目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第24話 狙われた兄妹


 欣次は背中を蹴飛ばそうとして相手が体勢を崩したために、ただ無様に激突するだけで終わり、見事に地面で転んだ。

 ぶつかられた方も何が起きたかわからず、完全に肉体の均衡を失って倒れる。

 小屋の内部から吹き飛んできた浪人はかろうじて踏みとどまり、前傾姿勢のまま抜刀した。

 何が起きたかわからなかったが、すかさず反撃の準備を整えられた分だけ、浪人たちは場慣れしていたといえる。


 ―――ほんの数秒前。

 踏み込んでみると、小屋の奥に一人の娘が座っていた。

 裾の乱れも気にせずに片膝立ちで、まっすぐと背筋を伸ばし、侵入者を睨みつけていた。


シャ!!」


 と掛け声とともに、浪人の肩に黒いものを放つ。

 激痛が走る。

 飛来してきたのは五寸ほどの釘のようなものであった。

 釘と違うのは、尖った先端部分の逆にある頭の部分がなく、わずかに折れ曲がっている点である。

 武芸に明るいものならば、これは一部の剣術流派で使用する隠し武器―――秘器の一つ、釘千本だとわかっただろう。


シャ!!」


 間髪入れずにまた掛け声が迸る。

 二本目も狙い過たず、もうひとりの肩に突き刺さった。

 もっとも狙いは正確であったが、残念なことに迅さが足りず、娘が放った釘千本は二本にとどまった。

 予想外の奇襲を受けた荻野たち浪人は二人が手傷を負ったことになるが、すでに四人が小屋内に侵入しようとしていた。

 たかだか飛び道具の刃物ごときで止められるはずがない。

 命中させるのならば顔面を貫くべきであった。


 しかし、次の瞬間、横合いから躍り出た影が一つ、刀を持ったひとりの手を掴み反対側に投げ捨て、もう一人の腹を横蹴りで蹴る。

 蹴られた方は開け放たれた戸を抜けて、後詰めの仲間にぶつかった。

 飛び出てきたのは若い男だった。おそらく目的の佐吉という手代であろう。自分の家だというのをさておいたとしても、非常に手馴れた動きといえた。

 浪人たちは何が起きたかわからない。

 この小屋には多少喧嘩の強い商店の手代とその妹が暮らしているだけで、こんな手強い反撃があるなど想定もしていなかったからだ。

 いかに腕が立つといっても所詮は町人―――それ以上を考えつかなかったのが、この思わぬ被害であった。


 刀を抜いている二人も狭い室内では自在に振り回せない。

 いきなりの奇襲に驚いて判断の遅れた手代の喉元に剣先を突きつけ、それから自由を奪う予定であったのでまさか立ち回りに移行する羽目になるとは……


「朱鷺」

「はい、兄さん」


 釘千本を放った娘と兄と呼ばれた手代は連れ立って、裏口から脱出する。

 とてもではないが突然襲われたもののする手際ではない。

 しかも、その際に行燈を手で払って火まで消している。

 となると、一瞬だけ灯りに目を慣らした浪人たちは視界が塞がれることになった。

 すぐに兄妹を追って外にでたのは二人だけという有様だった。


「卑怯な!!」


 思わず口に出してしまった。

 どちらが卑怯な振る舞いをしているかなど、本来なら語るまでもない。

 武士の身でありながら六人でひとりを襲おうとし、刀まで抜いて、暗い新月を選んできた荻野たちにそんなことを口にすることなど許されるはずがない。

 ゆえに卑怯と罵られたとしても、狙われた側の兄妹が気にする必要はない。

 だが、その一言で兄妹は脚を止めた。

 止めてしまった。


「―――卑怯だって?」

「卑怯……」


 浪人たちの混乱に乗じて小屋から這いずって遠ざかった欣次は、反対側から兄妹を眺めた。

 どちらも町人の着流しに古着の帯をしめている、江戸ではありふれた格好だ。

