宮殿前の大広場。
天井には無数のシャヘライトが瞬き、その下では身分も地位も関係なく、ドワーフたちが最後の宴を繰り広げていた。
「なんて美しい舞いだ……」
「あぁ、さすが美輝公……」
シェーンヴェルの舞踏が終わると、戦士たちからは惜しみない拍手と歓声が沸き起こった。
純白のドレスに身を包んだ彼女が深々と一礼をする中……。
不意に──。
カツン、カツンという音が響き始める。
「え……?」
「おいおい、まさか」
機械仕掛けの杖を突きながら、機計公ベレヒナグルが広場の中央へと歩を進めていく。
その姿に、戦士たちの間でざわめきが広がった。
「まさか……機計公まで?」
「いやいや、機械のような方に、秘密なんてあるのか?」
「研究室から一歩も出ない人だぞ?」
戦士たちは小声で囁き合う。その目には困惑と好奇心が混ざり合っていた。
ベレヒナグルのモノクルが、シャヘライトの光を受けて不気味に輝く。まるで魔導機械の眼光のように。
その時、場の空気が一変する。
「くっくっく……諸君、実に面白い誤解をしているようだがな。この私も立派な生き物よ。脈だって鼓動だってある。なにより──」
その言葉に、周囲が息を呑む中、ベレヒナグルは意地の悪い笑みを浮かべながら続けた。
「シェーンヴェルのお粗末な舞踏にすら、不覚にも見惚れてしまうほどの感情も持ち合わせているのだ。そう、年齢不詳の輝美公殿のね」
誰もが目を見開いた。あの機械のように厳格な機計公の口から、そんな言葉が飛び出すとは。
なお、「年齢不詳」という言葉が響いた直後、シェーンヴェルの指先から青白い魔法の光弾が放たれたが、ベレヒナグルは機械仕掛けの杖を優雅に回転させ、それを弾き返した。
「おやおや、お怒りか?しかし事実、私にも感情はある。むしろ諸君より豊かな感情を持ち合わせているのかもしれんよ?」
ベレヒナグルは酔いで赤くなった顔を隠すように、モノクルをくいっと持ち上げた。
その仕草には、普段の機械的な正確さはどこにもない。
「例えば……婚約者に逃げられてしまった時は、流石の私も落ち込んだものだ。どうやらモノクルが歪んでいて、愛が計算できると思ったのが間違いだったようでね。まぁ、その事実に気付くのに5年もかかってしまったが」
その告白の後、一瞬の静寂が訪れる。
そして──。
「ぎゃーはっはは!なんだとぉ!?機計公が婚約者に逃げられただとぉ!?」
「そりゃあ無理だよなぁ!愛なんて計算式で表せるわけねぇだろ!」
「5年も気づかなかったのかよ!さすが機械オタクだぜ!」
戦士たちの笑い声が大広場に響き渡り、シャヘライトの光まで揺らすほどの爆笑の渦が巻き起こった。
「ふふ、笑うのはまだ早い。婚約者からの最後の言葉を聞いてからにしたまえ」
ベレヒナグルは杖を軽く叩きながら、意地の悪い笑みを浮かべる。
「『貴方の愛情指数は、私の許容範囲の下限を大きく下回りました。そんなに計算がお好きなら、どうぞ計算機とでも結婚なさってください。さようなら』──実に美しい別れの言葉だと思わんかね?」
その瞬間、大広場は割れんばかりの爆笑に包まれた。
今度の笑いの渦は、今までで最高潮だ。どうやらこの笑いも『計算』されていたことらしい。
「あの時は女性不審になってしまってねぇ。それからだよ。毎晩、魔導機械に愛の言葉を囁くようになったのは」
「……」
アドリアンは街灯に寄りかかったまま、その光景を静かに見つめていた。
普段は感情さえも数式で表そうとする機計公が、こんな風に自らを嘲笑の的にするなんて。
──いや、もしかするとこれこそが本来のベレヒナグルの姿なのかもしれない。
魔導機械への執着が、彼の温かな素顔を覆い隠していたのだろうか。
それが良いことなのか悪いことなのか、アドリアンには判断できない。
ただ、魔導機械に心を奪われた科学者としてのベレヒナグルも、今夜のような人間味溢れる姿も、どちらも嫌いではなかった。
そんなことを考えていると──。
「がははは!貴様ばかり注目されてずるいではないか!ワシも混ぜてもらおうぞ!この鋼鉄公アイゼンをな!」
豪快な声が響き渡る。
戦士の棟梁、鋼鉄公アイゼンが、千鳥足で広場の中央へと歩み出てきた。その灰色の長い髭には、無数の勲章が煌めいている。
