離婚後、彼の口のきけない甥が毎日来てはいい子ぶる――でも最初から話せていて、わざと騙していた
テイフウ
恋愛現代恋愛
2026年09月02日
公開日
2.3万字
連載中
芦原汐里は、元夫の口の多さにうんざりしていた。
だから離婚後、思い切って“喋れない男”を恋人に選んだ。
その無口な彼は、若くて素直で、何をしても可愛らしい。
汐里にとって、まさに理想の相手だった。
ある日、汐里が友人へ荷物を届けるため会員制クラブを訪れた時、偶然ある部屋の前を通りかかった。
その中から、男の声が聞こえた。
「羽さん、いつまでその演技を続けるつもりですか?」
次の瞬間。
あの“口がきけないはずの彼”が、はっきりと言葉を発した。
芦原汐里は、まさか彼とその仲間の会話を聞くことになるなんて思ってもいなかった。
「羽さん、いつまで騙し続けるつもりなんですか?」
「飽きるまで」
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元夫との結婚が失敗だったのか、汐里には今でも分からない。
久我怜治と結婚した時、周囲の誰もが言った。
「彼女は名家に嫁げて幸せね」
盛大な結婚式。
三メートルも裾を引く白無垢。
汐里は静かに夫の後ろを歩いた。
まるで完璧に飾られた展示品のように。
けれど結婚後、彼女は知った。
あの結婚にあったのは愛ではなく、ただの取引だったのだと。
久我怜治は誰に対しても優しく気遣いのできる人だった。
ただ一人、妻である汐里を除いて。
彼の態度は、あまりにも丁寧で他人行儀だった。
同じ食卓で食事をしていても、彼はこう尋ねる。
「帰りの車、呼びましょうか?」
そして本当に車を手配し、彼女を自分の家ではなく、彼女自身のマンションへ送り返した。
汐里が半年分の給料を貯めて贈った腕時計を、彼は身につけていた。
けれど自分用にもっと高価な時計を買うと、その腕時計は何の感情もなく引き出しの奥へしまわれた。
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汐里は離婚を切り出した。
離婚届に署名した日、彼女は泣かなかった。
ただ静かに事務所を出た。
その出口で、一人の少年が彼女の前に立ちはだかった。
黒いスーツ姿。
俯きながら、彼女へ手話で伝える。
自分は話すことができない、と。
名前は――
桐生羽。
彼は、元夫・久我怜治の甥だった。
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後になって、汐里は知ることになる。
彼が自分のもとへ送られた理由は、監視するためだった。
喋れないふり。
不器用なふり。
彼女に拾われた可哀想な青年のふり。
そして――
彼女を愛しているふり。
全部、嘘だった。