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第八十五話

アドリアンの剣が放つ青い光は、暗闇を切り裂いて伸びていく。

戦場には無数の魔族の亡骸が転がっていた。倒れた者たちの額には、その強さを示す巨大な角が生えている。

周囲には破壊された魔導機械兵の残骸も散らばっており、ドワーフたちは死も恐れずに、果敢に突撃している──。


「雑魚は無視しろ! 狙いは英雄アドリアン、遠距離から魔法で力を削ぐのだ!」


魔族の指揮官が、鋭い声で指示を飛ばす。

その声は戦場に響き渡り、魔族たちの動きを一変させた。


「!」


その言葉に反応したのは後方に控えていた魔族の魔法使いたちだった。

彼らは額から伸びる角に魔力を集中させ、様々な魔法を放ち始めた。その魔法はアドリアン一人に集中するように四方八方から襲いかかる。


「はぁーっ!!」


一つの魔法を消し去っても、間髪入れずに次の魔法が降り注ぐ。

尽きることのない雨のように、魔法の攻撃は止むことがなかった。


「くっ……!」


このままでは敵の大将にたどり着くまでに、体力と魔力を消耗してしまう。

アドリアンの持つ英雄の加護、「魔力炉心」によって魔力が底をつくことはないが、それでも相手が相手だ、魔力は常に最大に保っておかなければならない。


(どうする……?)


アドリアンは、心の中で自問自答する。この状況を打開する方法はあるのか。


──その時だった。


再び、空から降り注ぐ魔法の雨。

深紅の光が視界を覆い隠すように、アドリアンの視界を埋め尽くしていく。


(迎撃するしかない!)


剣に魔力を込め、振り上げようとしたその瞬間。


「──え?」


アドリアンの前に、魔導機械兵たちが盾となるように次々と飛び出してきたのだ。


「ぐ……おおぉぉぉ!!!」


──機械兵から聞こえる叫び声。そして轟音と共に魔法の奔流が彼らを呑み込んでいく。

装甲が弾け飛び内部機構が露わになり、そして搭乗しているドワーフの戦士ごと、魔法の光に身を焦がす。


「──」


その光景をただ呆然と見つめていた。

思考が停止し感情が麻痺したように何も感じることができなかった。


しかし、魔法の雨は止むことを知らない。

次々と降り注ぐ魔力の奔流に、更なる魔導機械兵が盾となって立ちはだかる。


呆然と立ち尽くすアドリアン。

しかし、戦士たちの最後の瞳と機械兵の爆発音を聞き、半ば本能的に前へと足を進め始める。


「な、なんで……!?」


アドリアンの胸中は激しく波打っていた。

その間にも、魔導機械兵たちは次々と深紅の魔法に身を投げ出していく。

アドリアンを守るように、その命を盾として差し出しながら。


(──)


