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第六十五話

魔導エレベーターが、帝都の深層へとゆっくりと降下していく。

壁面に埋め込まれた魔導結晶が青白い光を放ち、その狭い空間を幻想的に照らしていた。


「そうして、シャヘライト結晶の共振周波数を0.03Hz単位で調整することにより、魔力変換効率は従来比で32.7%向上するのだよ」


ベレヒナグルは目を輝かせながら、愛を語るかのように熱心に説明を続ける。

延々と続く専門用語の洪水に、アドリアンを除く一同の表情が次第に曇っていった。


(ね……眠い……)


メーラは必死に瞼を開けようと努力する。


(でも、支持を得るためには、しっかり話を聞かないと……)


しかし、ベレヒナグルの「三重連動型非線形魔力制御システム」や「多重位相歯車同期機構」といった言葉は、まるで子守唄のように彼女の意識を優しく包み込んでいく。


「ぐぅ……」

「お姉ちゃん……!寝ちゃだめ……!」


一方、レフィーラは既に完全に寝落ちしており、ケルナが必死に支えていた。

ケルナもまた、必死に眠気を堪えていたのだが姉の介護に必死でなんとか持ちこたえている。

ベレヒナグルの熱のこもった説明が続く中、アドリアンは微笑みを浮かべながら的確な質問を投げかけた。


「なるほど。では、その場合の魔力共振の位相ずれは、どのように制御されるのでしょうか?」

「うむ、当然その疑問は沸くだろう。しかしシャヘライト分子結晶の構造は魔力結合によって支えられている為……」


少なくとも当人同士には会話が成立しているらしく、それがベレヒナグルの瞳をより一層輝かせる原因となっていた。

延々と続く魔導機械についての睡眠導入講座の中、ベレヒナグルはようやく一息つく。


「おっと……もう少しで我が実験場のある地下26階層だ」


彼はモノクルの奥でキラリと瞳を光らせ、アドリアンを見つめる。


「貴殿、驚いたよ。人間の身で、これほど深い知識を持っているとは。一体何処でその見識を得たのかね?」


アドリアンはその言葉に苦笑を浮かべ、そして言った。


「貴方にそっくりな、ある聡明なドワーフの方が、まるで機械に恋をしているかのように熱く語ってくれたんです。貴方の今の言葉と、一字一句違わぬ文言を、機械のような精確さで、それはもう夜が明けるまで延々と」


その言葉に、ベレヒナグルは首を傾げる。


「一晩中だと?」


彼は眉をひそめる。


「なんと常識のない奴だ。三日三晩は語らねば、魔導機械の本質など理解できん」

「えぇ、全く」


アドリアンの声には、どこか懐かしむような色が混じっていた。


「実に常識知らずでした。だが……それがいい」


カラン──という音と共に、魔導エレベーターが目的の階層に到着する。

扉が開くと、そこには広大な空間が広がっていた。


「ここが私の誇りにして、生涯を捧げる研究の場──魔導機械実験場だ」


地下26階層──それは、まさに機計卿ベレヒナグルの理想郷とでも呼ぶべき光景だった。

奥が霞んで見えるほどの巨大な地下空間には、ありとあらゆる魔導機械が整然と配置されている。

巨大な歯車が規則正しく回転し、シャヘライトの結晶が虹色の光を放ち、魔力制御装置から青白い閃光が走る。

その中を、ベレヒナグル配下のドワーフたちが忙しなく行き交う。彼らは白衣に身を包み、まるで儀式でも執り行うかのような真剣な面持ちで、次々と実験や試験を繰り返していた。


