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第10回

 突然現れたその人影は、怪物に比べてとても小さかった。


 落下の加速が乗っているとはいえ、化け物の後頭部らしき場所に着弾したこぶしの威力はさほどのものでもないだろうと思われたが、触れた瞬間その重い衝撃に化け物が膝を折って前傾するのを見て、2人は目をみはる。

 なぞの人影は倒れかかった化け物を足場にさらに後方の2体へ向かって跳び、化け物からの攻撃をかわして回し蹴りを放つ。まず右に、そして宙を舞うように跳んで攻撃をかわして左へ。

 蹴りを受けた化け物たちはぐらりと体勢を崩し、左右のビルへと倒れ込んだ。


 激しい衝突音とともにビルが半壊する。

 人影が――それは少年だと、今では2人とも分かっていた――さらなる追撃のこぶしをふるうまでもなく、3体の怪物たちは塵と化して消えた。


 半壊したビルから露出した鉄筋に降り立った、金色の目をした少年が地上の2人を見下ろす。


 黒のフィンガーレスグローブを付けた両のこぶしを中心に、燃えさかる炎のような激しい金色の霊力が全身から噴き上がっていた。

 ナイトフォールの化け物たちを滅したのは、こぶしによる単純なパワーではない。そのこぶしを通じてたたき込まれた、少年の持つ輝かしく強い、この霊力だ。


 顔の下半分を覆う黒いマスクのせいで顔は分からない。風になびく髪は前髪の1房だけ白い。


 顔は見えずともその霊力に見覚えのある玄水は、左の口角を上げて少年を見返す。少年も、玄水が彼に気付いたことに気付いているようだ。

 黙れ、何も言うな、との圧を視線に感じつつも玄水が声をかけるより早く、三歌音が、いまだ心の高ぶりが冷めない震え声でつぶやいた。

「なんてこった。大儺たいなじゃないか」


 『大儺』については玄水も聞いたことがあった。機関に所属せず、献舞者デディケーターも連れず、怨霊退治をしている一匹狼。

 現れたのは5年前。そのころすでに玄水は執行人ブレイカーを引退していたため、直接相対したのはこれが初めてだ。


「知り合いか?」

 との問いに、三歌音は目を少年に釘付けにしたままうなずく。

「ちょいと縁があってね。

 ねえあんた、そんな力があったんだね! すごいじゃないか!」


 まるで親戚のおばさんのように親しげに話しかけられて、少年はとまどったようだった。

 三歌音は反応を待っている。どう返すべきか……しかし次の瞬間、ずうん、ずうんと再び巨大な化け物の進行する振動が届いて、3人は同時にそちらへ目を向けた。


 ナイトフォールの門からあふれ出た数十、数百の大小の化け物たちは、地に降り立ってからは思い思いの方角に散っていた。逃げる獲物人々を追って、道なりに進んでいる。戦場はここだけではない。


 先ほど倒したよりも巨大な黒い化け物が、その巨体でビルを壊しながら進んでいるのを見た隼人は、鉄筋を蹴って跳んだ。


「あ、ちょいと!」

 呼び止めようとする三歌音を肩越しに振り返り、

「あんたら、もう限界だろ。下がってろ」

 そう言うと強くビル壁を蹴る。


 ビルや外灯、信号機を足場に跳んで、まっすぐ化け物へ向かって行く。

 地上は黒い化け物や逃げ惑う人々、乗り捨てられた車、衝突した車、崩壊したビルの瓦礫やガラスなど障害物があふれている。確かに道を走るよりも、あの方法が早い。


「まったく。相変わらずサルみたいな子だよ」

 三歌音は腰に手をあてる。その声に称賛と羨望が混じっているのを玄水は感じ取り、にやりと笑った。

 昔ならば、敵を見つけた瞬間少年のように一心に走っただろう。強大な敵であるほど胸が躍ったものだ。生と死の瀬戸際で己の力の限界を試し、敵をねじ伏せ、超えたと感じることが楽しかった。

