目次
ブックマーク
応援する
7
コメント
シェア
通報

第六十八話

『鋼の祭典』


それは太古より、ドワーフが崇める鍛冶神への捧げものとして執り行われてきた神聖な祭典。

腕に覚えのある戦士たちが一堂に会し、己の武を神前に披露する厳かな儀式──


……というのも、大昔の話。


帝国全土から民が集まり、巨大な闘技場で繰り広げられる熱戦に歓声を上げ、酒を飲み、祝祭を楽しむ──そんな華やかな娯楽の場と化していたのだ。

露店が立ち並び、楽団が演奏を奏で、子供たちが祭りの喧騒に目を輝かせる。

神聖な儀式は、今や帝国最大の歓楽の祭典へと姿を変えていた。


グロムガルド帝国地下18階層──。

そこには、帝国内でも稀に見る巨大な空間が広がっていた。円柱状に抉り取られたかのような巨大な円形劇場は、実に3階層分もの高さを持つ。

天井からは大量の魔導結晶が吊り下げられ、その青白い光が空間全体を明るく照らしている。

巨大な円形闘技場の周囲には、階段状に客席が配置され、所狭しと群がるドワーフたちの熱気で満ちていた。

観客席の最上層から見下ろせば、まるで巨大な坩堝の中を覗き込むかのような光景が広がる。


「これが『鋼の祭典』か。聞いてた通り、凄い迫力だ」


アドリアンは絢爛豪華な貴賓席から身を乗り出し、下方に広がる巨大な闘技場を見下ろしていた。

貴賓が集うこの場所は、闘技場の遥か頭上に、浮かぶように存在している。


「ア、アド……!」


メーラの震える声が響く。彼女は貴賓席の豪奢な椅子に縋りつくようにして、おずおずとアドリアンを見上げていた。


「あんまり前に出ると、落ちちゃう……あ、いえ、落ちてしまうかもしれませんから、もう少し後ろに下がった方がいいですわ……」


彼女の声には明らかな動揺が滲んでいた。

『魔族の姫』という演技も忘れてしまうほどに、メーラは恐れ慄いている……。


「メーラ姫。私におつかまりなさいな」


シェーンヴェル卿の優美な声が響く。彼女は、慈しむような笑みを浮かべながらメーラに手を差し伸べた。


「シ、シェーンヴェル卿……」


メーラは涙目を浮かべながら、彼女に抱きつくようにして震える身体を支える。


「まったく」


シェーンヴェルは優雅に扇子を広げながら言った。


「男というのは実に可愛らしいわね。ただの殴り合いを『神聖な儀式』などと粉飾して、国を挙げての祭りにしてしまうなんて」


その言葉に、アドリアンは苦笑しながら答える。


「シェーンヴェル卿。男というのは、髭が白くなろうとも、永遠に少年の心を持ち続ける生き物なんでです」


彼はさりげなく視線を横に向け、脚を組んで高慢に座る若き公爵を見やった。


「そう思いませんか、ザウバーリング卿?」

「……知らん。私に聞くな。私は幼稚とは程遠い男だからな」


ザウバーリングは苛立たしげに言い放つ。彼の指輪から漏れる赤い光が、その感情を如実に表していた。


「これは申し訳ない。貴方のような、屈強で、誇り高く、男らしいドワーフに、そのような失礼な物言いをしてしまうとは」


しかし、突如としてアドリアンは身を乗り出し、目を見開いた。

それはもう、わざとらしく。


「おや!?あれは……まさか!エルフの国から来た人形商人では!?しかも、見たこともないような珍しいぬいぐるみを山ほど積んでいる!?」

「な、なんだって!?森林国の人形売り!?」


ザウバーリングは反射的に立ち上がり、アドリアンと同じように身を乗り出して階下を必死に見渡す。


「どこだ!?どこにいる!?」


