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第二章 『呪の杖 編』

004

 国家直属護衛軍にはメインとなる訓練所が2箇所ある。

 1つは水中の訓練が可能なように東の海辺に。もう一つは魔物の進行を抑えるように西の森近くに。

 本日クラトスは自身が束ねる第一中隊の訓練のため海辺にある第一訓練場で部下の訓練をしながらも少し遠い目で水平線を眺めている。

 海辺の訓練では赤のラインが特徴的な軍服ではなく、水着で行われることが多く、それは訓練を指示しているクラトスも例外ではない。

 ただクラトスは水着に上裸というわけではなく、あの日以降何度か訪れたアストレア工房にて購入した箒型杖用のハーネス型ホルダーを身につけており、そのホルダーにはアストレア工房で仕立ててもらった青と白を基調としたデザインの箒型の杖が刺さっている。

 部下からは、裸にハーネス型のホルダーを着けている姿は他の隊に見られないようにしてくれと釘も刺されている。何でも胸筋が強調されて不埒であるとのこと。

 ただ理由はそれだけではないらしく。



 「中佐、まーた遠くを見つめてるよ。」


 「杖を新しくしてからあーだよな。」


 「おいニケ。お前が紹介した杖工房だろ?何かしらないのか?」


 「知らねっすよ。ただあの表情は・・・」


 「表情は?」


 「ありゃ”恋”だな。」


 「「「”恋”!!!!!!!!!」」」


 「一切の女っ気のないあの中佐にか!」


 「幼少の頃から軍に所属して、魔法と戦うこと以外に興味のないあの中佐にか!」


 「あぁそうだ。相手は誰かはわからねーが、これ以上あの表情は危険すぎる。」


 「確かに。しかも今は上裸にハーネス姿。あの格好にあの表情を見たら惚れない女はいないだろ。」


 「おいお前たち。」


 「「「「すみません!サボってません!」」」」



 どこから聞いていたのか、クラトスは部下四人のすぐ側に立っていた。

 至近距離で見るクラトスは圧巻で流石は王家直属護衛軍の中佐を勤めているだけある。

 無言の圧力というべきだろうか。部下からのサボってない発言を聞いてからすでに数十秒が経過しており、部下もあまりの圧力に動けずにいる。

 そんな状況を変えたのは、クラトス自身であった。



 「その、婚姻前の女性に手を出してしまったのだが、ど、どうしたらいいと思う?」


 「は?」


 「は?」


 「はい?」


 「え、なんすか中佐!婚姻前ってことは付き合ってる女性ってことっすか?」


 「いや・・・付き合ってない。というか出会ったその日に、手を取ってしまってだな。」


 「え?」


 「え?」


 「え?」


 「は?」


 「いや中佐。手を取ったって、手を繋いだってことっすか?だったらなんすか、どうしたらいいかっていうのは。別に男女で手くらい繋ぎますよ。

 それに婚姻前って、結婚してないと手を繋いでいけないなんてことはないんすよ。」


 「そ、そうなのか。では手を繋いだからと言ってなにか責任を取る必要はないということか?」


 「だからそう言ってるじゃないですか。

 で、どんな人なんですか?中佐が手を取って人ってのは。」



 恋愛通り越して女性初心者であるクラトスは、あまりの真実に動揺を隠せないでいた。

 しかしニケからの相手は誰なのかという問いかけに対して、相手を想像するクラトスの表情は普段は凛々しい目つきなのに対し、目尻が垂れ下がり、口元は広角が若干が上がっている。端的に言うとクラトスの表情は好きな人を思い浮かべるそれであった。

 この表情に上裸。そして胸筋を強調するハーネス型のホルダーときた。部下が他の隊や一般市民に見せるなと言っているのはこのためだろう。

 そんな姿を見たら女性だけではなく、耐性のない男性すら虜にしてしまうだろう。

 クラトスの魅了を華麗に躱しながら、ニケを続けて投げかける。



 「もしかして、この前紹介した杖工房の店主とかっすか?

 確かあそこの店主”義眼の魔女”っすよね?」


 「え、あ、いや。そ、そうなんだけど・・・」


 「え、マジっすか!中佐もう何回か店に足運んでますよね?

