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第六十九話

数十万のドワーフたちの熱気が、巨大な円形闘技場を包み込んでいく。

最初の試合に選ばれたのは、帝国が誇る戦士による一騎打ちだった。


「やぁみんな!応援ありがとう!」


片方の扉から姿を現したのは、ドワーフらしからぬ端麗な容姿の青年。小柄な体躯に、髭も生えていない、精悍な顔立ちをしている美丈夫だ。

彼は満面の笑みを浮かべながら、観客席に向かって手を振った。


「あれが鋼鉄公の愛弟子、シュタールユングか」


アドリアンは手すりに肘をついて身を乗り出し、興味深そうにその姿を眺めながら呟いた。


「知っておるのか、アドリアン」


ザラコスの声に、アドリアンは意味ありげな笑みを浮かべる。


「まぁね。可愛い情報屋から、派閥の情報を色々と聞いたから。もちろん、大量のお菓子と引き換えにね」

「?」


相対する入場口からは、まるで小山のような巨躯を持つドワーフの戦士が姿を現した。

その筋骨隆々とした体躯から漂う威圧感と共に、地面にまで伸びた立派な髭を風になびかせながら、人の背丈ほどもある巨大な戦斧を肩に担いでいる戦士だ。


この『鋼の祭典』において、武器の使用は単に許可されているだけではない。むしろ、積極的に推奨されているのだ。

太古より続くこの祭典は、戦士たちが己の武器と力を、鍛冶神に捧げる神聖な儀式なのだから──当然のことだった。


「ねぇアドリアン!どっちが勝つと思う!?」


華やかな衣装に身を包んだエルフの少女、レフィーラが突如としてアドリアンの真横に躍り出る。

彼女は嬉しそうに目を輝かせながら、まるで恋人のようにアドリアンの腕に抱きつくように身を寄せていた。

その光景を目にしたメーラは、思わず「ぷすー」と頬を膨らませる。


「ぐぬぬ……!」


しかし──彼女には今、それ以上の問題があった。貴賓席からの途方もない高さに、彼女の体は完全に固まってしまっている。

抗議の一つもしたいのに、恐怖で椅子から動くことすらできない……。


「そうだね。シュタールユング……」


アドリアンは微笑みながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「あのちっちゃい彼が、圧勝するよ」