しかし、次の瞬間──彼は自らの反応に気づき、ハッと表情を引き締めた。そして顔を真っ赤に染めながら、咳払いをして取り繕う。


「コホン!失礼」


ザウバーリングは慌てて咳払いをし、できるだけ威厳のある態度を装おうとする。


「急用を思い出した。一時的に席を外させていただこう。皇帝陛下の開会宣言までには必ず戻って参りますので」


彼は十本の魔導リングを煌めかせ、その体を魔力で包み込む。次の瞬間、彼の体が宙に浮かび上がった。

そのまま彼は一直線に階下へと降下していく。突如として帝国の大公爵が空から舞い降りてきたことに、下層の平民たちは「おおっ!?」「魔環公様!?」と騒然となっていた。


「ね?」


アドリアンは意味ありげな笑みを浮かべながら、シェーンヴェルの方を向いた。


「男というのは、こうして地位や年齢に関係なく、可愛らしい一面を見せてくれるものです」


シェーンヴェルは呆れたように豪奢な扇子で額を押さえ、深いため息をついた。

その仕草には、「男という生き物」への諦めが滲んでいる。


「おい、アドリアン」


その時、貴賓席のエリアに野太い声が響き渡る。

皇国の騎士団長、リザードマンのザラコスが、その巨躯と尻尾をゆらゆらと揺らしながら呆れたように言った。


「貴族たちと交わって、少しはその性格が鳴りを潜めていたかと思ったら……むしろ悪化してるのぅ」

「おっと、ザラコス。久しぶりだね」


アドリアンはおどけて答える。


「その『性格』というのは、俺の『魅力的な社交性』のことか?それとも『洗練された話術』のことかな」

「はぁ……」


ザラコスは深いため息と共に、大きな尻尾を揺らした。まるで手に負えない子供を見るような表情だ。

しかしアドリアンは意に介した様子もなく、反対側の席へと視線を向ける。


「それに……エルフの皆さま方も、俺のこの『素晴らしい』性格を気に入ってくださってるようだしさ」


アドリアンが視線を向けた先には、エルフの一行が優雅に座を占めていた。

外交官フェイリオンは凛とした佇まいで静かに座り、その横では妖精のペトルーシュカが宙に浮かびながら控えている。

そして姉妹は──レフィーラが目を輝かせ、危なっかしく手すりから身を乗り出し、ケルナが「お姉ちゃん!危ない!」と必死に止める、いつもの光景を展開していた。

ザラコスはその光景を見て、鋭い眼光を放つ。


「まさかワシの知らぬ間に、森林国の特使が来ていたとはな」

「知らなかったのかい?」


アドリアンは意図的に間を置き、からかうような口調で言った。


「俺は彼らと仲良くなれたけど……ザラコスは、君は一体どこで何をしていたんだ?」


その言葉に、ザラコスは意地の悪い笑みを浮かべた。


「そうさな。帝国の『ちっちゃな』貴族様方に、頭と尻尾をペコペコ下げてたよ。想像しただけでつまらなさそうだろ?想像の十倍はつまらんがね」

「それは大変だ。いや、本当に」


アドリアンは同情するような、しかし微かな笑みを浮かべて言った。

小柄なドワーフの貴族たちに頭を下げる巨大なリザードマンの姿は、いかにも不釣り合いだ。

その上、今度は森林国の使者まで来てしまい、更なる社交辞令に追われることになるわけだ。


「まぁでも、もう少しの辛抱さ。あと少しで、『偉大なる』四公爵様方の支持を得られそうなんだ。君の退屈な日々も、もうすぐ終わるよ」

「四公爵、か」


ザラコスは尻尾を揺らしながら、ゆっくりと後ろを振り返る。

そこにはメーラと和やかに談笑するシェーンヴェルの姿。そして眼下では、エルフの商人相手に「その人形、全部買おう」と途方もない提案をしているザウバーリングの姿が見える。


