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第83話「よるにのみこまれる」

「颯真君、無事帰ってきましたね」


 通信ウィンドウを前に、和樹がそう声を上げる。


《ああ、やはり私の読み通りだったよ》


 和樹の通信相手は靖。プロジェクト【アンダーワールド】に携わる人間として、和樹は靖に報告する義務があった。

 颯真の帰還という報告を受けた靖が嬉しそうに笑う。

 しかし、その笑みに得も言われぬ禍々しさを感じたような気がし、和樹はわずかに眉を寄せた。


《私は彼が帰ってくることは確信していた。まぁ——勘ではあったがな》


 相変わらず笑みを浮かべて言う靖に、和樹は「そうですか」と答える。

 靖が颯真の帰還を信じた根拠は一体何だったのだろうか。確かに、プロジェクト【アンダーワールド】に関わっているから和樹も颯真の出自は知っている。それでも裏の世界に迷い込んだ場合、戻ってくる方法は【タソガレ】の力を借りない限り不可能。【ナイトウォッチ】——いや、プロジェクトに関わる研究施設が【タソガレ】や裏の世界のことを研究しているが、それもチップをより効率よく使用できるように、と【タソガレ】の、コア以外の弱点を調べているだけのはずだ。


 それとも、颯真が【タソガレ】の力を持っているから通路を開けると確信したのだろうか。

 【タソガレ】の、通路を開く方法が解明されていない以上、颯真にも通路を開き、二つの世界を行き来するという可能性は確かにある。確かにあるが、裏の世界に迷い込んだ颯真が【タソガレ】としての力に目覚める保証はどこにもなかったのだ。

 そんな分の悪い賭けを、靖は勝率100%だと信じてベットしたというのか。

 勝率100%を、靖は何を根拠に確信したのだろうか。


 そう考え、和樹はとあることを思い出した。

 颯真はどうやって帰還したのか。

 それを思い出し、和樹はあっと声を上げた。


「颯真君が【タソガレ】と共に帰ってくると?」


 それすら確定事項ではない。不安定要素の多い賭けだ。

 実際に、颯真はアキトシと共に帰ってきたし、プロジェクトの関係者も竜一には参月と昭俊という協力者がいたことは把握している。最終的にプロジェクトを進めたのは竜一一人となり、参月と昭俊は裏の世界に帰ったと言われていたが、それでも彼らが颯真と出会い、こちら側に帰ってくることは不確定要素だ、と和樹は思う。


 まさか裏の世界に内通者が? と和樹は考えた。【タソガレ】側に人類を受け入れる存在がいて、裏で手引きしていたのではないか、という。

 人類に【黄昏協会】はじめとする【あのものたち】派がいるように、【タソガレ】にも竜一たち人類の協力者が存在した。颯真の事情聴取から得られた情報によると参月は人類の敵として立ちふさがっているようだが、昭俊は颯真を表の世界に帰還させたことからまだ人類の味方であるはず。


 もし、人類に協力する【タソガレ】が他にいて、アキトシを颯真に接触するようアプローチしていれば。


「……貴方は何を考えているのですか」


 そう、靖に問うた和樹の声はわずかに震えていた。

 颯真の言う通り、人類と【タソガレ】は戦争状態になっている。戦争はただ戦力をぶつけ合うだけではない。その裏で様々な活動が進められ、互いに相手の戦力が疲弊するように工作する。


 その工作の一つが情報戦だ。敵の勢力に自軍の諜報員を潜り込ませ、偽の情報を流す、敵の情報を入手する、そういった活動を制した方が戦争に勝つとも言われている。

 特に高度に情報が飛び交うようになった現在、情報戦は特に重要な意味を持つ。


 はじめは【あのものたち】と称されていた敵はただ人類を襲うだけの化け物だと思われていた。

 ところが、蓋を開ければ【タソガレ】という種族がエネルギー問題を解決するために起こした戦争だったのだ。その時点で人類側は情報戦で後れを取っている。【あのものたち】派が【タソガレ】に情報を提供していたことに対し、人類は今ようやく同じ土俵に立つことができた。


 ここからの巻き返しはあるのか、というタイミングで、和樹は靖が自分の知らない情報を持っているのではないか、と気が付いた。

 人類はようやく同じ土俵に立てた? いや、もう立っていたのである。靖が抱える「研究所」の面々によって。

 プロジェクト【アンダーワールド】遂行のために稼働している研究所は靖が出資しているものだ。【ナイトウォッチ】に新装備や【あのものたち】解析で得られた情報は提供されているが具体的に何をしているのかは靖以外知らない。


