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ヒトの雨が降るセカイの騎士
ヒトの雨が降るセカイの騎士
陸 理明
異世界ファンタジーダークファンタジー
2025年08月25日
公開日
4,193字
連載中
「この世界では、空からヒトが降る。毎週毎週、途切れることもなく」 人間の雨が降り注ぐ街〈央京〉に、異世界より“魔王”を自称する魔人が三匹の〈妖物〉どもと降り立った。それを迎え撃つのは、かつてただ一人魔法を操れた〈勇者〉から力を授かった少年。血に塗れた腐ったセカイのために騎士―――あつきは立ち上がる。最強の〈勇者〉には及ばずとも、ちっぽけな街を護る騎士として。

第1話 驟雨の街


 窓の外に視線を送ると、幾つもの黒い物体が雨のように降り注いでいた。


 秋良波羅あきらばらあつきは、もう散々見慣れた光景だというのに目を逸らすことができなかった。

 一週間に一度は必ず降ってくる〈雨〉だ。

 酷いときは三日連続ということもある。

アレ〉がこの街にとっては欠かせないものだということもわかっていたし、あつき自身がそれに対して何かをすることもできない。

 見て見ぬ振りをし、思考を完全にストップさせて、他の街民同様に割り切ってしまえれば、いったいどれだけ楽になることだろうか。

 だが、あつきにはできない。

 こんなにも堕落したセカイに身を置いていても、見てしまう以上は、いつまでたっても彼の心は激しく揺さぶられてしまうのだった。


 ――あの〈雨〉に。


 


 ―――

 毎週毎週、途切れることもなく。

 ―――


 しばらくすると、黒い点は落ちてこなくなった。

 今日の〈雨〉は止んだようだ。

 街の行政を司る〈政廷せいてい〉の行った統計によると、一回の〈雨〉で墜落死する人間たちの数は二百から三百人ほど。

 最初の一人目の落下から、最後の一人が終わるまでの時間は、一分から時間がかかったとしても最長で三分。

 かつて、〈雨〉が降っていることを街民に注意勧告するべきだという提案がなされたこともあったが、〈雨〉の勢いはいつも同じ調子で強いものなので、そんな悠長な時間はないと結論付けられて廃案になったことがある。

 一度〈雨〉が降れば、まさに五月雨式に三百人近い人命があっけなく失われる。

 街中がの死体で溢れることになるのだ。

 しかし、この街の人間たちは慣れきってしまい、もうほとんど〈雨〉による死について気にも留めなくなっていた。

 むしろ、喜んで降雨を待ち望むものさえも大勢いた。


 なぜなら―――


「ラッキーくん、外を見ていたの? もう下校するつもり? まだ授業中だよ?」


 あつきが小さな頃からの知り合いが隣にそそくさとやってきた。

 もしも単語として使うことが許されるのならば、彼女は幼馴染といっていいポジションにいる人間だ。

 もっとも、この街の狭く深い人間関係に従えば、同じ地区に住む同年代はほとんどが幼馴染といっても過言ではない。

 だから、あつきは彼女を特別だと考えたこともない。

 それどころか近くに寄ってきて欲しいとも思えなかった。


「……俺を変なあだ名で呼ぶな」


 すると、彼女―――呂久谷ろくがや朱衣しゅいは、バツの悪そうな顔をした。

 悪いことをして怒られている幼児のようだった。

 この時代になってもまだしつこく生産され続けている古風な学生服があまり似合わないのは、彼女が童顔だからだろうか。

 目鼻立ちのはっきりとした、誰にでも好かれるように可愛らしい少女ではあったが、残念ながら、あつきにとってはどんな感慨も引き起こさない。


「まだ、怒っている?」

「いや。……おまえが俺に怒られるような真似はしていないはずだ」


 本人は気にしているようだが、あつきにとってはどうでもいいことだ。

 むしろ、そこまで気にしているのだったら、とうの昔に改めておけばいいだけのことだ。

 確かに、彼女が気にしていることをやられた当時を思い出すと、さすがのあつきも落ち込んでしまうかもしれないが、本当に、本当に、すでにどうでもいいのである。

 今のあつきには悪夢にさえもならない程度のどうでもいい過去だった。


「いつから“僕”じゃなくて“俺”って呼ぶようになったの? ラッキーくんらしくないよ、俺なんて……」

「ほっといてくれないか。おまえが俺に何かをいうには、そういう階位グレードを得てからにしてくれ。少なくとも、今のおまえにとやかく言われる筋合いはない」

「ラッキーくん、変わっちゃったね……」

「別に。『僕』は何も変わっていないさ」


 暗に昔の朱衣が悪いという気もない。

 この街の閉ざされた環境を考えれば、保身のために最善を尽くしたともいえるのだから。

 そして、朱衣のことをとやかく言う立場に、もうあつきは立っていやしない。

 彼女との付き合いを続ける気もないのだから、できることならば、一刻も早く傍から離れたかった。


「じゃあな」


 廊下に立ち尽くす朱衣を置き去りにして、さっさと歩きだした。

 彼女と一緒にいるところを誰かに見られて、二人ともわけのわからない絡まれ方をするのはゴメンだ。

 今となっては彼をどうこうできるものは青年学校ここにはいないが、無意味な精神的なストレスを掛けられるのは迷惑千万である。

 朱衣が追ってこないことを確認し情けなくも安堵すると、生徒手帳と一体になっている携帯端末を取り出して、先ほどの〈雨〉の情報を得ることにした。


 落下が集中したのは中央街区と隣接する甲級住宅街。

 街からの資金が注ぎこまれているので、他の街区と違って墜落者防止ネットだけではなく、特別に誂えられた屋根アーケードが用意されているはずだった。

 屋根は重いタングステン鋼を中心にした金属板で造られていることから、どんな高度から人間が落下してきたとしても確実に防ぎきり、地上にまで達することはない。

 ゆえに、さっきの〈雨〉による街の被害はないはずだった。

 あってもほんの軽微なはずだ。

 落ちてきたすべての〈雨人アメン〉を除いては、だったが。


〈雨人〉が落下してくるのは、高度1500から2000メートルからだと言われている。

 あとは地面に激突するだけだ。

 もちろん、パラシュートも命綱も無しに、その高度から落下して生存できる人間などはおらず、例え地上予測落下地点をピンポイントでカバーしたとしても効果はなかった。むしろ、まったくの無意味であった。

