……。

 か、可愛い。


「こらこら。レオーネ、そこでぼんやりしない」

「……はあい。……でも私、お手伝いって、何をすれば良いのでしょう?」

「一緒にお茶飲んで、菓子でも食べなさい」



 こうしてレオーネは、時折ノーマス卿のお邸を訪問している。

 今ではその訪問が、レオーネの楽しみの一つとなっている。


 だって、会話のテンポがゆったりしていて、話が合うのだから。


「うふふ。お話聞く限り、婚約者の男性、ハワード君だっけ、面倒くさいタイプだから、あなた以外の人でも相性合わないわよ、きっと」


「そう、でしょうか……」


 レオーネを励ましたのは、カンティマ夫人。銀色の髪を緩やかに巻いていて、紺色の総レースのドレスに大変似合っている。

 夫君と共に、本日はノーマス邸に遊びに来ているようだ。

 カンティマ夫妻とも、親しくしてもらっているレオーネである。


 特に夫人は、貴族の女性のあり方や嗜みを、さりげなく諭す。母を亡くしたレオーネには、有難い人物だ。


「いっそ、婚約なんか止めちゃえ」


 ノーマス卿は、凄いことをさらっと言う。

 ドキリとしたレオーネ、卿の顔を見る。

 レオーネも、ずっと思っていたことだったのだ。


 会うたびに疲労するハワードと結婚しても、きっとレオーネには何も良いことがない。


「そうですね……」


 ほわほわと、レオーネは思い浮かべる。


 自身の結婚式を。

 ウエディングドレス姿のレオーネと、腕を組む相手の顔を。

 相手の男性の顔は、どうしても、ハワードにならなかった。


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