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第22話 札差 吉井屋


 徳一は急いで米沢町にある自分の家に帰った。

 そこに青碕伯之進と権藤伊佐馬が待機していた。

 南町奉行所や八丁堀の青碕家の屋敷ではいざというときに遠いということから、昼間のうちにやってきていたのだ。

 今回の襲撃事件がどこで起きるかわからない以上、欣次や徳一がすぐに連絡のつけられる場所にいるべきだと考えたのだ。

 それが正解だったのか、今野屋からここまで五町ほどしか離れていない。

 おかげで、徳一はすぐに二人の侍と合流できた。


「あら、あんた。どうしたのさ」


 恋女房のお麻が炊事場で魚を三枚に下ろしていた。

 脇のザルにあと二匹乗せられている。


「なんでえ、その魚は」

「くじらの旦那の土産ですよ。面倒だからあたしに捌けとかおっしゃられてね」

「……人の女房をこきつかうなってんだ、あの旦那はよ」

「でも、余ったらうちにくれるっていうからさ」


 お麻は陽気に笑った。

 実のところ、この朗らかな女房は伊佐馬のことをたいそう買っている。最近には珍しい侍らしい侍だと思っているらしいのだ。

 こせこせして、町民にさえぺこぺこするような今どきの侍なんかよりも、岡っ引きの家でなにをするでもなく食い物を待って偉そうにしている方がよっぽどいい。

 しかも、いざとなれば凄まじい戦闘能力を発揮するということは夫から聞いている。

 何しろ、徳一自身が伊佐馬に命を救われているので嘘ではない。

 要するに、昔々、年寄りから聞いたいくさのできる本物のお侍だということだ。

 いざというときがないからいつも釣りをしているだけなのだ。

 だから、普段なら気の強いお麻はあの釣り侍を妙に気に入って世話を焼いているのである。


「おーい、おかみ。つまみはまだかね」

「はいよ、旦那。あんた、持って行ってあげてよ」


 家の奥から伊佐馬の声がした。

 捌いた魚を盛り付けた木の皿を押し付けられて、しぶしぶ三和土からあがって、奥に行くと伊佐馬と伯之進が座っていた。

 伯之進はお麻が用意したらしい白湯を飲んでいたが、伊佐馬の方はふくべに入れた酒を飲んでいた。

 目の前にからっぽの皿が置いてある。


「旦那方、例の浪人が仲間たちと合流しました。今は欣次が見張っておりやす」

「ご苦労だったね、徳一。で、場所はどこだい」

「広小路の今野屋という茶屋で、五人ほどの仲間と合流したようでさ。そのあとで、吉井屋という筋違橋傍の札差の手代がやってきやした。欣次に覚えがあって、省吉というそうで」

「―――吉井屋?」


 伯之進が問いかけた。

 聞き覚えがあったからだ。

 以前、伊佐馬と知り合ったときの事件で聞きこみを行った記憶がある。

 盗賊団に襲われた四ツ谷の大店の一つに札差屋があり、そこと関係がないかと探ったのだ。

 柳原通に詳しい下っぴきということで欣次を小者として同行させたことがある。

 結果としては、何の収穫もなく終わった訳であったが、なにせ記憶に新しい。


「なぜ、札差の手代が、その浪人どもとつるんでいるのだ?」


 伊佐馬の疑問ももっともだ。

 だが、吉井屋に実際に赴いたことのある伯之進の方が首をひねる。

 吉井屋は評判のいい札差だ。少なくとも、性質の悪い連中を雇い入れるようなことはしない堅実さをもっていたはずだった。


「吉井屋はですね、店主の治兵衛が家付き娘に入夫した婿なのです。治兵衛は店の商いを広げるよりも、先代から続いた暖簾を守るための、まあ守りの商売しかしません。だから、商売敵も少なく、客から恨まれることも少ない。どんなことでも危ない橋を渡るとは到底思えません」

「入り婿ということは、店の切り盛りでは女房の意見が強いのではないか。気の強い女房が暴走したのかもしれんぞ」

「治兵衛と女房のますは十ほどの歳の差もあって、そこそこ夫の方が強い夫婦めおと関係のようでしたよ。娘も確か十一歳くらいでしたか……夫婦仲はとても円満そうでした」


 そのあたり、伯之進は自分の人間観察に自信を持っていた。

 夫婦仲については破たんしてはいないだろうと確信している。


「古椀売りの甚七が盗み聞いた話にゃあ、色恋沙汰の痴情のもつれのようだったという話じゃないですかい。欣次のいう佐吉っていう手代が狙われているとしたら、そいつが吉井屋の女房をかついじまって、旦那が仕返しを企んだとかいうならどうです?」

「女房が手籠めにされた報復か。奉行所に届を出せば、町名主、月行事、五人組まで伝わって、あっという間に知れ渡る。それを嫌って我慢したとしても腸が煮えくり返って仕方がないから破落戸を雇う、ありえなくはないな」

「ですが、それだと雇った奴らに今度は弱味を握られて強請られることになります。吉井屋はそんな考えなしではありませんよ」

「では、娘が襲われたというのではどうだ」

「その場合はむしろ公儀に訴えでた方がいいはずです」


 寛保二年(1742)にできた「御定書百箇条」によれば「幼年へ不義いたし、怪我いたさせ候もの」は遠島とされている。幼年はいまでいう十四歳以下であり、成人女性に対するものが「女得心これなきに、押して不義いたし候もの」が重追放であることに比べるとかなり重く規定されている。

 江戸時代においても力のない少女に対して狼藉を働くものは多かったのであった。

 寛文十二年に神田錦町の甚左衛門という男が、長屋の大家の一人娘を犯し、大量の血を流させた事件がある。

 この甚左衛門はその日のうちに牢に入れられ、半月後には「人外なる仕形(人道にもとる行い)」として死罪となった。

 現在でいう罪刑均衡の原則からするとかなり違和感があるだろうが、幕府は幼女に対する犯罪に対しては容赦しなかったのは間違いない。


「それに娘が傷つけられたのならば色恋とは言わないでしょう」

「確かにな」

「吉井屋ではなく、省吉という手代が雇ったとも考えられますが、三十両はさすがに大金です。店住まいの手代にだせるものではありません」

「ふむ。―――酒も魚もなくなったことだし、そろそろ行くか。評定ばかりしていても始まらん」


 ふと気が付くと、徳一が頭をひねっている間に木皿に盛りつけられた刺身はすべて伊佐馬の腹に納まっていた。 

 呆れた手の早さだ。


「では、わしは欣次とともに浪人どもの後をつけよう。ことが起きたら、殺さん程度に叩きのめしておく」

「私は吉井屋を当たってからいきます。佐吉というものが狙われているのならば、店で住処を聞きだしてから合流しますね。行き先がわかりそうならば今野屋に手紙か言伝を残しておいてください。―――徳一、つきあってくれ」

「へい」

「可能なら、わいつがやってくる前は我慢しておこう」

「権藤さんに我慢ができますか」

「なに、鯨が来るまでじっと我慢の子ができねば漁師はやってられんさ」


 そう言って、徳一を含めた三人は家を出て、それぞれの目的地へと向かった。





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