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第6回

 TUKUYOMIは国際機関だ。


 その本部はフランスにある。創設は2000年。のちに霊能力者たちの間で人類未曾有の危機と語られる『怨霊事変』を生き残った12人によって創られた組織である。


 表向き、科学で説明のつかない超常的な事象を調査・解析・解明することを主な活動としているが、その裏では怨霊が起こした事件への対処・抑制を主とし、世界各地で霊能力を持つ者をスカウト、執行人ブレイカーあるいは献舞者デディケーターとして養成したのちチームを編成して現場へ派遣、もしくは現地組織の創設を行っている。その他にも、数は少ないが、怨霊が起こす災害級カラミティクラスの厄災について、姫巫女による先読み(託宣)を発して未然に防がせることもしている。

 TUKUYOMIを支援する者たちの中には王侯貴族、資産家のほか、各国の政府機関も含まれているという。


 そして日本には東日本支部が設置され、そこでは創設者12人の1人、奥津城おくつき たがね調律者アジャスターとして着任、取り仕切っていた。


 調律者アジャスターの仕事は激務である。今日も日曜でありながら10時に出勤し、秘書に怒られつつ執務室へ入るとおもむろにラジオを付ける。スピーカーから流れてくるのはリラクゼーションに最適な環境音楽――などではなく、日曜競馬実況中継の実況担当アナウンサーの声である。そして出勤途中で買った競馬新聞を机上に広げて、馬の様子を話す実況アナと司会者の会話に耳を傾けながら、赤ペンで印を―――


 ふと廊下で諍いが起きていることに気付いて、ペンを動かす手を止めた。


 声は聞こえても何を言っているかまでは分からない。どうやら秘書と訪問者の間で何か言い争いが起きているようだ。

 訪問者は男で、何か一声発すると、制止しようとする秘書の壁を強引に突破したらしい。そのまままっすぐこちらへ歩いてくる重い足音がしたと思うや数秒後、ドアが吹き飛びかねない勢いで開かれて内側の壁に衝突した。



「鏨! きさま何やっていやがる!!」



 ドアの衝突音にかぶさって開口一番そう罵ったのは、拝み屋を生業なりわいにしている長谷川はせがわ 政秀せいしゅうだった。

 拝み屋とは、寺や神社など特定の宗教に所属せず、個人で霊に関わる案件を請け負う職に従事している者のことをいう。


「よ、政秀。久しぶりだな。元気してるか?」

 見るからに激怒している政秀に対し、気軽に手を上げて挨拶する。その手に握られた赤ペン、スピーカーから流れる競馬実況に、政秀は彼が何をしていたかをさとって大きく息を吐いた。

「おまえ、相変わらずか」

「悪癖は変わらんよ、この歳になって、今さら。

 まあ、いつまでもそこにいないで入れ入れ。俺に用があって来たんだろう」

 鏨は政秀に手招きし、来客用のソファへ座るよう示したあと、スピーカーを切って自分もそちらへ移る。その途中で、政秀の後ろからはらはらした様子で見守っていた秘書の女性に、大丈夫、と言うように手を上げて見せた。秘書は安心した様子でそっとドアを閉めていく。


「で。俺に何の文句だ?」

「分かっているだろう、ここ最近の怨霊事件の多さだ。俺の元にまでやって来やがる」

「金好きのおまえには、商売繁盛でいいじゃないか」

 フリントを回転させ、たばこに火をつける。ところどころが剥げた、かなり古い安物のZippoだ。それを、政秀が覚えている限りずっと、鏨は使っていた。決して身から離さずに。

 その意味を知る政秀は、それには触れず「俺が受けるのは金が有り余ってるやつらからだ」と返す。


「二束三文しか持たないやつは、ここ機関が引き受けるのが筋だろう。なのに、おまえのとこだと時間がかかり過ぎるからとうちにやって来る。

 どれもこれも大した案件じゃない。提示してくる額も低い。はっきり言って迷惑だ。なにサボってやがる」

「いや、こっちもサボってるわけじゃないんだがな。単純に、数が多すぎるのさ。全チームがフル回転で日本中飛び回って事にあたっているが、それでも追いつかない状況だ」


「呪いの人形か」

「そう。よりによってそれを商売にしてるヤツがいてな。複数のフリマサイトで『霊感がないあなたでもカンタンに人を呪い殺せるグッズです。呪殺は法的な縛りがないから警察に捕まる恐れは一切なし!』と小汚い人形を売っていたんだ。それが偽物ならただの悪ふざけでBANされて終わりだが、本物だから始末が悪い。

 本物だといううわさが口コミで広まって、こっちが気付いてサイトの運営者たちに話をつけたときにはもう数百体が売れていたというわけだ」


「とんだ失態だな」

「有罪を認める」

 政秀の責めに鏨は両手を挙げてソファに背を預けた。声に反して、苦々しい顔でたばこをふかす。

 言い訳にしかならないが、それで起きた事件は――実際に呪い殺された人がいるため、外に向けて言うのははばかられるが――どれもこれも大したことのない事件だった。使役者は素人で、霊感もない。人形に入っているのも低級霊。人の霊でなく動物霊だったものまである。