「……お主が散々怒らせた公爵たちの支持を、こうも簡単に得られるとはな。一体どんな魔法を使ったものか」

「実は俺の会話には特別な魔法が掛かっていてね。相手が誰であろうと、たちまち俺に夢中になっちゃうんだ」


そして、彼はわざとらしく後ろを振り返った。

そこには──一際豪奢な椅子に腰掛けたドワーフの王女、トルヴィアの姿があった。

彼女は頬杖をつきながら、むすっとした表情でアドリアンを睨み付けている。


「ほら、ご覧の通り。トルヴィア姫も、俺を熱い視線で見つめていらっしゃる」

「いや……」


ザラコスは尻尾を揺らしながら、冷や汗を浮かべるように言った。


「儂には、殺意に満ちた視線に見えるのだが……」

「そんな馬鹿な。どう見ても、姫は俺に夢中じゃないか。ほら、今にも求婚されそうな勢いだよ」


アドリアンの軽口に、トルヴィアは表情一つ変えることなく、氷のような声で返す。


「機計公を手玉に取り、鋼鉄公を扇動して『鋼の祭典』で派閥同士を争わせる……」


彼女は、まるで敵を値踏みするかのような鋭い瞳でアドリアンを見据えた。


「素晴らしい謀略劇ね。もしかして、ついでに帝国を内乱状態にでもしたいの?」


彼女は意味ありげに視線を巡らせる。貴賓席エリアの両端に陣取る二人のドワーフ──。

機計公ベレヒナグルと鋼鉄公アイゼンである。


「……」

「……」


二人の公爵は互いに背を向け合い、まるで空気すら共有したくないかのような険悪な雰囲気を醸し出していた。


「おい、アドリアン」


ザラコスは困惑したように尻尾を揺らす。


「二人の公爵の様子も気になるが……一体姫に何を言ったというのだ。お主の軽口と同じように、姫との関係も悪化の一途を辿っているようだが」

「さぁねぇ」


アドリアンは意図的に考え込むような仕草を見せ、おどけて言った。


「心当たりと言えば……『是非私と結婚を』とか、『駆け落ちしよう』やら、そんな感じの言葉を投げかけた程度なんだけどなぁ」


その言葉に、ザラコスは完全に引いてしまったような表情を浮かべ、言葉を失ってしまった。

彼の尻尾が、驚きのあまり力なく垂れ下がっている。


「この……!」


アドリアンの言葉に、トルヴィアの頬が怒りで引き攣る。彼女が立ち上がろうとした、その時──

その横に鎮座する巨大な椅子から、皇帝ゼルーダルの苦笑混じりの声が響いた。


「アドリアン……いや、人間の英雄よ」


巨大な椅子に収まった皇帝の巨体が、ゆっくりと動く。


「わしの目の前で娘を口説くとは、いささか配慮に欠けているな。せめて、わしの見えぬところでやってくれんか。それと──」


彼は髭を撫でながら、付け加えた。


「もし駆け落ちするなら、事前に一報くれると助かる。混乱を避けるためにな」

「父上!」


トルヴィアは勢いよく振り返り、キッと父を睨みつけた。


「いえ、陛下!どうか、この男の不埒な戯言にお付き合いなさらないでください!」


皇帝と姫……親子のそんなやり取りを見ていた、ザラコスは肩を竦める。


「お主、本来の目的を見失っていないか?皇族の親子の仲を引き裂くために来たわけではあるまい」

「目的?ああ、そうだった」


アドリアンは艶のある声で、まるで社交界の立ち話でもするかのように返した。


「確か、帝国の高貴な方々全員を俺の虜にすることだったかな?順調に進んでいると思うんだけど」


ザラコスは完全に諦めたような表情を浮かべ、「駄目だこりゃ」と呟く。

そんな会話が交わされてから、暫くの時が流れた時──


「おっと、選手の入場だ……」


巨大な闘技場に、次々と屈強な戦士たちの姿が現れ始めた。

鍛え上げられた筋肉を誇示するように、彼らは堂々と入場していく。その姿に、観客席から大きな歓声が湧き上がった。


──しかし今回は、いつもの『鋼の祭典』とは明らかに様相が異なっていた。


ゴォン、ゴォンという重い足音と共に、巨大な魔導機械兵が闘技場へと姿を現す。

装甲から漏れる青白い魔力の光が闘技場を照らし、シャヘライトの結晶が虹色に輝きを放つ。

戦士の意思を受けて蠢く機械仕掛けの四肢。その様相は、さながら要塞を思わせる。


「おおおおお!」

「魔導機械兵だ!」

「まさか、本当に機械兵が出場するとは!」


古の戦士たちと、新たな時代の象徴である魔導機械兵。

二つの『武』が交わろうとする瞬間に、民衆たちの興奮は最高潮に達していた。


「ふむぅ、そろそろか」


そして、皇帝ゼルーダルが貴賓席の手すりの前に立ち、まるで民を抱擁するかのように大きく腕を広げた。

その瞬間、轟音のように響いていた民衆の歓声が、嘘のように静まり返る。


「皇帝陛下だ……!」

「ゼルーダル様……なんと雄々しいんだ」


三階層分もの高さにある貴賓席に立つ皇帝の姿を、全てのドワーフたちが畏敬の念を持って見上げていた。

公爵たちもまた、厳かな面持ちで姿勢を正す。

いつの間にか席に戻っていたザウバーリングも、凛とした表情を浮かべていた。

エルフの一行も場の空気を読んだのか、いつもは落ち着きのないレフィーラまでが神妙な面持ちで座に着いている。


「我が帝国の民よ!」


皇帝の声が、静寂を切り裂くように響き渡る。


「今日という日を、汝らは永く記憶に留めることになるだろう」


彼は一呼吸置き、さらに声を響かせた。


「太古より、我らは鍛冶神の導きの下、鋼をもって帝国を築き上げてきた。この『鋼の祭典』は、神への捧げ物であり、我らの誇りの顕現」


その言葉が闘技場に轟く中、皇帝は穏やかな表情を浮かべる。


「そして今、我らは新たな時代の入り口に立っている。魔導機械の力と、ドワーフの伝統。相反するかに見えた二つの道が、この闘技場で交わろうとしているのだ」


彼は顔を上げ、貴賓席にいる来賓たちを示すように手を広げた。


「見よ!今宵の祭典には、魔族の姫、人間の英雄、そしてエルフの貴人たちが集っている!これぞまさに、新時代の幕開けを告げる証!」


そして最後に、両手を大きく広げ、力強く宣言した。


「戦え!ドワーフの誇りを賭けて戦え!そして──勝者は、我らの新たな道を示す者となるだろう!」

「では──『鋼の祭典』、開幕を宣言する!」


皇帝の雄叫びと共に、闘技場に轟音が響き渡った。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?