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第六十六話

帝都一階層の喧騒が渦巻く酒場。

店内には酔ったドワーフたちの笑い声が響き渡る中、アドリアンたちの一行が席に着いていた。


「がっはっは!まさかお前さんとまた会えるとはな!」


ファティマは豪快な笑い声を上げながら、ジョッキを傾ける。

一方、アドリアンとメーラの前には冷たいミルクが、レフィーラとケルナの前には色鮮やかな果実ジュースが置かれていた。


「わぁ、すっごく綺麗な色!」


レフィーラは好奇心いっぱいの眼差しで酒場の様子を見渡す。

対照的に、ケルナはおずおずと姉の袖を掴み、周囲の荒くれたドワーフたちの姿に怯えているようだった。


「『鉄の胃袋』──おっと失礼、マスター」


アドリアンは艶のある声で、からかうように呼びかける。


「エルフのお嬢さんたちにも、素敵な果実ジュースを用意していただき、本当にご親切で。さすが評判の優しいマスターだ」


その皮肉めいた賛辞に、マスターは鼻を鳴らしながら顔を背けた。


「チッ、俺だってガキと女には優しいんだよ」


彼は意地の悪い笑みを浮かべ、アドリアンを睨みつける。

その時、周囲のドワーフたちが酔った勢いで、次々と野次を飛ばし始めた。


「おい優しいマスターよぉ!なら自分の女房にもその優しさを見せてやれってんだ!」

「そうだそうだ!」


マスターは野次を飛ばすドワーフたちをギロリと睨みつけ、グラスを磨きながら突き放すように言った。


「何言ってやがる。ドワーフの女どもときたら、俺らより筋肉ついてやがるからな、俺が優しくされたいくらいだぜ」

「ぎゃははは!そりゃおめぇの奥さんだけだろ!」

「ウチのカミさんは小さくて可愛いぞ!」


酒場中が爆笑に包まれた──その直後。


「へぇ、優しくされたいってのかい?」


低く響く声と共に、マスターの背後に巨躯の影が現れる。がっしりとした体格のドワーフの女性──マスターの妻だ。

彼女は無言で、夫の頭を容赦なくぶん殴った。


「ぐわっ!?」

「寝言は寝て言いな!さっさと働け!」


その一喝で、酒場の空気が一変する。

先ほどまで騒がしかった酒場のドワーフたちは、まるで叱られた子供のように静かになり、アドリアンたち(主にレフィーラ)も思わず背筋を伸ばした。


「はぁ……」


ファティマは深いため息をつくと、アドリアンの方へ身を乗り出した。

その表情は先ほどまでの陽気な様子から一転し、真剣さを帯びている。


「聞いてくれ、アドリアン。お前が何を企んでいるかまでは聞かねぇが……機計公様の命令でな、今の状況を話しておく必要がある」


彼は一度ジョッキを干すと、声を潜めるように続けた。


「今、軍部は真っ二つに割れていてな……」


ファティマの説明によれば、軍部には大きく分けて二つの派閥が存在するという。

一つは『革新派』──魔導機械兵の導入を強く推進する勢力。

そしてもう一つが『旧武派』──伝統的な戦術と価値観を重んじる勢力だ。


「問題は、この対立の根っこにある『魔導機械兵』さ」


彼は言葉を選びながら慎重に説明を続ける。


「確かに、魔導機械兵は強力な兵器だ。戦場を一変させる力を持っている。だがな……」


ファティマはグラスを握り締め、苦々しい表情を浮かべた。


「古参兵を中心に、反発する連中が少なくない。奴らにとっちゃ、何百年も受け継いできた武の誇りを、機械如きに踏みにじられるのは我慢ならねぇってわけよ」

「へぇ……」


アドリアンは意味ありげな微笑みを浮かべながら、まるで見えない歯車が回るのを眺めているかのような表情を見せた。


「その旧武派の元締めが、鉄鋼公アイゼン……ということか」

「ああ、その通りだ」


ファティマは、少し声を落として続けた。