 対怨霊の訓練を受けている執行人ブレイカーからすれば、ものの数分で浄霊することができる相手ばかりだ。人形の呪いを受けて死亡した者で、怨霊化したり地縛されていた霊も、普通の人間ならそそのかしたりおびえさせたりすることはできるだろうが、長い年月をかけて力をつけた怨霊や怪異を相手取ってきている執行人ブレイカーの敵ではない。


 ただ、数が多かった。しかも日本中に散らばっている。機関に所属している者たちは、みな高い志で1件でも多く事件を未然に防ぎ、人々を救うためにと自らを酷使して24時間体制で全国を飛び回ってくれているが、そのせいで疲労が蓄積し、体力、霊能力ともに回復が追いついていないのが現状だった。中には普段なら軽く祓える相手に苦戦したり、疲労困憊で床に伏せる者まで出始めている。

「その上、飛び降りサイトだ」


 政秀は、秘書が運んできたコーヒーをぐいと飲んで足を組む。

「そのサイトについては俺も知っている。X上で流れたURLを追ってそのサイトへ行き着くと、飛び降りを勧められるというものだ」

「助かった者が言うには、確かに悩みを抱えてはいたが、なぜこんなことをしたのか分からないそうだ。飛び降りた瞬間我に返って、これは間違いだと気付くがもう遅い、ということらしい」

「そのサイトを見たことはあるのか?」

「いや。もし暗示の類いだとしたら、何が引き金かも分からないまま、うちの調査員にそんな危険を冒させるわけにはいかない」

 人形のように、サイトを見た者に低級霊を憑けている可能性もある。


「内調からの報告を待っているところだ」

 と言う鏨に、政秀は脇に投げ出してあったファイルケースからおもむろに数枚のプリントアウトを取り出して机上に投げた。

「これは?」

「俺の情報屋から今朝受け取った。そのサイトへの導入のポストとリポストに挟み込まれたURL。そしてサイトのページだ。

 書いている内容はどうでもいい。注目するのはここだ」

 政秀は画像を指す。それは、サイトの製作者の自己紹介ページだった。足を組み、悠然とソファに座っている。黒のダメージTシャツにダメージジーンズ。鎖を巻いた腕の内側には、その鎖でも隠せない、リストカットの跡が数本見える。

 おそらく20代の青年だろう。首から下しか映っていないから顔は不明だ。場所はどこかのカラオケ店の一室に違いなく、左側にそれらしい機材が写っている。そして写真の右隅に、ソファに座った青い目に金髪ポニーテールのセルロイド人形が、何も映していない暗い画面に半分見切れた形で映り込んでいた。


 鏨がそれを見つけるだけの十分な間を開けて、政秀は無言で別の紙を取り出して見せる。それは、ある人物のXのページだった。

 アカウントの画像に同じ人形の写真が使われている。量産品としてよくある人形と言うこともできたが、顔や服についた汚れが全く同じだ。

 ポストは1件だけで、その内容は以下のようなものだった。


『自尻したい人集まれ~~~。


人生に絶望し、もう死にたいって思うそのキモチ、分かる分かる(゚д゚)(。_。)(゚д゚)(。_。) ウンウン。

飛び降りれば楽になると思っても、怖いってキモチ、皆あるよね!

でも、よく言うじゃん? 赤信号皆で渡れば怖くないって(ワラ

(続くよ~! 最後まで読んでね☆)』

『だから俺ちゃん考えました! 皆で飛び降りれば怖くないって!


我こそはって勇者! DMください。期限はこの垢が消されちゃうまでです!

ワクドキしながら待ってるよ~んㄟ( ▔∀▔ )ㄏウェーイ』


「このアカウントはもうない。1時間程で消されたそうだ」

「……ハンドルネームは『パイドパイパー笛吹き男』か。笛を吹き、踊らされたネズミを集めて一度に殺す。言い得て妙だな」

「そして実行された」

 政秀がさらに複数の紙を出した。どれも地方の新聞記事の切り抜きのコピーで、『6人が集団飛び降り』といった見出しがあった。『彼らに面識はなく』だの『最近こういった事件が増えている』だのといった文言がどの記事にもあり、書かれた内容はさほど変わらない。場所がビルの屋上だったり、団地の屋上だったりするのと、人数の部分が10人、15人、18人と違っているくらいだ。

 鏨はその中の1枚を手に取り、目をすがめた。


「ああ、知っている。これについては俺も気になっていた。全員が全員そうなるわけじゃないが、大量の怨霊や地縛霊を生んでいるとのことで、うちのチームが処理に当たっている」

