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第4話 生まれ変わる

鳥のさえずりが聞こえる。

朝の光が、まぶたをやわらかくくすぐった。


──まさか、また朝が来るなんて。


ゆっくりと瞼を開けると、そこは知らない空間だった。

白い漆喰模様の天井。真鍮の装飾がきらめくシャンデリア。厚手のベロアのカーテンが窓を覆い、差し込む光がやわらかく部屋を満たしている。


(……ここは?)


起き上がろうとした瞬間、腕の細さに息を呑んだ。


白く、小さな手。指先を動かすと、かすかに震えながらも、意識どおりにちゃんと動く。

その感覚が現実を告げていた。


慌てて立ち上がり、部屋の隅に置かれた姿見に駆け寄る。

そこに映ったのは──高校の時の私。


長い黒髪を肩で結び、まだ幼さの残る顔立ち。

目を凝らしても、そこには16歳頃の「松山結衣」が立っていた。


(……これ、私?)


呼吸が荒くなる。手で頬を押さえると、鏡の中の少女も同じ仕草を返す。

確かに、これは夢なんかじゃない。


そのとき、ノックに続きドアがそっと開いた。


「恵美様! ようやくお目覚めになりましたか」


初老の執事が駆け寄り、安堵したように微笑む。

続いて、エプロン姿のメイドも「恵美様」と呼びながらタオルを手にして近づいてくる。


(……恵美? 私のことを、恵美と呼んだ?)


頭が混乱する。

結衣だったはずの私は、なぜか「恵美」と呼ばれていた。


(恵美……? 誰? 私じゃない。私は松山結衣のはず……)


思考がぐるぐると空回りする。

胸の鼓動は速すぎて呼吸と合わず、喉がひどく乾いていた。


“恵美様”と呼ばれるたびに、体の奥がざわつく。

耳の奥で自分の名前──「結衣」が何度もこだまし、どちらが本当なのか分からなくなる。


手を握りしめる。けれど、そこにあるのは細く白い手。

鏡に映った16歳の少女の顔と、記憶の中の25歳の自分。

まるで心と体が別々に存在しているみたいだった。


答えを探すように視線をさまよわせると、ベッド横のテレビがふと目に入った。

リモコンを手に取り、スイッチを押す。


映し出されたのは朝のニュース番組。

画面の隅に並んだ数字に、心臓が止まりそうになった。


──2016年5月9日。


アナウンサーの声が流れる。


「続いてのニュースです。先月の熊本地震から一か月、いまも避難生活を送る方々が多く、復旧作業は長期化する見通しです。ゴールデンウィーク期間中は全国から多くのボランティアが集まりました」


「一方、アメリカ大統領選は民主党のヒラリー・クリントン氏、共和党のドナルド・トランプ氏がそれぞれ支持を広げ、11月の本選挙に向けて候補者指名争いは最終局面を迎えています」


(……トランプとヒラリー? そんなの、ずっと前の話だったはずなのに……)


思わず息を呑む。


(うそ……私、10年前に戻ってる?)


声は震え、胸はざわめき、足元から力が抜けていく。


あの事故で終わったはずの命。

脳裏に光景がよみがえる。

赤信号を無視して突っ込んできたトラック。

裂けるようなブレーキ音。

ガラスが砕け、破片が宙に散った瞬間。

そして──隣で私に手を伸ばしたドンジュ課長。

届きそうで届かなかった、その指先。

視線が重なったとき、時間が止まり、心臓が爆発しそうなほど脈打った。


でも、言えなかった。

本当はあの瞬間、ただ一言でよかったのに。


(……好きです)


たったそれだけの言葉を、伝える前に私は終わった。


(確かに、私はあそこで……終わったはずなのに)


でも今、私は確かに生きている──。

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