アドリアンはそこでようやく悟った。

魔族の大軍に向かって突撃する前、彼らが見せた穏やかな笑みと、すべてを託すような瞳の意味を。

そうだ、あの時からもう、彼らは覚悟していたのだ。


──命を投げ出してでも英雄を前へ進ませる、その決意を。


理解が胸を貫いた瞬間、アドリアンの瞳から熱いものが溢れ出る。

剣の力を解放し、視界にある全てを薙ぎ払えば、戦士たちの命を救えるかもしれない。

だが、そうすれば「奴」との決戦前に魔力が枯渇してしまう。


「くそ……くそっ!!」


葛藤と悲しみに胸を掻き毟られながら、アドリアンは前へと疾走を続ける。


しかし、その時……アドリアンたちの頭上の天空に、不穏な兆候が現れた。


「な、なんだあれは……!?」


深紅の雲が、まるで渦潮のように回転を始める。

その中心で禍々しい魔力が収束していき、やがてそれは太陽をも凌駕するほどの光球となって輝き始めた。


「あ、あれは……『煉獄天焼』!?あの御方が殲滅魔法を……!我らまで消し飛ぶぞ!撤退せよ!」


魔族たちの恐怖に震える声が響く中、アドリアンは頭上の悍ましい光景に目を見開いた。

あれは、迎撃せざるを得ない!今度こそ魔力を解放しようと、アドリアンが剣を掲げた瞬間。


──アドリアンの肩に、手が置かれた。そこにいたのは、ベレヒナグルであった。


「だめだ。今はその時ではない」


アドリアンの肩に置かれた手には、かすかな震えが混じっていた。

振り返ると、ベレヒナグルのモノクルの奥には、諦めと覚悟が綯い交ぜになったような色が浮かんでいる。


「若き英雄よ。貴方の力は、もっと先で必要になる。ここで使い果たしてはならない」

「ベレヒナグル!でも──」


アドリアンの声が震える。しかし、ベレヒナグルは静かに首を振った。


「私の最後の仕事を、邪魔しないでくれたまえ」


彼は機械仕掛けの杖を掲げ、周りの魔導機械兵たちに向かって静かに呟く。


「さて、私の可愛い機械兵たちよ。戦士たちよ。最後の実験に付き合ってもらおうか」


その声には、もはや以前のような冷たさはなかった。愛する者たちとの最期の時を共に過ごそうとするかのような、温かさだけが込められていた。


「ベレヒナグル──!」

「おいおい、いつも笑ってるのがお前さんのいいとこだろ?そんな顔してくれるな」

「俺たちゃ地底のモグラだ。せめて死ぬ時くらいは、空を飛んでみたかったのさ」


ベレヒナグルに続こうとする魔導機械兵の中からは、もはや諦めに似た笑いさえ漏れている。

まるで、自らの最期を心待ちにするかのように。


「み、みんな何を言ってるんだ!もう、誰も死なせ──」

「アドリアン」


ベレヒナグルは珍しく、アドリアンの名を呼んだ。


「人は時に、理不尽な世界で理不尽に生き、そして理不尽に笑うものなのだよ」

「え……?」


その時ベレヒナグルの瞳に浮かんだ笑みは、これまでアドリアンが見たことのないほど温かく、人間味に満ちていた。

シャヘライトの結晶が次々と輝きを放ち、巨大な翼のような装甲が彼の背中から生え出す。青い光を纏った魔導機械兵たちもまた、主に従うように飛翔ユニットを展開させていく。


「やめろ!やめてくれ!」


アドリアンの言葉を聞くことなく、青い光の奔流となって、ベレヒナグルと魔導機械兵たちは天空へと飛翔していった。


「──」


アドリアンが踏み出そうとした瞬間、鋼の壁のように、アイゼンが立ちはだかる。

言葉はない。

アイゼンの瞳に映るものは、同志を失う痛みと、それでもなお前へ進まねばならぬ覚悟――その全てが、アドリアンの心を縛り付けた


一瞬の静寂──。


そして、天空が砕けた。

ベゼルヴァールの魔法と、魔導機械兵たちの青い光が激突する。

深紅と青白の光が渦を巻き、新たな星が生まれるかのような眩い閃光が夜空を染め上げた。

轟音と共に、魔導機械兵の青い光が四散していく。


「どうして……」


ベレヒナグルの最後の言葉。

その真意を、まだ若すぎたアドリアンは理解できなかった。

世界の理不尽さに抗い、誰も死なせないと誓った英雄には、この言葉の重みを受け止めることはできなかったのだ。


その時、怒りに震える声が響いた。


「アドリアン!!油断するなぁーっ!!」

「!」


アイゼンが咆哮を上げる。


戦場の彼方から黒紫の魔力が渦を巻いて襲来する。それは生命そのものを朽ち果てさせる呪いの嵐だった。

死の気配を帯びた濃霧が、まるで意思を持つかのように蠢きながら、アドリアンへたちへと襲い掛かる──。


「『冥府の霧』だ!剣など振るうな!あの魔法に触れれば、英雄の加護を持つ貴様とて、魂まで蝕まれるぞ!」


アドリアンを押しのけるようにして、アイゼンは既に突進していた。

冥府ノ霧は味方も敵も分け隔てなく襲い掛かる。魔族たちは自らの放った魔法に呑み込まれ、黒紫の靄に全身を腐食されていく。甲高い悲鳴を上げながら、彼らの肉体は朽ち果て、骨と化した。


「ベ、ベゼルヴァーツ様……わ、我々まで巻き添えに……がはっ!」


アイゼンもまた例外ではない。装甲の隙間から侵入した霧が彼の肉を蝕み、筋肉を腐らせていく。

だが、なおも前進を止めない。倒れゆく魔族たちの死骸を踏み越え、朽ち果てていく腕で大槌を振り上げる。


そして、死の靄に包まれた戦場の向こうに、ついにあの禍々しい姿が見えた──。


──深い闇を纏った巨大な存在。


荘厳な黒紫のローブは、深淵そのものを織り上げたかのような重みを持ち、その裾からは禍々しい魔力が渦を巻いている。

銀灰色の長い髭を蓄えた老人の姿だが、その瞳の奥には、残虐な魂の重みが宿っていた。

奴こそが、魔王の右腕にして魔王軍の実質的支配者──魔大公ベゼルヴァーツ。


(──見つけた!あの男が、全ての元凶……!奴を殺せば、全てが終わる──)