 買い物かと思ったんすけど、会いに行ってたんすか?」


 「いや!ちゃんと買い物もしてるぞ!」


 「”も”って言っちゃってるじゃないっすか?

 それでどうなんすか?デートとか誘ったんスか?」


 「ででででででででデート!?!?!?!?

 そんな不埒なことできるわけ無いだろ!!!!!!!」


 「いやいや、ウブ過ぎますって。

 好きな女の一人や二人、誘えなくてどーするんスか?

 しかも不埒じゃないっすよ。何想像してるんスか。

 一緒にご飯行くとか、買い物行くとか。そういうのでいいんすよ。

 お互いの人柄を知る機会なのがデートなんすから、気になるならデートくらい誘ってくださいよ。

 俺等の憧れの中佐なんすから!!!!!」



 ニケのあまりの力説に若干押されながらも、クラトスはアストレアに対する自分の気持ちが何なのかまだ整理がつかないまま、また遠くを眺めた。

 その時クラトスの視界の端に閃光のようなものが映った。

 閃光はクラトスだけではなく、部下の目にも映っていたようで、全員が閃光を追うように顔を動かした。

 閃光の数は1つや2つどころではない。それに遅れたかのようにくるこの風圧。クラトスら第一中隊の目には、空を埋め尽くすほどのワイバーンが映っていた。

 ワイバーンは現在最もSランクに近いAランクの魔物であり、五大属性である火・水・風・雷・土の魔法を巧みに操り攻撃を繰り出してくる。更には飛竜種であり、地上からの攻撃はいなされるため強制的に空中線を余儀なくされる。

 魔法使いは基本的に風魔法の浮遊を扱うことができるため、空を飛ぶこと自体は可能なのだが、浮遊魔法を維持しながら、別の魔法を扱うことはとても困難であり、そのためワイバーンと空中線を繰り広げても攻撃を交わすことに専念することがほとんどである。

 そんな1体でも討伐が難しいとされるワイバーンが空を埋め尽くすほど大量にいる。



 (どうしてこんなにもワイバーンがいるんだ。

 そもそもワイバーンのような危険種が1体でも国に近づけば警報が鳴るはずだ。

 なぜ鳴っていない?どうなっている?

 いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。国民が避難するくらいの時間を稼がなければ!)



 クラトスが視線を下に戻すと、そこには絶望に満ちた表情を浮かべる部下の姿があった。無理もない。Aランクのサラマンダー1体ですら軍を動かすほどの戦力が必要になる。それでも全員が無傷で生還できることはない。

 それがSランクに最も近い魔物が空を埋め尽くすほど大量に発生している。勝てるはずがない。戦場において勝つことが出来ないということは死を意味する。

 つまり現状は部下の士気が下がり、戦うことすら諦めている状態だ。

 クラトスがどうすべきかを悩んだその時、遅れて警報がキダ王国全体に鳴り響いた。

 その警報に気持ちを戻され、部下へと命令を下す。




 「全員杖を持て!戦う前から諦めるな!

 お前らは強い。俺の訓練に耐えてきただろ!

 今ここで、今までの成果を出さずしていつ出す?

 誇れ!お前たちは俺の部下だ!」



 クラトスのその言葉に王家直属護衛軍 第一中隊の表情は変わった。

 杖を持ち、絶望の表情から一変。前を向く戦士の表情になった。



 「二人一組になれ!

 ひとりは浮遊で相手と自分の操作しろ。もう一人はできるだけ攻撃力の高い魔法を奴らにぶち込め!

 俺は下から援護と民間人に被害ができないように、障壁を張り続ける!」



 そう言い終えると、クラトスが作成したであろう魔法陣は自分たちとワイバーンを隔てるように展開された。おそらくクラトスの障壁もそう長くはもたない。空を埋め尽くすほどのワイバーンの攻撃など、1体でも防ぎきれるかが危ういのが正直なところだ。それをこんな数相手にはできないだろう。

 しかしそんなことはこの場にいる全員が分かっている。

 それでも立ち向かうんだ。

 第一中隊は二人一組になり、次々にワイバーンへと特攻していく。


 その時空間が揺れたような気がした。

 違和感を覚え、クラトスは全員止まるように指示を出した。



 「賢明な判断だ。」



 その声はどこからともなく聞こえてきた。

 次の瞬間、この場にいる全員目を疑った。空がねじれていく。

 それは言葉通りの意味で、ワイバーンを中心に空全体がねじり曲がっていく。

 そしてワイバーンは消滅した。



 (何が起こったんだ?これは空間魔法か?

