翌日、斉藤は学校を休んだ。
昨夜LINEのグループトークで「奈那が落ち着くまで数日こっちにいる」とあったから、憂喜に驚きはなかった。「憂喜か隼人、ノートを頼む」というので「田中のほうが良くないか」と返すと「あいつは字が汚い」と即座に返ってきて、確かにと笑ってしまった。田中はプンスカアイコンで抗議していたが、本人も分かっているだろう。
憂喜は斉藤のほかにもう1つある空席を眺める。未来の席だ。未来はもう長い間、学校を休んでいた。数えてみると5日になる。ほぼ1週間だ。
最初は病気かと心配したが、別クラスの綾乃も休んでいるというからおそらく機関関係のことなのだろう。
隼人に何か知っているかと尋ねてみても「知らねえ」と素っ気ない返答が返ってきただけだった。
「俺は機関の人間じゃねえからな。協力するって約束はしたが、あいつらといつもつるんでるわけじゃねえ」
この話題には関心がないようで、そう言ってあくびをかみ殺す。ここ最近休み時間は机に突っ伏していたりと、眠そうにしている姿を何度か目撃していた。
「そっか」
分からなかったことにはがっかりしたが、反面、隼人に協力を求めるほどの事件ではないのが分かって安堵もする。
帰宅の準備をしていると教室のドアがからりと開いて、担任が姿を現した。
「おーい、クラス委員はいるかあ?」
「もう帰りましたー」と一番近くにいた女子が答える。担任は、そうなんじゃないかと思っていた様子で、はーっと長い息を吐き、頭をかいた。
「どうかしたんです?」
「いや、これを持っていってもらうよう頼むのを忘れていてな」右手に持っていたA4サイズの紙を見せる。「佐藤の家に、たしかあいつの家が一番近かったなと――」
佐藤という言葉を聞いて、憂喜の背がしゃきっと伸びる。
「それ、俺が持って行きます!」
考えるより先に言葉が口をついていた。
◆◆◆
「……で。なんで俺も付き合わされてるんだ?」
電車を降りて、道々、隼人がぼやく。
「まあまあ。いいじゃん、この後予定ないんだろ? 付き合ってよ」
俺が行くと勇んで声を上げたものの、気になってる女の子の自宅へ1人で訪ねる勇気がないとか、知られたくなくて必死にごまかす。またヘタレだと思われそうだ。
(まあ、実際そうなんだけど)
幸い隼人はそれ以上突っ込まず、軽くため息をついただけだった。
「それで? まだかかるのか?」
「えーと」
手元のスマホに目を落とす。
担任によると、未来の家は蓮華芳院という名の寺だということだった。詳しく住所を入れなくても、『蓮華芳院』で検索すると地図に出るから楽だ。
バスと電車を乗り継いで片道1時間半。さらに徒歩も加えると約2時間をかけて、2人は蓮華芳院にたどり着いた。
蓮華芳院は、どちらかというと少し小さめの寺だった。隣に神社があり、同じ外壁で囲われている。神社のほうには立派な朱塗りの鳥居があり、
神社と寺、神と仏が同一の敷地にあるのは少し奇妙な感じがするが、神仏習合の名残りだと日本史で習った覚えがあった。こちらはいわゆる
きちんと手入れされた参道や周りの木々、石灯籠や鳥居などを見回していると。
「やあ。ご参拝かな?」
後ろから声をかけられた。
驚き、振り返ると、60~70代と思われる、作務衣姿の男性が立っていた。
目を細め、にこにこと笑って返事を待っている。
「あ。違い、ます。そのぅ……、こちらの方ですか」
「そうだが?」
「佐藤……あ、っと。未来さんは、ご在宅でしょうか」
「ああ、あの子の知り合いか。いや、まだ戻ってないな。最近帰りが遅くてな、たぶん今日も10時過ぎじゃないかな」
「そうですか……。
もうすぐ中間テスト期間に入るので、休まれてる未来さんに、中間テスト用のプリントを担任から預かってきたんです」
急いでかばんからプリントが挟まったクリアファイルを取り出して見せる。
笑顔で立っているだけなのに、男からただならぬ圧を感じるというか、緊張で体がこわばっているのを感じる。
「おお! そりゃすまんな」
男は手を伸ばし、ファイルを受け取った。
憂喜はぱっと手を放す。
ファイルをつかまれた瞬間、ピリっとした痛みが指先に走ったのは気のせいだろうか。
「それで、えーと、あなたは……?」
「おっと? すまんすまん。俺は玄水という。未来は俺の孫娘だ」
「おじいさん、ですか」
内心で憂喜は驚いた。いや、確かに顔やのどに深く刻まれたしわなどでそれなりの年齢だとは分かるのだが、力強い目の輝き、日に焼けた健康そうな肌、厚い胸板が示す逞しい肉体、ぴんとして張りのある背筋と、とても若々しさを感じて、おおよそ『おじいさん』という言葉は似つかわしくないように思えたのだ。
憂喜のした反応は、特段目新しいものでもないのだろう。玄水は笑顔をたたえたまま、視線を憂喜の後ろの隼人へ移した。
「そうか。おまえさんが安倍 隼人だな」
声と目に、憂喜を相手にしていたときにはなかったものが混じる。
「……ああ」
「娘っこから聞いてるから、すぐ分かったぜ」
「あ、じゃあ俺も――」
「おまえさんは分からん」
田中か斉藤か伊藤か、という意味で玄水は言ったのだが、憂喜はそう捉えず。
「……伊藤、憂喜です……」
がくっと肩を落とした。
玄水が隼人と分かったのは、彼が発し、全身をとりまく人並みならぬ気の流れからだった。
それゆえに2人の来訪を敷地内に入る前から気付けたのだ。
人とは思えない、強い気を放つ何かがこちらを目指して進んできている――玄水は、過去
玄水は、今回もまたそういった手合いだと思い、出てきたのだった。もしそうなら、面倒なので適当に追い払おうと思っていた。
しかし考えてみれば、害意あるものが神域に入ってきたというのであれば、神様が何の反応も示さないはずがなかった。それどころかむしろ彼の来訪を喜んでいるように空気が澄んでいる。
(うちの神さんは、顔のいい男が好きだからなあ)
見るからに顔立ちの整った2人の少年を見た玄水は頭をぼりぼりとかいて、警戒を残しつつもいつもの調子で彼らに声をかけたのだった。
そして今、こうして目を合わせると、未来から聞いていたときよりもずっとよく分かる。まさに百聞は一見にしかずだ。
玄水は目を細め、フンと鼻を鳴らした。
「うちの娘っこがな、武のないおまえさんに、いっちょ稽古をつけてみちゃどうかと言ってたんだがな」
「……必要ない」
「俺もそう思うぜ。
武なんてのはなあ、言ってみりゃ
そして視線を憂喜に移し。あごの無精ひげをザリザリとなでながら言った。
「うちは日銭稼ぎに月に数回ガキ相手に武道場やってんだがよ。おまえさんが学びてえっていうんなら歓迎するぜ。せいぜいうちの道場に銭を落としてくれや」
親指と人差し指で円を作り、ニタニタ笑っている。
憂喜は隼人をちらと見て、「……考えてみます」と愛想笑いで答えた。