アイゼンの瞳に決意の色が宿る。

全身を貫かれた傷からは血が滴り、鎧は粉々に砕け散っていたが、その意志だけは微塵も揺らいでいない。


「我が『煉獄天焼』を耐え凌ぎ、『冥府の霧』を進んでくるとは。虫ケラの生命力は、実に愉快──」


悍ましい声が響くと同時に、老魔族ベゼルヴァーツの掌がかざされる。


「!?」


それだけ。たった一つの仕草だけで、禍々しい魔力の波動がアイゼンを襲い始める。


「ぐっ……おぉぉぉぉぉ!!!」


巨体は呪いに蝕まれ、黒く腐敗した肌が剥落していく。露わになった筋肉は紫がかった壊死色を帯び、その下の骨までもが朽ちかけている。


しかし、アイゼンは決して後ずさらない。

一歩、また一歩と前へと進んでいく。

腐食した指で必死に大槌を握り締め、今にも崩れ落ちそうな体を奮い立たせながら、ベゼルヴァーツへと近づいていった。


「退かぬ……ベレヒナグルの死を、無駄に、せん……!!」


そして、ついにアイゼンの槌が届く距離にまで踏み込んだ。


「この槌に込められた、我が同胞の魂を受けるがいい!ベゼルヴァーツ!!」


吹き荒れる魔力の中、アイゼンは渾身の力を込めて巨槌を振り下ろす──。


だが。


「なっ……」


アイゼンの瞳が見開かれる。

名工ドルヴァインが魂を込めて打ち込んだ巨槌。幾多の戦場を駆け抜けてきた誇り高き武具。

──それは、ベゼルヴァーツの細い指一本で、子供の玩具でも止めるかのように、易々と押し止められていた。

アイゼンの腕が震える。その光景は、彼の戦士としての誇りを根底から覆すものだった。


「わざわざ余興を見せに来てくれるとは下等なる種族も、それなりの気が利くものよ。だが──」


ベゼルヴァーツの口元が、残虐な笑みを形作る。


「見世物として、死に様も心得ておかねばな。最期くらいは優雅に舞ってみせよ」


ベゼルヴァーツはもう片方の手を上げ、塵を払うかのような仕草で魔力を解き放つ。

その一撃は、アイゼンの体を粉々に砕き、周囲の空間ごと消し去っていった。


アイゼンの持つ大剣が、巨槌が、禍々しい魔力に飲まれ、硝子細工のように砕け散っていく。

装備の一つ一つに、刻まれていた誇り高き物語と共に。

無残な姿となった老将軍の体は、壊れた人形のように地面を転がっていった。


「がっはっ……」


腐敗した肺から黒い血を吐き出しながら、アイゼンは震える。

蝕まれた肉体は、もはや人の形を留めているのが不思議なほどだ。

しかし、朽ち果てた顔に、アイゼンは勝者の笑みを浮かべた。


「くっくく……ベゼルヴァーツよ、ワシのような老いぼれに、構ってくれて感謝するぞ」

「……なに?」


壊死した指が、ゆっくりと背後を指し示す。

ベゼルヴァーツの血走った瞳が、その先を捉えた瞬間──青い光が閃いた。アドリアンが、稲妻のような速さで迫っていた。

アイゼンとの戦いに気を取られ、冥府の霧の術が途切れていることに、老魔族は今気がついたのだ。


「アイゼン!!」


アドリアンが駆け寄った時には、もう遅すぎた。

蝕まれたアイゼンの肉体は、もはや原形を留めていない。腕一本を残して四肢は腐り落ち、頭部すら半分が朽ち果てていた。無残な姿となった老将軍を、アドリアンは震える手で抱き上げる。