彼は不安定な足取りでベレヒナグルに近づくと、豪快に肩を組もうとした。が、ベレヒナグルは優雅にそれをかわし、アイゼンは空を切ることになった。
普段は寡黙で厳格な戦士の長が、ドワーフらしい豪快な笑い声を響かせたことで、大広場の興奮は最高潮に達していた。
「鋼鉄公様も秘密をお持ちだったとは!」
「さぁ、早く聞かせてくれぇ!アイゼン様の武勇伝を!」
戦士たちの期待に満ちた声が飛び交う中、アイゼンは赤く染まった顔で豪快に笑う。
「なぁにぃ……?ワシの話が聞きたいと?ふぉっふぉっ、よかろう。そんなに聞きたいのなら特別に教えてやろうぞ!」
アイゼンは声を張り上げると、手にした酒瓶をドンッと地面に叩きつけた。
「昔のことじゃ。大軍を率いての決戦の最中、突如として腹痛に襲われてのう。皆が命を賭して戦っているその時に、ワシは──おっと、ここまでにしておこうかの」
「ぎゃーはっはっは!なんてことだ!」
「鋼鉄の意志を持つ将軍様も、自然の呼び声には勝てなかったってわけか!」
戦士たちの爆笑が、大広場に轟々と響き渡る。
勲章の輝く髭を揺らしながら、アイゼンもまた豪快に笑い声を上げていた。
「ふむ……それだけかね?アイゼン卿。『鋼鉄の意志』を持つお方の秘密としては、いささか物足りないのだが」
ベレヒナグルは不満げに言った。どうやら注目の的をアイゼンに奪われたことが気に入らないようだ。
「なにぃ!?まだまだあるわい!敵陣に忍び込もうとした時のことじゃ!落とし穴に落ちてしまってのう……一晩中助けを呼んでも誰も来やしない!『誰かー!この穴から出してくれーっ!』って叫び続けたのじゃ!」
「あの大将軍様が、穴の中でぶつぶつ独り言を言ってたってのかよ!一日中笑い転げていられそうだぜ!」
「敵に見つからなくて良かったですね!見つかったら大笑いされてたでしょうよ!」
戦士たちの笑い声が、更に大きくなっていく。
ベレヒナグルは、アイゼンの話に耐えられなくなったのか、意地の悪い笑みがついに崩れ、吹き出してしまう。
しかし、すぐに悔し気な表情を浮かべ、自分も負けじと告白を始めた。
「くっ……!では、この話はどうだ!?半年前の帝国財務の大混乱、あれは私の手違いだ!導計算機の小数点がズレただけで、表記上の国庫の半分が消えかけてしまったのだ!」
ところが、その告白に戦士たちの表情が一変する。
先ほどまでの酔った顔が、水を掛けられたかのように引き締まった。
「いや、そりゃ笑えねぇ話ですぜ……」
「おい、あの混乱の犯人、機計公だったのかよ……」
「俺の給料が遅配になったのも、そのせいだったってのかよ……」
ブーイングが場を包む中、ベレヒナグルは慌てて言い繕おうとする。
「い、いやしかし……!あれは既に回収済みの金額で、実害は……!」
しかし──。
「がははは!いいじゃねぇか!そういう失敗こそが、貴様が生きたドワーフだという証だろう!誰にだって過ちはある。機械じゃあるまいし、な!」
アイゼンが豪快な声で笑うと、ベレヒナグルの肩に腕を回した。
今度はベレヒナグルも、その荒々しい肩組みを拒むことはしなかった。いつもの冷徹な表情とは打って変わって、少し照れくさそうな表情すら浮かべている。
「機計公も失敗するってことは、やっぱり俺たちと同じ生身の人間なんだな!」
「がはは!こんな話が聞けるなんてよ!やっぱり宴ってのはいいもんだ……!」
戦士たちは納得したように頷き、再び笑顔を取り戻していく。
「……」
アドリアンは、肩を組んで笑い合う二人の公爵の姿に見入っていた。
それは彼にとって、光輝く宝物を見るかのように、尊く美しい光景だった。
(──そうか。誰もが一つの命なんだ。高慢な貴族も、厳格な将軍も、冷徹な科学者も……みんな、生きた心を持つ存在なんだ)
最初、ベレヒナグルやザウバーリングのような高慢な貴族たちを見た時、アドリアンは彼らを理解することができなかった。
しかし、それは表面からは見えなかっただけ。彼らもまた、喜びや悲しみ、時には失敗や恥ずかしい思い出を抱えた、かけがえのない命なのだ。
アドリアンは街灯に寄りかかったまま、静かに微笑んだ。
シャヘライトの優しい光の下で、笑顔で過ごす者たちの姿に、深い愛おしさを感じながら。