 空間魔法だとすれば、取り囲む空すべてを範囲とする空間魔法とはなんだ?

 いや、聞いたことがある。

 大空の魔法。空間すべてを自身の領域とする魔法。

 しかしこんなことができるとすれば、魔法七賢人の風の王くらいしか......)



 クラトスの予想は正しかった。

 ワイバーンの消滅した空に現れたのは、純白に金のラインの入ったローブ姿の男であった。

 純白のローブなどこの世界で七人しか着ることが出来ない。それは魔法七賢人にのみ付与される正装だからである。

 魔法七賢人とは、7つの系統の魔法において最も優れた使い手に与えられる称号のことである。火・水・風・雷・土・光・闇の各系統に一人ずつ割り振られている。

 魔法七賢人に選ばれるにはその系統における新たなる魔法の開発などの功績を上げるなどを行う必要がある。なお、すでにその系統に魔法七賢人がいる場合は魔法での決闘を行い、勝者が魔法七賢人の座に就くことができるという。

 つまり魔法七賢人とはこの世界に七人しか居ない魔法の王なのだ。

 そんな魔法七賢人が一人、風の王が今、空を覆い尽くすほどのワイバーンの大群を一掃し、クラトスたち第一中隊が訓練をしていた第一訓練場に降り立った。



 「け、敬礼!」



 クラトスは咄嗟に自身が率いる隊のメンバーにそう告げた。隊のメンバーも号令が体に染み付いているのか、咄嗟の号令や異例事態にもかかわらず隊列を組み、魔法七賢人が一人、風の王へと敬礼をした。



 「やや、かしこまらなくて大丈夫だよ。ありがとねー。

 いやー、あんなワイバーンの大群なんて久しぶりに見たよ。あせったー。

 街の方には保護術式展開したけど、一応被害が出てないかだけはそっちで確認してもらっても大丈夫?」


 「ハッ!問題ございません。

 今回の件も含め、王家直属護衛軍 第一中隊にて確認とそれに伴う報告をさせていただきます。」


 「あ、ほんと?ラッキー。ありがとねー。

 そうだ自己紹介がまだだったね。僕は魔法七賢人が一人。風の王って呼ばれてるフォグ・ユースティティアっていいまーす。

 でも、そっかそっか。第一中隊ってことは君がサン・クラトス?であってる?」


 「え、あ、はい。そ、そうですが、なぜ俺のことを知ってるんですか?」



 ユースティティアは腕を組み、少し考える素振りをすると「なんで知ってるんだっけ?」とこぼす。その後も数秒間唸り続けた後、「あ、そうだ...」と続けていった。



 「先日の国王陛下謁見式の護衛任務の時、広場全体に熱感知ができるようの魔法陣張ってたよね?たぶんそれだ。」


 「お、覚えてていただき大変恐縮です。」

 クラトスはユースティティアに向けて一礼をする。


 「そんなかしこまらないでよ。すごいよね熱感知魔法。

 炎系統は得意じゃないから、僕には出来ない魔法だなぁ。

 ん?そんな杖だったっけ?」


 「いえ。あの時は指揮棒タクト型の杖だったんですけど、あのあと新調しまして。

 今はこの箒型を使ってます。」


 「へぇ。」



 クラトスの杖を見るユースティティアの表情が異常だった。

 狂気にも思えるその視線は杖自体を睨みつけるような眼差しで、その大きな杖を下から上へと舐め回すように見る。

 口元は緩み、微笑んでいるようにも見えなくはないが、どちらかというと何かを嘲笑うかのようなそんな下劣な微笑みであった。



 「な、何かありましたか?」


 「うん、そちらの杖はどちらで作られたもの?