「ふ、ふふ……良かった。お前には……霧がかからなんだな……」


腐食した唇から、かすかな、しかし確かな満足の声が漏れる。


「これで、ワシの役目は……果たせた。お前ならば、あの悪魔も……」

「アイゼン、もう喋るな」


アドリアンの声が震える。

目の前で、また一人の戦士が散ろうとしている。ベレヒナグルに続いて、今度はアイゼンまでもが。


「これでベレヒナグルのやつめも、無駄死には……がっ……!?」

「──!」


その言葉は最後まで紡がれることはなかった。

ベゼルヴァーツの指先から放たれた死の魔法が一閃と空気を切り裂き、アイゼンの胸を正確に貫いていた。


「お……おぉ……たのむ……奴だけは……絶対……に……」


老将軍は最後の執念で、片腕を震わせながらベゼルヴァーツを指差す。

その瞳には、最期まで戦士としての意志が灯っていた。

しかし、その光も徐々に消えていき──やがて、その腕からも力が抜けた。


「なんと見苦しい最期。これでは、余の興も削がれるというものよ。──どうだ、アドリアン?お前の目の前で、モグラが腐って息絶えた様は?」


アドリアンは静かに、アイゼンの瞳から零れ落ちた涙を指でぬぐい取る。

そして、ゆっくりと立ち上がった。


「──あぁ、そうか」


アドリアンの持つ剣が、これまでにない青白い輝きを放ち始める。

それは散りゆく命の光のように儚く、しかし確かな力を宿していた。


「この光は俺一人の力じゃなくて……みんなの想いだったのか──」


ベレヒナグルの最期の輝き、戦士たちの献身、そしてアイゼンの変わらぬ誇り。

それらの想いが、まるで星屑のように剣へと集まっていく。


「むっ……?」


邪悪なる老魔族の目が細まる。

アドリアンと剣が織りなす光景には、もはや人知を超えた何かが宿っているように見えた。


「ベゼルヴァーツ!!お前を今、ここで、打ち砕くっっ!」


それは今までに見たことのないほどの輝きで、夜空の星々が地上に降り立ったかのように戦場全体を照らし、深紅の闇を押し返していく。

そして──魔大公ベゼルヴァールの口元が歪に吊り上がった。


「忌々しい光を放つ『星の涙』め。良いだろう。その力、余が直々に受け止め、そして打ち砕いてくれようぞ」


戦士たちの命が消えた戦場で、光と闇が、今まさに激突しようとしていた──。




♢   ♢   ♢




──アドリアンの意識はゆっくりと現在へと引き戻された。


うっすらと瞼を開くと、目の前でアイゼンとベレヒナグルが、昔からの親友のように笑い合っている光景が広がっていた。


(ベレヒナグル……あの時は貴方の言葉の意味が分からなかった。でも、今なら理解できる)


人は時に、理不尽な世界で理不尽に生き、そして理不尽に笑うもの──。

理不尽な現実に翻弄され、それでも人は笑って生きていく。その強さと、そして儚さこそが、最も尊いもの。

だから、彼は笑えと言った。笑い続けろと言ったのだ。


──そんな時。


「GRRRRRRR!!!」


轟音と共に地面が揺れ動き、先ほど倒したはずの巨大シャドリオスが、禍々しい咆哮を上げて蘇る。


「な、なんだと!?」

「くそっ、まだ生きていたか!」


アイゼンとベレヒナグルが戦闘態勢を取ろうとする中、アドリアンはただ「ん~?」と首を傾げ、意地の悪い笑みを浮かべた。


「まったく。ゴミはちゃんと処理しないとね。環境美化のために」


アドリアンは意地の悪い笑みを浮かべながら、ゆっくりと指を鳴らした。

その瞬間、巨大シャドリオスが青白い炎に包まれた。


「Gyaaaaa!?」

「──掃除は完璧に……ねっ!」


瞬間、アドリアンの拳が閃光となって巨体を貫く。

シャドリオスの漆黒の体が、砕け散り、青い光の中で塵となって消えていった。


「「「…………」」」


その場にいた人々は何が起こったのか理解できず、ポカンと口を開けたまま呆然とその光景を見つめていた。

しばらくの沈黙の後、アイゼンがポツリと呟いた。


「……おい、弱点は頭じゃなかったのか?」


ベレヒナグルはアイゼンの視線を受けて、ムッとした表情を浮かべた。

そして不機嫌そうに、いつもの皮肉気な口調で言い返した。


「……頭を狙わずとも容易く消し飛ばせる。ただ、非力な戦士たちの為に、効率的と思える助言をしたまでだが? 」

「な、なんだと……!?貴様の指示が悪かったせいで、我が戦士たちの動きが鈍ってただけだ!」

「私の指示は完璧だ。計算通り動かなかった戦士たちが悪い」

「大体貴様は──」

「大体貴殿は──」


そんな中、アドリアンは優しげな瞳、口論を続ける二人を見つめていた。彼の表情には微笑みさえ浮かんでいる。


(仲がいいな、貴方たちは。本当に──)


二人の延々と続く口論を、アドリアンは幸せそうな笑顔で見つめていた。


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