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境界線にて

大学の正門を出て左に曲がると、すぐスクランブル交差点にぶつかる。歩行者用信号は赤、車が絶えず行き交っている。二人は並びながら、信号が青になるのを待つ。


 夕暮れの黄昏時。周囲は赤い夕焼けに染まり、どこか幻想的な雰囲気を漂わせている。

 信号機に止まる一羽の烏が、時折鳴いては周囲の仲間とコミュニケーションをとっている。


 信号が青になると、待っていた歩行者たちが一斉に歩き始める。

 そんな道ゆく人の会話が、二人の耳に入ってくる。


 _____ドドドの新着動画! みた!?

 _____うん!見た見た! 最近の心霊系じゃ一番怖くて面白いよね〜! この辺にも撮影来ないかなぁ!

 _____島田秀之助とコラボしていたHIKARUとかいう奴。どう思うよ?

 _____ていうか、あんなんただの手品で草。


 二人は夕陽を背にして、雑踏とする商店街を歩き最寄駅へと向かう。その最中、保憲やすのりは自虐風に笑った。


「……四つ辻よつつじにくると、どうしても道ゆく人の会話に耳を傾けちゃうよなぁ」

「古来より異界との境界線とされてきた場所だからな。気持ちはわかる。これはもう一種の職業病だ、仕方ない」

「……そういえば、安倍晴明は死後自分の占い道具が悪用されないよう、大阪泉州堺せんしゅうさかいの四つ辻に埋めたという伝承が残っている。……と、聞いたことがあるんだが……。これは本当か?」

「さぁ、記憶にないな」


 駅に着き電車に乗り込む。少し混み合っている電車内、二人は座席の前に立って、晴朗は吊り革に、保憲は吊り革のパイプにつかまっている。

 流れる夕暮れの風景は、あともう少しで日の入りを迎えようとしていた。

 電車が何度目かの踏切を過ぎた頃、ふと、晴朗が口を開く。


「昔は、現世うつしよならざる世界への入り口は、『辻』や『橋』といった境界にあると言われていたけど、現代ではトンネルであったり、電車が主流だよな」

「去年映画もやってた『きさらぎ駅』とかが典型だな。あとエレベーターも」

「エレベーター……、あのめんどくさい手順を踏むやつか」


 そう言うと晴朗は、ポケットからスマートフォンを取り出して検索エンジンを起動した。

 保憲は流れゆく景色を眺めながら会話を続けた。


「トンネルは境界だからまだわかるけど……、電車は……なんでなんだろうな」

「さぁな……あ、『きさらぎ駅』の話の中にはトンネルが出てくる」

「そういえばそうだったな。じゃあやっぱり、入り口そのものはトンネルだな」

「トンネルやエレベーターは空気が篭りやすいし、閉鎖的空間でもあるから、孤立感や不安感を煽りやすい。自然と感覚が通常よりも過敏になる」

「そんな中で、普段なら気に留めないような音やらが聞こえると……『今のはなんだ!?』……ってなるわけだ」


 話しているうちに陽は完全に沈み、夜を迎えようとしていた。

 外は暗くなり、車窓は鏡のように、二人や他の乗客を映している。

 ずっと外を眺めていた保憲は車窓から視線を離すと、スマートフォンで『エレベーターで異世界へ行く方法』を検索していた晴朗を見下ろした。


「……昔ほど『辻』や『橋』なんかの怪異を聞かなくなったな」

「それは多分……外が常に明るくなったから。じゃないか、あとシンプルに治安上の問題」

「雅やかな印象が強い平安京も、実際は大内裏から外に出れば、割と高確率で野盗にエンカウントするしな……」

「賊なんざ、やられる前にやればいい」

「そうだな。お前はな」


 最寄り駅で電車を降りて、二人はバスへと乗り換える。

 混み合っているバスに揺られ、自宅付近のバス停に着く頃には、あたりは完全に暗くなり、街灯が道路をほのかに照らしていた。


 車の通りもほとんどない閑静な住宅街、薄暗い路地を二人並んで歩いていく。


 二人の足音に混じり、少し離れた背後から、もう一人分の足音が聞こえてくる。


 二人は振り返ることなく、ただ前を見て歩いていく。


 もう一人分の足音は、常に一定の距離を保ちながら、まるで尾行しているかのようについてきていた。


「……どっちについてきてる?」


 晴朗が静かに尋ねた。

 すると保憲が申し訳なさそうに笑う。


「悪い、多分俺だ。電車の中で車窓越しに目が合った」

「おい、どうすんだ。このまま家にまでついてこられると厄介だぞ」

「……頼んだ」

「なんでだ。自分でなんとかしろ」

「こういった問題の対処はお前のほうが得意だろ」

「いつ俺がそんなこと言った?」

「お前について語られている数々の伝承」

「今それ関係ないだろ」


 そうこうしているうちに、もうすぐ二人の家へと続く道に差し掛かる。


「来週車出すんだから、その礼だと思って。な」

「はぁ……全く……水あるか?」

「あるぞ……ほい」

「ん」


 晴朗は保憲から受け取ったペットボトルのキャップを開けると、それを飲むでもなく、道路の端から端まで、境界線を引くようにかけていった。


「これでよし」

「驚くほど地味」

「さっきから……お前は俺に何を求めているんだ?」

「そりゃあ……、剣印を結んで、式神を使って呪文を唱えて……華麗に撃退でもしてくれるものかと」

「それはフィクション。ああいった類は、あからさまな悪意を向けてこない限りは不用意に関わるべきじゃない」


 二人は再び歩き出すが、何者かの足音は水の境界線を超えて、なおも後をつけてきていた。


「境界の引き方が甘かったな。越えて来たぞ」

「……勘弁してくれないか」


 ここで初めて、二人は後ろを振り返った。

 そこには黒いスーツを着た男性が歩いている。

 一見すると普通の人に見える。しかし、顔色は悪く、肌は死人のように青白い。瞳はひどく虚で、


 ____ドウシテ

 ____ドウシテ


 と、譫言うわごとのように呟きながら、歩み寄ってきている。


「……悪いな。俺たちにできることは何もない」


 晴朗はその男性に向けて拳を握りしめた右腕を伸ばす。


「“去れ”」


 そして曲げた人差し指を、親指の腹で弾き出した。すると乾いた音が周囲に響く。

 黒いスーツを着た男性は、音を聞いた途端まるで風景に溶け込むように、姿を消してしまった。


「……お見事」

「そりゃどうも」


 二人はまた、何事もなかったかのように歩き出した。


弾指たんじは、いざって時役に立ってくれるからありがたい」

「でもお寺で聞くと洒落にならないという」

「聞こえたらとりあえず合掌だな」

「お寺といえば、昔に……___」


 薄暗い路地に、二人の談笑している声が響く。

 空にはチラホラと、星が瞬いている。

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