義兄に仕組まれ傷つき、声を失った私――そんな私の前に現れた口の減らない帰国御曹司は、世界よりも私一人を選びました
あさかわ ゆきな
恋愛現代恋愛
2026年09月24日
公開日
2.4万字
連載中
結婚記念日の日。
佐伯遥はキッチンでトマトを切っていた。
その時、夫の声が聞こえた。
「俺たち、離婚しよう」
彼女の手は、ほんの一瞬止まっただけだった。
その言葉を待ち続けて、もうずっと長かったから。
爪を綺麗に整えたあの日から、遥は分かっていた。
夫には、もう別の女性がいるのだと。
彼の車にボイスレコーダーを仕込み、夫と若い女性部下が昇進について話している会話を聞いた。
二か月かけて調べた。
そして辿り着いた名前。
久我澪。
二十五歳。
一流国立大学を卒業。
入社三年目で異例の昇進を果たし、課長になった女性。
すべての人事評価書には、夫の署名が残っていた。
遥は泣かなかった。
以前、二度も離婚を切り出された時。
彼女は一晩中泣いた。
翌朝には、彼のためにケーキを焼いた。
けれど夫は言った。
「心の中にもう君がいない男は、何をしても間違っているんだ」
今回は違った。
遥はケーキを焼かなかった。
途中まで切っていた料理を冷蔵庫へしまい、静かに言った。
「分かった」
「ただし、一つだけ条件がある」
「汐見台タワーを売却して」
「それなら、離婚届にサインする」
彼は、遥が財産を争っていると思った。
けれど知らなかった。
彼女が本当に求めていたのは、共同ローンの解除。
自分と娘を、三千万円の借金から切り離すことだった。
さらに彼は知らなかった。
遥がすでに区役所へ離婚届不受理申出を提出していたことを。
そして、離婚届の署名は彼女の手の中に残っていた。
たった一つの条件で。
遥は夫と、その新しい恋人を――
自分が用意した罠へ同時に引きずり込んだ。