 もしかして軍所属もマスターに杖を仕立ててもらえるの?」


 「いえ!マスターが杖を仕立てるのは王族か魔法七賢人のみとなります

 この杖は街の工房で作っていただきました。」


 「そっかそっか。街の工房ねぇ。

 それサラマンダーの青角でしょ。しかも通常個体じゃないね。特殊個体だ。

 特殊個体の青角なんてよく手に入ったね。価格もそれなりだったでしょ。

 それとその腕輪も杖かな?すごいね。君の魔力に合うように調整が施されてる。そして風系統か。いいね。炎系の魔法の補助で使うのかな?」


 「よくわかりましたね。

 確かに特殊個体のサラマンダーの青角なんですが、工房の方に良くしていただいて1万ゴールドとかいう破格で仕立てていただきました。

 そしておっしゃるとおり。腕輪も杖になってまして炎の補助として風魔法を使う用の杖になります。」



 それを聞いてユースティティアは先程の表情から一変。眉間にシワが寄った状態で瞳孔が開き、口元は開ききっていた。



 「1万ゴールド?その工房の店主は価格の価値を知らないのか?

 それで仕立て費込みでいくらだったんだ?」


 「仕立て費込みで1万ゴールドです...

 箒型と腕輪の杖の2本で1万ゴールドです...」


 「...信じられないな。

 その工房はなんと言う工房だ?」


 「アストレア工房という工房です。」


 「アストレア?」


 「えぇ、レイン・アストレアという女性が一人で営んでいる街の小さな工房です。」


 「レイン・アストレア?

 なるほど、そうか。義眼の魔女か。なるほどね。」


 「義眼の魔女をご存知なんですか?」


 「ん?あぁ昔ちょっとねー。」



 口調が若干変わりつつあったユースティティアだったが、レイン・アストレアの名前を聞いた途端に徐々に口調が戻っていった。

 さらにアストレアの名前を聞いてからユースティティアの表情はまた変化していた。なんとも形容し難いその表情は怒りの表情でもあり、どこか悲しみを帯びた表情のようにも思える。



 「あ、いいや。

 サン・クラトス。その杖はレガリアと同等もしくはそれ以上の品だよ。

 杖の個人登録と紐づけ。それからその杖自体に盗まれたとき用の帰還の魔術式と君しか使えなくする識別術式を刻んだほうがいいね。」



 レガリアとは、マスター資格保有者が王族や魔法七賢人のために仕立てた杖のことであり、レガリアを使えばそれだけで国一つを落せるほどの魔法を扱えるという伝説級の品物。

 クラトスの杖をそんなレガリアと同等もしくはそれ以上の杖であると魔法七賢人のユースティティアは言う。



 「あ、ごめんね。

 僕この後予定があるんだよね。後処理は任せたから。

 報告のときには僕の名前出していいからね。

 それから、サン・クラトス。また今度詳しい話を聞かせてよ。」



 「それじゃ。」と言い残し、空へとユースティティアは消えていった。

 (そっか。あの義眼の魔女いや、レイン・アストレアが工房を開いてるんだ。

 ははっ。良いこと聞いちゃった。これでまた遊べるね♡)

 不敵な笑みを浮かべながら、ユースティティアそう呟いた。



 「中佐。大丈夫っすか?

 魔法七賢人さまと知り合いだったんすか?すげぇっすね!」



 ニケは空気が読めないのか、ユースティティアが居なくなった後誰しもが聞きたかったであろうことをなんのためらいもなく言い放った。

 隊のメンバーがざわつき始める。



 「いや、お話するのは今日が初めてだ。

 何度か護衛の任務で一緒になることはあったのだが...」


 「それでもすげぇっすよ!

 風の王、ユースティティアさまと言ったら楽観的な話し方なのにも関わらず、人に対して興味がないことで有名じゃないっすか?

 それなのに顔を覚えててもらえてるなんて!」


 「いや、なんか良くない気がするんだよね...

 よし今日の訓練はここまでにして、全員宿舎に戻るように。

 ニケは報告書作成を手伝えよ。」


 「えぇ〜、俺だけっすかぁ?

 まぁ良いですけど...飯くらい奢ってくださいよ?」


 「言うようになったな。」



 この日のユースティティアの出会いが、今後のクラトスの運命を大きく左右されることになるとは、彼はまだ知らない。

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