 何か裏がある。靖は何かを企んでいる。

 それは何か、を和樹が問おうとしたとき、突然執務室のドアが乱暴に開かれた。


「君たちは!」


 思わず立ち上がり、和樹は侵入者を睨みつける。

 侵入者は重装備の男たちだった。

 濃紺の戦闘服に防弾ベスト、バイザーの付いたヘルメットに、手にしているのは機関拳銃MP5F


「まさか——」


 嘘だ、という声が和樹の口から洩れる。

 この装備は、しかも左胸に「POLICE」と書かれた彼らの正体は——。


特殊急襲部隊SAT……どうして」

《君は知らなくていいことにまで踏み込んでしまった》


 通信ウィンドウの向こうから靖の声が聞こえる。

 どういうことだ、と和樹が尋ねようとするが、その前にSATの隊員によって机の上に拘束されてしまう。


《【タソガレ】との戦争が始まった、だと? もうとうの昔に始まっているんだよ》


 そう言い、靖はくつくつと笑う。


《まさか【タソガレ】の狙い《《も》》エネルギーだったとはな》

「な——」


 なんとかSATの手を振りほどこうと和樹がもがく。しかし、戦闘員ではなく司令官として【ナイトウォッチ】に配属されている和樹はチップを埋め込んでいなかった。つまり、反撃の力はない。


 それなら、と靖は思い出そうとする。

 【ナイトウォッチ】は警察庁の警備局、警備部に所属する特殊部隊の一つである。それはSATも同じ、それなら所属は違うがSATの隊員に対して命令権限を使えないか、と考える。

 しかし、すぐにその考えが甘いことに気づく。

 そもそも、警察庁の上に国家公安委員会が存在し、さらにその上で全権限を持つのが——。


「……井上……総理……」


 内閣総理大臣の井上靖だった。

 勝てない、と和樹は苦しげに呻く。

 駄目だ、靖は、靖の思惑は、と和樹が声を上げようとする。


——井上総理の狙いは裏の世界の資源だ。


 話が突飛すぎて荒唐無稽だとも思えてしまうが確信する。

 靖は「【タソガレ】の狙いも」と言った。靖の思惑が裏の世界の資源でなければこのような発言は出ない。

 なんてことだ、せめて誠一に連絡を、と思うものの拘束された状態で誠一に連絡を取ることはできない。


 この思惑を知っているのは当事者である靖と、知ってしまった和樹のみ。そしてその和樹はSATに拘束されてしまった。


《元から君は目障りだったんだよ。真実から目を背け、ただいたずらに隊員の命を消耗させていた》

「それは——」

《だが、これからは私が直接【ナイトウォッチ】を指揮しよう。裏の世界の資源は、君が思っているよりも素晴らしいものなのだよ》


 和樹の視界の隅で、通信ウィンドウに映像が転送される。


《研究所からの報告でね。裏の世界の鉱石には莫大なエネルギーが秘められていることが分かったのだよ。しかもただエネルギーを発するだけでなく、我々の世界の常識を超えた現象を引き起こすことができる》


 これが何を意味するか分かるか? と靖が笑う。

 その笑みに、和樹は先ほどの笑いの意味はこれだったのか、とようやく気が付いた。

 遅すぎる。何もかもが遅すぎる。

 靖の勝利宣言は続く。


《【ナイトウォッチ】の戦闘データという貴重なサンプルも、颯真君という切り札も我々は手に入れた。《《勝った》》のだよ、我々人類は》

「総理——!」


 駄目だ、それは駄目なのだ。

 【タソガレ】がエネルギー問題を抱えているのは報告で聞いた。しかし、靖の話を聞く限り裏の世界には【タソガレ】が知らない潤沢なエネルギー源が存在する。

 それを、人類が搾取していいはずがない。

 それを和樹が指摘しようとすると、靖は真顔になって口を開く。


《分かっているよ——《《そんなこと》》》


 靖の言葉にどきりとする。


《裏の世界は裏の世界で解決しろ、と言いたいのだろう? 裏の世界のエネルギー事情は裏の世界で完結させろ、と》

「それが分かっているなら、何故——」

《先に攻撃をしてきたのは【タソガレ】の方だ。【タソガレ】が人々を襲った理由が「人間の魂」というエネルギー源だというのなら、我々が裏の世界の資源を収集してもいい理由になる》


 詭弁だ、と和樹が呻く。

 どちらも自分たちの力でエネルギー問題を解決する能力があるのに、相手から搾取することだけを考えている。人類側も魂でエネルギー問題が解決できるならそうするべきだ。それこそ、新しい刑罰として制定してしまってもいいはずだ。


 そこまで考えて、和樹は自分の倫理観のなさに苦笑する。

 この戦争、人類側にあまりにも不利すぎる。

 【タソガレ】のエネルギー問題は簡単に解決できるのに、人類側には倫理観を捨てなければいけないという条件がある。

 あまりにも不公平な戦いに、和樹は絶望するしかなかった。

 結局、人類が倫理観を捨てずにエネルギー問題を解決するには裏の世界を支配しなければいけないのだ、と。それはそれで【タソガレ】を支配するという、これもまた倫理観を捨てなければいけない選択になるのだ、と。


「くそ……」


 手錠をかけられ、和樹がSATの隊員に連行されていく。


《君も深く詮索しなければよかったものを——》


 その言葉を最後に、通信が途絶える。

 残されたのはSATの侵入により少し荒れた室内のみ。

 何が起こったのかを知るものは、誰もいない。

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