「後手後手だな」

「それはしかたないさ。基本的に俺たちは起きてしまった出来事に対処する、いわば処方薬のようなものだ。未然に防ぐ予防薬じゃない」

 それは政秀も同じだった。道を歩いていて危険な人物を嗅ぎ分けたとしても警察のように職質して回る権限はなく、また、霊はそこらじゅうどこにでもいて、大小かかわらず、ある程度、霊の影響を受けている人間は多いからだ。


 霊が憑いているからといって、いちいち関わっていては身が持たない。


「そうか、こんな方法で人を集めていたのか」

「似た文言のポストがSNS上に定期的に現れて、参加者を集めているらしい。ハンドルネームは『派珀』、『Cornemuseur』、『Flautista』だの言語を変えているが、どれも『笛吹き男』で、画像の人形も同じだ。

 呪いの人形では効率が悪いと考えて、SNSで人を集めるほうにスライドしたんだろう」


 政秀の言葉に、鏨はふむと口元に手をあてた。たばこのフィルターを無意識にかみつぶす。

「つまり、こいつの目的は呪いの人形を売っての小金稼ぎじゃなく、ほかに目的があってしているということか」

「その可能性は高いように思えるが……ただ単に、性格の悪い青年ガキが、人を操って殺し、世間をにぎわすことが面白くてやっているだけにも見える」

「愉快犯か。それなら警察の仕事だが……まあ、違うな」

「違う。呪いの人形という術具をばらまいているからな。飛び降りだけならともかく、そんなことができるのはこいつが霊能力者であることの証だ」

 普通の人間なら、ただの人形か呪いの人形か、術具を見分けることはできない。


「となると、うち機関の仕事か」

 対霊能力者を専門とする部署で、今誰か余裕のあるやつがいたかな、と脳内のリストをめくりつつ、ふと、ある言葉が鏨の口をつく。


「そういや、面白いってだけで人を操るヤツがナイトフォールにいるって報告書にあったな」


 その直感は、もしかすると鏨に残ったわずかな霊能力が働いたがゆえのものかもしれなかった。

 25年前に起きた怨霊事変での生死を賭けた戦いで生き残ることはできたものの、その代償として大半の霊能力を鏨は失っていた。今ではナイトフォールに入ることはおろか、眼鏡なくしては霊を視ることもできない。

 そのためナイトフォールについて知ることができるのは上がってくる報告書を読むときだけだが、その中で、しばしば目にしてきていたのが『ヤツ』についてだった。


 ナイトフォールにいて、迷い込んできた人間にちょっかいをかけて事件を起こしたり、怨霊をたきつけて事件を起こしたり、執行人ブレイカーの浄霊の邪魔をしたり。つい最近も、目を通した報告書にその名前があった。異界駅の力を借りて怨霊化した少女の霊が、執行人ブレイカーに追い詰められたときにその名を口にしたと。


「スライのことか。俺も何年か前に会ったことがある。そのほうが面白いからというだけの理由で鼻先を突っ込んでかき回してくる、性悪のガキだ」

 ナイトフォールに時間はあってないようなもの。そこに生息する生き物たちも、こちらの世界と同じ基準で測るわけにはいかない。子どもの外見をしているからといって、中身まで子どもとは限らないのだ。大人が子どもの姿をしていた事例が幾つもある。

 だがこのスライに限っては、中身も子どもである気がした。

 永遠の子ども、ピーターパンのように。


スライずる賢い、か。こいつが関わっている可能性も、なくはない、か……」


 考え込む鏨を見て、もう話すことはない、と政秀は立ち上がる。そして「いずれにしろ、こういったことはおまえの仕事だ。おまえのほうでなんとかしろ」と、鏨を見下ろして居丈高に言い放った。そのとおりなので、鏨は甘んじるしかない。


 まっすぐドアへ向かう政秀の背中に、鏨が声をかけた。

「ああ、政秀。実は近々霊能力者の増員を考えていてな。臨時職員扱いだが、引退した者や民間の霊能力者にまずは声をかけようということになっている。

 おまえが参加してくれたら心強いんだが」

「俺は高いぞ?」

 肩越しに振り返り、にやりと笑う。そういう申し出が来ると予想していた顔だ。鏨は苦笑し、「知っている」と応える。

「秘書に言えば契約書を出してくれるから、それに署名してくれ。契約金の欄はおまえの好きにしろ」

「分かった」

 そうして言質を取ったあとで、虚を突くように鏨は言った。



「そうすれば、おまえにもを伝えることができる」



 その言葉を聞いた瞬間。

 ほんの一瞬だけだったが、政秀の背中がこわばったように見えた。

「……不要だ」

 ドアノブを回して部屋を出ていく。

 返ってきたのはそれまでどおりの声で、そう見えたのは自分の見間違いだったのかもしれないと鏨は考えたが、それはごまかしだと鏨自身気付いていた。



 なぜなら、鏨自身、25年たった今も、この約束のZippoを手放せないでいるのだから……。



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