 発生した時点で死が確約されているという他はない。

〈雨人〉とは、まさしく地上に辿り着いて弾けて飛ぶ小さな雨粒のような存在でしかなかったのだ。

 したがって、この街にそんな〈雨人〉のことを救おうとするものはいない。


「―――三百五人か……。死に過ぎじゃねえかよ」


 あつきは観測されたさっきの〈雨人〉の人数を確認して苦々しく吐き捨てる。

 さらにニュースは続き、落下によって怪我をした街民はいないと報じていた。

 ネットニュースはその数字だけを、単に事実としてサイトの隅に載せていくのだ。

 観測されただけでそれならば、これまでの経験則上、実際にはもっと多くの〈雨人〉が無惨にも死んでいることだろう。

 人目につかないところに墜落したのもいるはずだからだ。

 あまりにも死角に入りすぎて、数年たってから見つかる〈雨人〉の死体というのもよくある話だった。

 ……我慢がならなかった。

 怒りだけが巻き起こる。

 しかし、あつきには何もできない。

 前触れもなく突然超高度に姿を現し、現状を把握する間もなく地面に叩き付けられて死んでいく人間たちを、全員助けることなど誰にも絶対にできないのだから。


 盗難防止用の鍵付きの下駄箱から靴をとりだし、履き替えた。

 あつきが通学に使っているのは頑丈だけが取り柄の作業靴だった。

 理由があって選んだものだが、スマートな意匠の学生服には哀しいぐらいに似合っていない。

 ただ、誰かの目を気にするような繊細さはとうの昔になくなっている。

 校舎から出ると、大通りまでの空間に架けられた雑に造られた屋根の下へ進む。

 この屋根は代々の学生と保護者があり合わせの材料を使って架けたものだった。

 かなり古くはなっているが、1500メートルの上空から落下して来た人間の速度と重量からくる破壊力で壊されない程度には頑丈にできている。

 これのおかげでここ十年ほど、この青年学校では〈雨人〉の墜落による被害は出ていなかった。

 あつきは、屋根のせいで夕方だというのに光があまり差してこない校庭を歩いた。

 他の学生はまだ誰もいない。

 午後の授業を抜け出して帰るような怠けた学生は、そうそういないものだ。

 特にこの青年学校は街民でも金を持っている家庭の子息ぞろいだ。

 不良や出来損ないはほんの一握りしかいない。

 あつきはその中に含まれていた。

 ただのアウトサイダーでしかなく、孤立するのが趣味のような人種。

 そんなあつきを待っているものがいた。

 校門の手前で仁王立ちになる女性が一人。

 あおぐろい軍服めいた衣装をまとっていた。

 肩には勲章のついた分厚いコートを重ね着し、腰に佩いたサーベルのような長物の武器が異彩を放っている。

 ちょっとした知人だった。


「―――あんたか。もう青年学校に通う年齢じゃないだろ」

「ほうっておけ。卒業はだいぶ前のことだが、別に復学しに来たわけじゃない。貴様に用があって来た」

「俺はあんたに会いたいと思ったことはないぜ。だから、帰ってくれないか」

「そうはいかん。貴様になくても、私にはあると言っただろう」


 あつきはこれ見よがしにため息をついた。

 正直な話、願い下げだった。

 この女の用事なんてろくなものでないことは確かだからだ。

 何も言わずに消えてくれるのが一番いいというのに、この調子では雑でもなんでもいいから話を聞いてやらない限り帰ってくれないだろう。


「あんたの所の機械人間サイボーグやら生体改造人間ブーステッドマンやらに命令してやらせればいいだろ。俺みたいな一般人を選んで頼まなくても」

「何を言っている? 貴様以上の適任がいるとは思えん話だから、この私が直々に足を運んできたんだぞ。その程度、察しろ」


 あまりの高飛車ぶりにあつきは二の句が継げない。

 酷い話だ。

 付き合いがそこまで長い訳ではない。

 しかし、二人の間には、下手な肉体関係以上の濃密な関係があった。

 いつまでたっても馴れる相手ではないというだけだ。


「―――わかっているとは思うけど、もう〈勇者タム・リン〉はいないぞ。彼女を当てにしているのならば空振りだったというしかないな」

「何を聞いていたんだ、貴様は。私は貴様に用があるといっただろ」

「……俺に何をさせようってんだ。俺はタム・リンみたいな〈勇者〉じゃねえんだぜ。格も力もずっと落ちる、足元にも及ばない程度なんだ」


 だが、あつきのその自己評価を女は鼻でせせら笑った。


「確かに貴様の言う通りだ。“”はもういない」

「わかってんのなら……」

「だが、〈勇者〉がもういないのならばこそ、我々は“”に縋るしか道はないのだよ」


 挑発的な眼差しを一寸たりとも逸らすことなく女は言い放つ。


「あの偉大な〈勇者〉が遺したただ一人の弟子にね」


 逆に、あつきの方が先にそっぽを向く羽目に陥っていた……


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