この夜の思い出は、永遠に彼の心に刻まれることとなる──。
♢ ♢ ♢
「……なんて景色だ」
ドワーフの戦士の呟きが、地上の風に溶けていく。
ようやく地上に出れたアドリアン率いる帝国軍を迎えたのは、想像を絶する光景だった。
大地には黒い絨毯を敷き詰めたかのように魔族の大軍が広がり、その数は地平線の果てにまで続いている。
空には深紅の雲が渦を巻き、血に染まった天空はアドリアンたちを威圧するように佇んでいた。
「……」
アドリアンは静かに頷いた。振り返れば、そこには地下へと続く通路がある。今この時も、二人の公爵が僅かな手勢と共に、魔族の追撃を食い止めている。
シェーンヴェルの放つ魔法の光と、ザウバーリングの魔導リングの輝きが、今もなお地下で煌めいているのだろう。
(二人の犠牲があって、俺たちはここまで来れた)
アドリアンの瞳に、決意の色が宿る。
魔族の大軍が放つ威圧的な気配の中、彼は剣を掲げ、ドワーフの軍勢の前に立った。
「──素晴らしい眺めだね」
アドリアンはそう言った。絶望的な光景を前に、新たな夜明けでも見るかのように。
その余裕さえ感じさせる声音に、ドワーフたちは一瞬呆けたような表情を浮かべる。
しかし、すぐに彼らの表情が緩んだ。
そうだ、この英雄はいつもこうだ。どんな絶望的な戦場でも、まるで祝宴にでも向かうかのような軽やかさで、希望という光を灯してくれる存在。
「へっ、確かによ」
豪快な戦士が笑みを浮かべる。
「こんな素敵なパーティに招待されるなんて、俺たち、なんて幸せ者なんだろうな」
「そうだぜ。魔族どもと踊り明かせるなんて、こんな光栄な事はねぇよ」
彼らの声には恐れはなかった。むしろ、これから始まる壮大な宴へと向かうような昂揚感すら漂っている。
「俺がいる限り、誰も死なせたりしない。だって、奥さんや子供たちが泣いちゃうだろ?それに君たちが死んだら、俺が葬式代を払わなきゃいけなくなるしね」
アドリアンの言葉に、戦士たちは優しい微笑みを浮かべた。
なんという甘い言葉だろう。なんという理想に満ちた、若者らしい言葉だろう。
それは彼がまだ若く、すべてが叶うと信じているからこそ、口にできる言葉。
しかし、アドリアンには気付けない。
戦士たちの瞳の奥に浮かぶ、諦めにも似た慈しみの色に。大切な若者を見守る親のような、優しい光が宿っていることに。
「さて、アドリアン。無駄口は以上だ。そろそろ行こうではないか」
ベレヒナグルが冷静な声で告げる。
彼は精巧な魔導兵装に身を包み、遥か先の一点を見据えていた。
狙いは軍を率いる敵大将の首級──それを手に入れることができれば、この窮地からの生還も夢ではない。
彼らはその一縷の望みに全てを賭けようとしていた。
「ベレヒナグル。そんな重そうな玩具で、本当に俺の速度について来られるのかい?俺は機械なんかより、生身の皆の方が好きなんだけどな」
その言葉に、ベレヒナグルを含むドワーフの兵士たちは一瞬の沈黙を見せた。
彼らの表情には、何か言いたげな色が浮かぶ。まるで、大切な者を見送る時のような、切なさを帯びた表情。
「余計な心配はいらん。我らが魔導機械の力と、ドワーフの意地、その両方を存分に見せてやろうではないか。魔族どもにも──そして、英雄の驕りにもな」
その言葉の裏に隠された意味に、アドリアンは気付くことができなかった。
まだ若すぎた英雄には、彼らの覚悟を理解することはできなかったのだ。
「行こう。みんな」
アドリアンは、静かに剣を掲げた。
その剣は夜空の星々を閉じ込めたかのように、青い輝きを放っている。
「──キミの力を借りるよ。さぁ、俺たちの道を照らしてくれ。この絶望の闇の中で、希望という光となって」
アドリアンの祈りのような言葉と共に、剣身が青白い光を放ち始める。
その神々しい輝きは、魔族の放つ深紅の雲を押し退けるかのように、暗闇を切り裂いていく。
「アドリアンに続け!」
「英雄と共にっ!」
ドワーフたちの雄叫びが大地を揺るがす。
その声には恐れも迷いもない。ただ、英雄と共に戦場を駆ける誇りだけが、満ち溢れていた。
剣の放つ青い光の下で、アドリアンと戦士たちは、運命の戦場へと足を踏み出していった──。