「わぁ……!」


それまで眠気に襲われていたレフィーラの瞳が、一瞬にして輝きを取り戻す。


「すごい!これって全部機械なの!?あ、あっちの光る装置は何?この音を立てているのは?あの大きな歯車は!?」


彼女は興奮に身を震わせながら、まるで蝶が花々の間を舞うように、次々と魔導機械の間を駆け回り始める。


「お姉ちゃん、危ないよ!」


ケルナが心配そうに姉の後を追うが、レフィーラの好奇心は既に抑えが利かないようだった。

実験を行うドワーフたちは、突如現れた金髪のエルフの少女に驚きの表情を浮かべるが、仕事が忙しいのかすぐに視線を逸らしてしまう。


「ついてきたまえ。そっちのエルフは付いて来なくていいが」


ベレヒナグルの後を追いながら、メーラは周囲の光景に目を奪われていた。

巨大な魔導炉から青白い炎が噴き出し、透明な管の中を虹色の液体が流れる。

時折、雷のような閃光が走り、奇妙な音が響き渡る。実験台の上では、小型の魔導機械が不規則に跳ね回り、ドワーフの技師たちが慌てて追いかける様子さえ見える。


「すごい……これが、魔導機械……?」


彼女には、これらの機械がどのような原理で動いているのか、まるで理解ができない。

ただ分かるのは、シャヘライトという結晶に宿る魔力によって動く物体だということだけ。


「綺麗だろ?」


アドリアンの声が、メーラの思索を優しく途切らせる。


「メーラは魔導機械というと、戦争の為の機械兵を思い浮かべるだろうけど、本来は違うんだ」


その言葉に、メーラは不思議そうな表情を浮かべる。


「例えば、地下帝都の照明や、空気を浄化する装置。それに、重い荷物を運ぶ補助装置や、病人を治療する機械。ドワーフたちは、暮らしを豊かにする為に、こうした技術を磨いてきたんだ」