「鉄鋼公様は軍の誇り、まさに『英雄』と呼ぶべき存在でな。ドワーフの軍人なら誰もが一度は憧れる大将軍だ。だからこそ、軍部には公様を信奉する者が多い」


アドリアンはミルクに口をつけながら、さりげなく尋ねた。


「君はどっちに付いてるんだい?ファティマ」


ファティマは一瞬考え込むような素振りを見せ、慎重に言葉を選びながら答えた。


「俺はただの一兵卒に過ぎねぇからな。ベレヒナグル様も、アイゼン様も、どちらも尊敬する大貴族様だ。命令とあれば、どちらの言葉にも従う。だが……」


彼は周囲を見回すと、より一層声を潜めて続けた。


「これからの時代は革新が全てだ。古いしきたりに従っているだけじゃ、時代に取り残される……」


そう言うと、ファティマの瞳が熱を帯び始めた。

彼は魔導機械兵の性能や、その可能性について、まるでベレヒナグルの影響を受けたかのように、熱心に語り始める。


「この間の新型なんかはすげぇぞ!魔力制御の精度が桁違いで、しかも操縦性が……」


──その時だ。


重厚な扉が開かれると共に、酒場に豪快な笑い声が響き渡った。

鎧を身にまとった古強者たちが、ドワーフらしい下品な笑い声を上げながら入ってくる。

しかし、その目がファティマを捉えた瞬間、彼らの表情が意地の悪い笑みへと変わった。


「こりゃ珍しい。お人形さんから出てきた坊やがいるじゃないか。今日は、お気に入りの鉄の玩具は持ってこなかったのかぁ?」

「ぎゃはは!本当だな!いつもは人形の中に引き籠もってるから、顔なんて忘れちまったぜ!」

「お前さんみたいな子供は早く寝た方がいいんじゃないか?だって、機械のお守りがないと、まともに立つこともできないんだろう?」


その言葉に、ファティマの手に握られていたジョッキが、まるで砕けた氷のように粉々に砕け散った。

メーラはその光景に思わず身を縮め、アドリアンの背後に隠れるように身を寄せる。


「メーラ、見事な光景だと思わないかい?」


アドリアンは優雅に微笑みながら、お茶会でもしているかのような口調で言った。


「これぞドワーフ流の社交術さ。実に野性味があって素敵じゃないか」

「ア、アド?に、逃げた方が……う、ううん……」


メーラの震える声も届かぬまま、ファティマはゆっくりと立ち上がった。


「てめぇら……」


彼の低い声が響く中、酒場のあちこちから、椅子を引く音が聞こえ始めた。

次々とドワーフたちが立ち上がり、ファティマの背後に並び立つ。

どうやらこの場にも、革新派の戦士たちが多数いたらしい。酒場は一瞬にして、二つの勢力が睨み合う修羅場と化していた。


「やぼったい旧式の考えに縛られたクソジジィ共が。口だけは一人前だな」

「なんだと!?伝統を理解できない小僧が!」


旧武派と革新派のドワーフたちは、互いを睨みつけながら、まるで火花が散るかのような言葉を投げ合う。

誰かが拳を握りしめれば誰かが一歩前に出る。その緊張感が、酒場全体を支配していく。


「メーラ、そんなに怖がることはないよ」


プルプルと震えるメーラの肩に、アドリアンは軽く手を置いた。


「ドワーフ同士、本気で殺し合うほどお互いのことが嫌いじゃないはずさ。それにほら……」


彼は意味ありげな笑みを浮かべながら、隣にいるレフィーラの方を示す。


「うおおお!これが噂の『酒場でのドワーフ流喧嘩』!?すっごい迫力!ねぇねぇ、これって本当に殴り合うの!?血は出るの!?もっと近くで見たい!」


レフィーラは目を輝かせながら、まるで祭りでも見物するかのように興奮した様子で前のめりになっていく。


「お姉ちゃん!だ、ダメぇ!本当に危ないから!」


ケルナは額に冷や汗を浮かべながら、姉の服の裾を必死で引っ張る。

アドリアンはその様子を「やれやれ」といった表情で眺めていた。