「え?でも……」


レフィーラは困惑したように首を傾げる。彼女の視線は、シュタールユングの両手に向けられていた。

相手が巨大な戦斧を構えているのに対し、彼は何も持っていない。まさか素手で戦うつもりだろうか。

しかしレフィーラの困惑を他所に、栄誉ある最初の戦いの幕が切って落とされた。

二人のドワーフは互いを見据えながら、ゆっくりと円を描くように歩を進め、徐々に間合いを詰めていく。


「グハハ……」


巨体のドワーフは低く笑うと、戦斧を大きく振りかぶりながら吐き捨てるように言った。


「前々からテメェは目障りでしょうがなかったんだよ。鋼鉄公のお気に入りってだけで、生意気な態度取りやがって」


その言葉に、シュタールユングは優雅に前髪をかき上げ、涼しげな微笑みを浮かべた。


「へぇ?なんだ、気が合うじゃないか」


彼は意図的に間を置き、皮肉めいた声色で続けた。


「実は俺も、テメェのその汗染みた戦闘服と、見苦しいまでに筋肉だらけの巨体を見て目障りだと思ってたんだ」


その言葉が引き金となった。

巨大な斧が、閃光のような速度で振り下ろされる。

常人ならば視認すら出来ぬ程の速さで放たれた一撃は、シュタールユングを正確に捉え──


「っ!?」


しかし、彼は既にそこにはいなかった。巨大な斧は虚しく地面へと突き刺さり、衝撃で石畳が砕け散る。


「くそっ、何処に行った……!?」


巨漢が周囲を見回した、その瞬間だった。


「ここだよ、間抜け」


声が背後から聞こえる。巨漢が振り向く前に、シュタールユングの姿が残像と共に駆け抜けていく。

そして、一陣の風のように──シュタールユングの飛び蹴りが放たれた。


「う……がぁ!?」


巨大な体躯が宙を舞う。遥か頭上まで吹き飛ばされた巨漢は、そのまま轟音と共に地面へと落下した。

衝撃で砕けた石畳が粉塵となって舞い上がる中、会場が水を打ったような静寂に包まれる。

その沈黙の中、シュタールユングは片膝をつき、優雅に右手を胸に当てた。


「この栄誉ある勝利を──我らが皇帝陛下と、我が師・鋼鉄公閣下に捧げさせていただこう!」


その瞬間、会場から大きな歓声が沸き起こった。

熱狂は瞬く間に闘技場全体へと伝播し、「シュタールユング!」の声が遥か彼方の天井まで響き渡る。

レフィーラとケルナ、そしてメーラは、まるで固まってしまったかのように、呆然とその光景を見つめていた。

その横で、アイゼンが満足げに髭を撫でながら、深くうなずいている。


「見事な試合であった」


アイゼンは慈しみの篭った眼差しで、弟子の勇姿を見つめながら言った。


「シュタールユングの舞うような動きには、いつ見ても心を奪われる。そして敗れはしたが、戦士グロゼダの渾身の一撃にも、我らドワーフの誇りが良く表れていた……」


そして最後に、アイゼンは意図的に声を上げ、誰かに聞かせるかのように言った。


「魂の通わぬ鉄の人形では、このような感動は味わえぬだろうなぁ。やはり、生身の戦士による血と魂の通った戦いこそが至上というものだ」


その言葉が響いた瞬間、機計公ベレヒナグルのモノクルの奥の眉が、かすかに痙攣した。

彼の右手に握られた機械仕掛けの杖を突く音が、いつもより鋭く、短く、そして怒りを帯びたように響く。

そんな険悪な空気が漂う中、ザウバーリングはシェーンヴェルに身を寄せ、意味ありげな声音で囁いた。


「……シェーンヴェル卿。元より我々は犬猿の仲とはいえ──今日の二人は、今にも殺し合いを始めそうな勢いだ。何かあったのかね?」

「まぁ、想像はつきますわ」


彼女はアドリアンの方を見やりながら、豪華な扇子を広げていった。


「そこの『人間の英雄様』が、また何か面白おかしい種を蒔いたんでしょうね」


その皮肉に満ちた会話をよそに、アドリアンは軽やかな口笛を奏でながら、上機嫌で闘技場を見下ろしていた。

そしてアドリアンは茶目っ気たっぷりの声で、話題を逸らすように言った。


「二人共、そんなに仲睦まじく内緒話に花を咲かせていると、折角の『鋼の祭典』を見逃してしまいますよ?次の試合が始まるところですし、もっと前を向いて楽しみましょう!」