 だが歳を取った今は、限界を知り、小賢しく計算ができてしまう。


「やっぱ、あいつにゃは必要ねえ」


 技なんてーのは、限りある力をみみっちく使うためのモンだ。無駄遣いしないように、とのガキの小遣い銭のように。


「ん? 何か言ったかい?」

「いや。やつの捨て台詞は間違ってねえ、戻ろうって言ったのさ。霊力は残り少ねえが、尻から殻も取れてねえガキどもだけに任せて、俺たちが楽するわけにもいかねえだろ」

 木刀を両肩に渡らせ、飄々と元来た道を戻りだす。

 三歌音はまだ少し未練があるのか、少年が消えた先にいる化け物を見上げていたが、やがて思い切るようにきびすを返し、玄水の後に続いた。



◆◆◆



「人々が避難する時間を稼げ!」


 各所で、機関の配した執行人ブレイカー献舞者デディケーター、そして臨時として雇用された霊能力者たちとナイトフォールから出現した化け物たちの戦いが起きていた。


 霊的に祝福された霊具(術具)である破魔矢を用いて空飛ぶ怨霊を撃ち落としたり、霊力を通す道が開いた御神刀を手に切り払う攻撃手アタッカー、真言や呪符を放ち、鎮めることで浄化する霊術師スピリットマスター。そして動物霊を使役して戦うケモノ使いビーストハンドラー

 彼らが主に相手にしているのは足の早い先触れ、小型の尖兵たちである。


 少女の姿を模したモノ、黒い人型をしたモノ、そして上空から穢れを振りまく怨霊たちだ。


 少女の形をした不定形生物や、片言かたことの人語を話して相手を惑わし、捕食しようとする黒い人型はまだマシだ。一番厄介なのは空を飛ぶ怨霊で、彼らが放つ穢れは、献舞者デディケーターによる庇護のない状態で受ければ、その影響で周囲の者たちを攻撃したり、一緒に逃げていたはずの友達や家族を化け物のほうへ突き飛ばしたりする。

 本人たちは、自分が何をしたか理解できていない。いわゆる、魔が差したというやつだ。


 化け物だけでなく、そういった人々も警戒しなくてはならない。


 献舞者デディケーターは一般人の保護も役割のうちだが、基本的にパートナーである執行人ブレイカーを護ることを第一とする。それが結果的により多くの人々を護ることにつながるからだ。

 しかし人々を護りきれない、切り捨てなければならないとの葛藤が、彼らの集中力を奪い、霊力を濁らせて本領を発揮できなくするのは必定。

 そのため機関から要請を受けた政府が自衛隊を派遣、機関から配布された護符を持って、一般人を逃がす役割を負っていた。


 だがしかし。そういったサポートを一切必要としない機関員もいる。


 澤田 たける。犬神使いのケモノ使いビーストハンドラーだ。そして彼にのみ忠実なケモノ、犬神の辻。

 彼らが割り当てられた大通りでは、異様な光景が広がっていた。


 化け物と怪物が殺し合っている。


 5メートルはありそうなまだらの蜘蛛がビルとビルの間に巨大な巣を張っていた。黒い化け物をその糸で次々に捕縛し、動かなくしたところで背面に乗っていた子グモたちが一斉に群がる。

 地上では全身トゲだらけのクマほどの大きさの白狼が、立体的な動きで化け物たちを翻弄ほんろうしては鋼鉄の爪やトゲ、牙で引き裂き、また別の場所では虹色の硬いウロコを生やした巨大なアナコンダが巻き付いては締め上げ、毒牙を突き立てていた。

 上空の怨霊たちと戦っているのは、体長1メートルはあろうかという巨大なスズメバチの群れだ。その下で、ヒキガエルたちも背中のコブ1つ1つに開いた穴から何本もの触手を出しては粘液で人型の化け物を捕らえて引き寄せ、丸呑みしている。


 一見仲間割れのように見えて、その実態は違う。

 それら怪物たちには共通の文様が体のどこかに入っていた。


 彼らから距離を取った後方で、哮の横に立つ辻の額に浮き上がった文様と全く同じものだ。


 辻は蠱毒によって生まれた人造の怪異、最凶の犬神だ。その身内には、蠱毒に落とされ、敗北した獣や毒虫たちの魂が宿っている。

 文様は、辻に隷属する魂であることを示す証だった。


「もう逃げ遅れた人もおらんみたいやし。あらかた掃除できたかな?」

 哮がのんきな言葉を発した。あくびまで出す。それは辻への全幅の信頼であり、実際ここに着いて以来、彼には何をすることもないがゆえでもあった。


 一応ケモノ使いビーストハンドラーではあるが、他のケモノ使いビーストハンドラーたちが使役する動物霊と違って、辻はいちいち命令を出さずとも独自の判断で身内にあるケモノたちの魂を使って敵を殲滅せんめつすることができる。