 ただ、兄貴も妹も凛として端正な顔立ちをしていた。

 何よりも顔つきが違う。

 兄の佐吉については聞きこみの際に顔を拝んだことがあるが、かつてとは別人のようだった。

 札差の手代とはとても思えない。


「衆を頼んでよその家に押し込んでおきながら、言うに事欠いて、だと」

「丸腰の町人に刀を抜いておきながら卑怯ですって」


 兄は腰に差していた白鞘の脇差をひっぱりあげた。

 妹は両手を伸ばし、その指先にひっかけるようにして釘千本を握る。構える。

 逃げるのはやめて六人の浪人とやりあうつもりのようだった。

 浪人たちはわずかに怯んだが、全員が抜刀を終える。

 八双、正眼、上段に構えた。


 彼らも本気になっていた。

 たかが町人とは思っていたが、兄妹の構えはどちらもその範疇を越えていることを見抜いたのだ。

 今でこそ無頼に身をやつしてはいたが、この浪人たちもかつては一端の武士であった。

 剣術の修行もそれなりにやってきている。


 ゆえにわかる。

 この兄妹はかなりやる、と。

 見物に回らざるを得ない欣次でさえわかるほどだった。


(おいおい、あいつ、吉井屋のただの手代じゃねえのか)


 兄―――佐吉は脇差を片半身で正中線を隠し、妹―――朱鷺は片膝をついて釘千本を打つために安定させる。

 浪人たちとの距離は二十間ほど。

 本気になって斬り合いとなれば、それまでの間に朱鷺の釘千本が当てられるのはすべて命中できる腕前があっても二人が限度。

 佐吉が定寸の刀相手に脇差でどれだけ相手ができるかはわからない。

 むしろ、あっというまに押し包まれて殺されるのが関の山という対峙だった。


 兄妹は逃げるべきだったのだ。

 挑発ともいえない挑発など無視すべきだったのだ。

 だが、あえて乗った。

 そこに欣次は武士の如き覚悟を見た。


(もしや、あの二人、もともとは武家の出だったのかもしれねえな)


 多人数で闇討ちをするような輩に卑怯と呼ばれて背を向けるのは恥辱を受けるのと一緒。死ぬよりも恥ずかしい。

 近頃の渡世には珍しい芯の通った連中だった。

 欣次も覚悟を決めた。

 どちらかが踏み込んだら飛び出そう。


(あっしだってお上の御用を預かってんだ。見て見ぬふりはできねえ。どうせ、さっきの小屋の前に突っ込んだときに覚悟はキメてんでえ。今更今更)


 十手を抜いて、いざと構えたとき、


「女子をいれて二人相手に六人がかり、しかも刀まで抜いてとは、しゃんとせんゆがらよのお。―――ならば押しかけの助っ人が混ざっても文句はあるまい」


 赤樫で削りだされた櫂のごとき太い木刀を背負った赤銅色の肌をもった巨漢が進み出てきた。

 その途中、欣次の尻を叩き、笑った。


「欣次の親分も助太刀するんだろう」

「……あたぼうでさ、旦那」


 伊佐馬が来なくても欣次は行ったのだ。

 別にくじら侍に唆されたわけではない。

 十手が行けと言ったのだから。


「何もの!!」

「貴様!!」


 浪人たちは突然二人もの助っ人が現われたのに目を丸くしていた。

 少なくともこの界隈はこの時間に通りすがりがいるような場所ではない。

 しかも、ひとりは明らかに岡っ引きらしい十手を持ち、もうひとりは滅多に見掛けない大柄の武士だ。

三尺はあろうかという太い木刀を抱えている。

 先ほどの兄妹の抵抗も含めて、様々なことが怒涛のように起きるので頭が回らなくなりそうだった。

 だが、冷静に考えてみればこちらは六人、あっちは四人。数の上では勝る。

 そして、六人ともに腕には自信がある。


「われらを舐めるな!!」


 浪人たちは三と三に分かれ、それぞれの方角に切りつけた。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?