その露骨な誤魔化しに、ザウバーリングとシェーンヴェルは揃って深いため息をつく。

しかし、彼らが闘技場へと視線を向けた瞬間──その表情が一変する。

重厚な足音と共に、巨大な影が入場門をくぐり抜けてきたのだ。


「……!」


青白い魔力の光を纏った魔導機械兵。その巨体が闘技場に姿を現した時、闘技場全体に緊張が走る。

そして、巨大な魔導機械兵と相対するのは、一人のドワーフの戦士だった。

腕に自信があるのだろう、鍛え上げられた筋肉を誇示するかのように、彼は胸を反らして闘技場へと颯爽と入場する。


しかし──。


「おぉ!皆の衆、この腕を見てくれ!これぞドワーフの……」


自慢げに観客席に向かってポーズを取った彼の目に、青白い魔力を纏った巨大な影が映った瞬間。

彼の誇らしげな表情が、まるで石像のように固まる。


「お、おい冗談だろ!?いきなり魔導機械兵が相手か!?冗談じゃ……」


しかし、その悲痛な叫びは開始の合図と共に掻き消された。

魔導機械兵の全身から漏れる青白い魔力が、轟音と共に輝きを増していく。


「待て待て待て!まずは名乗りを……」


その瞬間だった。

三メートルを超す巨体が、信じがたい速度で地を蹴った。重さ数十トンの装甲を纏った小型要塞とも称される魔導機械兵が、飛翔した。

搭乗しているドワーフの意思を受けて、機械仕掛けの四肢が精密に連動し空を舞う光景は圧巻である。


「ちょ、ちょっと待っ──」


男の言葉が終わる前に、肩部の魔導砲が青く輝いた。

轟音と共に放たれた魔力弾は、地面を這う蛇のように蛇行しながら戦士の足元を粉砕する。


「うおおおおおっ!?」


バランスを崩して見事に転んだ男に向かって、容赦なく魔導機械兵が襲い掛かる。

派手な音と共に巨大な魔導ブレードが月光のように閃き、戦士の武器をまるでバターを切るように真っ二つ。


「マ、マズイ……!」


そして最後に、巨大な鋼鉄の拳が男の上半身を完全に覆い隠すように振り下ろされた。


「がはっ……!ママぁー!」


彼の体が風船のように宙を舞い、くるくると回転しながら闘技場の向こう端へと吹き飛んでいく。


たった数秒。

圧倒的な力の差を見せつけるような、一方的な戦いだった。

シーン、と会場に静寂が満ちる中、任務を終えた魔導機械兵の胴体が左右に大きく開いた。

そこから操縦者の姿が現れる……。


「ガイスト二等兵、無事任務を完遂いたしました!」


魔導機械兵から現れたドワーフを見て、誰もが驚愕した。

ピョコンと擬音を出しながら出て来たのは、少年とも呼べるような可愛らしい面立ちのドワーフだったからだ。

その意外な光景を目の当たりにした瞬間、会場は一気に沸き立った。


「あのチビっ子が、あんな凄まじい戦いを!?」

「可愛らしい顔で、巨漢を一瞬でぶっ飛ばすとは……」

「生身の戦いより派手で面白れぇ!もっと見せてくれよ!」


観客席からは歓声と笑い声が入り混じった喧騒が響き渡る。

彼らは魔導機械兵による圧倒的な力の差を、ショーのように楽しんでいるようだった。


「機計公閣下に、敬礼でありますっ!」


ガイスト二等兵は歓声の中、遥か上方の貴賓席を見上げると、幼い手つきで可愛い敬礼を捧げた。

それを見たベレヒナグルは、意味ありげにモノクルをクイッと持ち上げ、満足気な笑みを浮かべる。


「当然の結果だな。所詮、加護も持たぬ一介の戦士如きが、生身で魔導機械兵に勝てる確率など──計算するまでもない」


そして、彼は意図的にアイゼンにわざと聞こえるように言葉を漏らす。


「しかし、これは興味深い。先ほどまで生身のドワーフ同士の地味な殴り合いに酔いしれていた民衆が、今では『魂なき鉄の人形』に熱狂している」


彼は意図的にアイゼンの言葉を引用するように強調し、声に棘を込めて付け加えた。


「どうやら、この『魂なき』戦いの方が、よほど民の心を震わせているようだ。これはどうしたことだろうか……?」


アイゼンの髭で輝く無数の勲章が、カチャカチャと音を立て始めた。

それは、彼の激しい怒りに共鳴するかのように、不規則なリズムを刻んでいる。

その一方で、闘技場では微笑ましい光景が広がっていた。

観客席から身を乗り出した男たちが、少年兵に向かって声を掛ける。


「おーい!坊主!その腕前、どれくらい練習したんだ?」


ガイスト二等兵は両手を後ろで組み、つま先立ちでぴょこぴょこと愛らしく揺れながら答えた。


「えーっと、三日前に初めて乗ったでありますっ!」

「なに!?三日前だぁ!?」


観客席から吹き出した酒が噴射される中、爆笑の渦が広がった。


「ぎゃーはっはっは!こりゃ笑えるぜ!たった三日で、あんな大男をコロコロと転がすなんてよぉ!」

「おい、吹き飛ばされた野郎!お前の筋肉は何年掛けてつけたんだ!?」

「明日から鍛錬なんてやめて魔導機械兵の練習した方がいいんじゃねぇのかぁ!?」


闘技場が笑いの渦に包まれる中、アイゼンの勲章は更に激しくカチャカチャと音を立て始めた。

険悪な雰囲気を漂わせる二人の公爵に挟まれ、貴賓席の面々は落ち着かない様子で視線を泳がせていた。

唯一、アドリアンだけが涼しい顔で、ピクニックにでも来たかのように楽しげに戦いを眺めている。


「ずいぶん楽しそうじゃない」


トルヴィアが冷ややかな声を投げかけた。


「まるで、クソガキが蟻の巣を踏み荒らして喜んでるみたいね」

「いやぁ」


アドリアンは意図的に大げさな溜め息をつきながら、軽やかな声で返した。


「実を言うと、俺の計画以上に二人の仲が悪化しちゃってね。このままじゃ本当に内乱でも起きそうで──ちょっと心配なんだ」


その言葉に、トルヴィアの表情が真顔になった。


「冗談だよ」

「アンタねぇ……!」


しかし、アドリアンは意味ありげな微笑みを浮かべながら、彼女に向かって艶のあるウインクを投げかけた。


「──実はこれからが本番なんだ。せっかくのお祭りなんだから、もっと楽しまなきゃね」


闘技場に轟く歓声が、彼の言葉に呼応するように響き渡る。

貴賓席に満ちる緊張と、地上から湧き上がる熱狂。この『鋼の祭典』は、まだ序章に過ぎなかった。


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