アドリアンの声には、どこか懐かしむような、そして希望に満ちた色が混じっていた。まるで、遠い過去の記憶を語るかのように。


「……」


メーラは、アドリアンの横顔を見つめる。普段の軽やかな仮面とは異なる、深い思索の色が浮かんでいた。

アドリアンは一体何を知っているのだろうか。


しかし、その想いを言葉にする前に──


「機計卿閣下、お帰りなさいませ」


警備の魔導機械兵が機械的な動作で敬礼を捧げる。


「ご苦労」


ベレヒナグルの短い返答と共に、重厚な扉が静かに開かれる。

そこは──まさに軍事実験場とでも呼ぶべき場所だった。

無数の魔導機械兵が整然と並び立つ光景が広がり、メーラたちは啞然としてその光景を見ていた。


「わぁ!すごい!これ、全部魔導機械兵!?」


レフィーラは好奇心に目を輝かせると、まるで新しい玩具でも見つけたかのように魔導機械兵の装甲に手を伸ばす。

しかし……。

カチリ、と微かな作動音が響いた直後──


「うぎゃあっ!?」


彼女は間抜けな声を上げながら、優雅な放物線を描いて宙を舞った。機械兵の自動防衛機能が、レフィーラを容赦なく弾き飛ばしたのだ。


「お姉ちゃん!?不用意に近付くから……もうっ!」


ケルナは深いため息をつきながら、地面でくるくると目を回す姉のもとへと駆け寄る。


「ふむ」


ベレヒナグルは、まるで実験データを観察するかのような冷めた目つきで、転がるレフィーラを眺めていた。


「あれは最新型の無人型魔導機械兵だ。あのように──」


彼はモノクルの奥で瞳を煌めかせ、不出来な実験結果を記録するような皮肉めいた口調で続ける。


「敵性存在を自動検知し、迎撃する機能を搭載している。だが……」


彼は眉を寄せ、う~むと唸る。目の前で七転八倒するエルフの少女を見やりながら、まるで設計図の欠陥を指摘するように呟いた。


「状況に応じた適切な威力調整と、より精密な敵味方識別機能の実装が必要かもしれんな。……あぁ、しかしエルフを敵性生命体として設計していたな。ならばよしっ」


アドリアンは、やれやれと肩を竦めた。

その仕草には、この実験場の主とエルフの少女、どちらが子供なのか分からないという諦めの色が滲んでいる。


その時、広大な実験場の奥から重厚な駆動音が響き渡る。魔導結晶の淡い光の中、未知の影が浮かび上がっていた。


「あれは……?」


メーラが首を傾げる中、視界に驚くべき光景が飛び込んでくる。

見たこともない流線型の魔導機械兵が、先ほどまでレフィーラを吹き飛ばしていた無人型と交戦していたのだ。


「見たまえ。あれが今、試作している最新型の魔導機械兵だ」


ベレヒナグルの声には、どこか誇らしげな色が混じっていた。


「へぇ」


アドリアンは興味深そうに、その戦いを見つめる。

新型機は搭乗型のようで、これまでの無骨な機械兵とは一線を画す洗練されたフォルムを持ち、その動きは驚くほど俊敏だ。

無人型が繰り出す攻撃を華麗に躱し、的確な反撃で相手を圧倒していく。


「三重連動型シャヘライト結晶を搭載し、魔力増幅率は従来の3.2倍。装甲には……」


ベレヒナグルは自慢げに説明を続ける。


「主砲には改良型魔導粒子砲を搭載。射程距離2000メートル。さらに近接戦闘用の超振動魔導ブレードも実装済みだ」


その言葉を聞きながら、アドリアンの目が鋭く細まる。

彼の瞳には、何かを見抜いたような、そして憂いを帯びた色が浮かんでいた。


「……」


戦闘の轟音が静まり、最新型の魔導機械兵が圧倒的な勝利を収めると、その巨体をベレヒナグル卿の方へと向けた。


「おっ機計公様!」


操縦席から響く声には、明らかな高揚感が滲んでいる。


「この新型機、従来の機体とは次元が違いますぜ。まるで己の手足を動かすような感覚だ!」


ベレヒナグルはモノクルを光らせながら、得意げに頷く。


「当然だ。シャヘライト結晶の共振周波数を0.01Hz単位で最適化し、同調システムの応答性を極限まで高めたからな」


二人が専門用語を織り交ぜながら会話を続ける中、突如として魔導機械兵の動きが止まった。


「おっ!?」


兵士が驚きの声を上げる。その視線の先には──


「おいおい、アドリアンじゃねぇか!なんでこんなところにいやがるんだ?」


その突然の呼びかけに、アドリアンとメーラは顔を見合わせる。


「アド、知り合い?」


メーラが小声で尋ねると、アドリアンは首を傾げる。


「う~ん?俺の知る限り、機械の知り合いはいないんだけどな」


その言葉を聞いた魔導機械兵から、がははという豪快な笑い声が響く。

そして、頭部のハッチが開き、中から一人のドワーフが姿を現した。

灰色がかった長い髭を蓄えた、たくましい体格の持ち主──


「おっと、君は……」


アドリアンの脳裏に、一つの記憶が蘇る。

エルム平野での戦い。魔導機械兵との決闘。そして、その魔導機械兵から出てきた……髭面のドワーフ。

──戦士ファティマ。


「思い出してくれたか?英雄さんよぉ」

「あぁ、勿論覚えてる。あの時の、おもちゃの兵隊を操っていた勇ましい戦士をね」


その皮肉めいた言葉に、ファティマは苦笑いを浮かべる。そこへベレヒナグルが興味深そうに口を挟んだ。


「ほぉ、知り合いか?」

「ええ、機計公様」


ファティマは髭を撫でながら、まるで自慢の武勇伝でも語るかのように声を弾ませる。


「この男、とんでもない怪物でしてね。俺が操縦していた最新鋭の魔導機械兵を、玩具みてぇに──素手で投げ飛ばしやがったんですよ」

「ほお……?それは興味深い」


ベレヒナグルは研究対象を見つけた科学者のように、アドリアンの周りを回り始める。

その手は次々とアドリアンの身体の各部位を探るように触れていく。


「理論上、この体格で魔導機械兵を弾き飛ばすことなど不可能だが……複数加護持ちか?いや、しかし『剛力』の加護でもそこまでの力は……」


彼は研究に没頭する学者のように、アドリアンの身体をペタペタと触りながら呟き続ける。

アドリアンは、まるで社交界の紳士が失態を咎めるかのような艶のある声で言った。


「機計公、観察熱心なのは結構なことですが」


彼は意図的に間を置き、メーラを視線で示しながら続ける。


「ご婦人の前で、あまりに熱心な『身体検査』は如何なものかと。私も、少し困ってしまいますので」


その軽やかな皮肉も、ベレヒナグルの研究熱には一切届かない。

彼は「ふぅむ」と呟くと、まるで新たな実験結果でも導き出したかのように満足げに頷いた。


「貴殿は稀有な知識を持つ知識人であると同時に、武人でもあったのか。うむ、素晴らしい」


そして、頷きながら続けた。


「ところで貴殿に頼みがあるのだが」


アドリアンが何かを返そうとする前に、ベレヒナグルは矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。


「我が革新的な魔導機械兵を、あろうことか人道に反するなどと嘯く輩が多くてな。まったく──」


彼は機械仕掛けの杖を軽く叩きながら、実験の失敗でも語るかのような冷ややかな声で続けた。


「進歩を恐れる老いぼれ軍人どもとでも言おうか。貴殿の……『説得力のある』拳で、彼らの化石のような脳みそを、少しばかり揺さぶってくれないか?ちなみに、その元締めの名前が鋼鉄公アイゼンというのだがね」


その予想外の依頼に、アドリアンの瞳が見開かれる。

そして──


「んあ~?」


気絶から目覚めたレフィーラの間抜けな声が、重たい空気を軽やかに吹き飛ばした。


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