 蠱毒という死線をくぐり抜け、哮よりもはるかに戦い慣れている辻に自分の指示など不要と哮は考えていた。


「まだそうと決めつけるのは早いよー、タケル」

 辻が答える。

 相変わらずの無表情、無感情で平坦な声だったが、中学時代からもう10年の付き合いの哮は、辻が緊張しているのを感じ取った。視線を前方から外さない。

 めずらしい、と思う。こんな辻を見たのは、過去1~2度しかない。


 辻に視線を流したとき。

 どしん、と重い振動が地を伝って足を震わせた。

 あわてて前方に視線を戻すと3ブロック先に数十メートルはあろうかという化け物が出現し、ゆらゆらと身を揺らしながら前進してくる様子が見えた。

 足元には5~8メートルサイズの化け物数十体がわらわらと、取り巻きのように囲っていて、後ろの大将の露払いだというように街路樹や信号といった障害物を踏み潰し、全てを破壊して、道を平らかにならして進んでいる。


 まだら蜘蛛や白狼、毒ヘビたちが果敢に飛びかかっていくも取り巻きの化け物たちに数で負けて、一番後ろを歩く大将クラスの化け物までたどり着くことができずにいた。


「……百鬼夜行やな、まるで」

 との哮の言葉に、辻は無言で大型犬の魂を出して受肉化した。

「タケル、ちょっと離れててくれるかなー、危ないからー」

 ひょい、と哮を持ち上げて犬の背に乗せる。

「こいつがタケルのこと、守ってくれるからねー。安全安心―」

 辻が何をしようとしているか、気付いた哮はここに来て初めて余裕を欠いた真剣な顔になった。そこまでの敵なのかと。

「辻、おまえ……っ」

「大丈夫だよー。ちゃんとヤクソクは守るからねー」

 行け、というアイコンタクトで大型犬が後方へ向かって走る。


 どんどん遠ざかる犬の背で振り返り、目を凝らして見る哮の視線の先で、小さな辻の背中が揺らいだ。

 輪郭線が空間に溶けるように消えていき、代わりに、近づいてくる大将クラスの化け物に勝るとも劣らない、巨大なテンに似た怪物が出現する。


 ふさふさとした尾は先端が黒く、全身は針のような白い毛皮で覆われていた。楕円形をした両眼には闇が渦を巻き、黒くて小さめの耳元近くまで裂けた口はゆがみ、不敵な笑みを浮かべているように見える歯茎からは大小無数の牙が覗いている。黒い短めの四つ足からは、湾曲した、鋭く巨大な爪が路面を割って突き刺さっていた。


 黒い靄に覆われたその姿は、神々しさとは無縁のまがまがしい気を放ち、ひどく醜怪しゅうかいな怪物にしか見えない。


 黒い炎がたなびく口元。ふとその口が閉じて、全身に力がみなぎる。すると、ぼこりと毛皮の下で玉のような何かが盛り上がった。


 ぼこり……ぼこり……ぼこり……。


 幾つも幾つも、まるで水面へ浮き上がる泡のように辻の体から丸い何かがせり上がり、弾けていく。弾けたそこから新たな怪物たちが這い出てきて、地面に落ちるや生まれたばかりのケモノのように身を震わせた。

 そのおびただしい数は、ゆうに50を超える。


 先に受肉化させていたケモノたちを合わせれば、軽く70は超えているだろう。身内にある魂のほとんどを、辻は放出していた。


「行くよー、みんなー」


 軽い言葉とは真逆の、猛々しくも恐ろしい、大気を震わせる号令の咆哮が辻の裂けた巨大な口からほとばしる。


 化け物の群れと怪物の群れのぶつかり合いだ。


 わが身が崩壊するのを厭わず奮戦したケモノたちによって薄くなった敵の前衛を蹴散らして突進した辻が、その爪を一番後ろの化け物に届かせ、引き裂く。死闘の末、相手がたまらずのけぞったところで辻がのどに深々と牙を突き立てるのを見て、隼人は無言でその場を去った。



 決着は見えた。

 ここのほかに、もっと自分の力を必要としている戦場がある。

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