一方メーラは、危機的状況の中で無邪気に喜ぶレフィーラの姿に呆れと驚きの入り混じった表情を浮かべる。

しかしその間にも、酒場の空気は更に熱を帯びていく。


「魔導機械に頼るしか能の無い腰抜けが!」

「時代遅れの化石が何を!」


ドワーフたちの怒号が飛び交う中、誰かがジョッキを握りしめ、誰かが椅子に手をかける──

今にも大乱闘が始まりそうな雰囲気が、酒場全体を包み込んでいった。


喧嘩を始めんとするドワーフたちを横目に、アドリアンは静かに思案を巡らせる。


(成程、これは確かに根深い問題かもしれないな……)


軍部は革新派と旧武派に完全に分断され、その亀裂は取り返しのつかないものになりつつあった。

互いを認め合うどころか、このように公然と敵意を剥き出しにするまでに至っている。

不意に、アドリアンの脳裏に前世の記憶が蘇る。

かつての帝国軍の姿──確かに意見の相違はあれど、魔族という共通の敵に対して、ドワーフたちは一丸となって戦っていた。

魔導機械兵の是非を巡って、このような深刻な対立が生まれることはなかったはずだ。


(今の状況が前世と大きく異なるのは……魔族の存在が希薄だからか)


彼は目の前で繰り広げられる騒動を見つめながら、その根本的な原因を探ろうとする。

共通の脅威が存在しないことで、軍部の矛先が内側に向いてしまったのか。


(──いや、それだけじゃない気がする……)


そして、アドリアンの中に一つの答えが導き出されようとしていた時……。


「何騒いでるんだい、アンタたち!!!」


轟音とともに響き渡った怒声に、酒場の喧騒が一瞬にして凍りつく。

先ほどまで互いを睨み合っていた戦士たちの背筋がビクリと震え、顔から血の気が引いていく。

恐る恐る声のした方を振り返ると──そこには、まるで魔神のような形相でマスターの妻が立っていた。

横では、まるで事件とは無関係であるかのように、マスターがグラスをキュッキュッと磨き続けている……。


「あ、いや……これは……」

「な、なんの問題も……ね?」

「そ、そうそう!友好的な会話を……」


先ほどまで互いを罵り合っていたファティマと古参兵は、まるで親友であったかのように肩を組み、必死に取り繕う。


「はっはっは!ね!?仲が良いだろう!?」

「本当に仲良しなんだよなぁ!ねぇ!?」


しかし──


「ふんっ!!」


轟音と共に繰り出された妻の一撃が、ファティマたちの頭部を直撃。

まるで隕石でも落ちてきたかのような衝撃と共に、ドワーフたちの身体が床を突き破って地下へと消えていった。


「うぎゃあ!!」


悲鳴と共に床に大穴が開き、酒場に土煙が立ち込める。

その光景を見た革新派も旧武派も、まるで悪い夢でも見たかのように震え上がり、慌ててお行儀よく、席に着いて無言になった。


「今度騒いだら、地底の最底辺にまで埋めてやるからね、覚悟しなっ!!」


その言葉を残し、マスターの妻は厨房へと消えていった。

ドスンドスンと、足音が遠ざかるにつれ、酒場は死んだような静寂に包まれていく。誰一人として咳一つできない空気が支配する中──


「これが……ドワーフの女……!」


レフィーラの驚愕の呟きが、まるで余韻のように静かに響き渡った。

その声は、今や行儀よく並んで震えているドワーフたちの間に溶けていき、やがて完全な静寂が酒場を支配した。

そんな中で、メーラが震えながら言った。


「アド……あれがドワーフの女の人なんだね。ライラさんやトルヴィア姫は例外だったんだ……」

「いやメーラ。例外はマスターの奥さんの方だから安心していいよ」


床に開いた大穴から、かすかにファティマたちの呻き声が聞こえてくるような気がして、アドリアンは呆れたように微笑んでいた。


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