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第八十六話

青白いシャヘライトの光を湛えた地下帝国の宮殿前。

本来ならば、帝国民の誇りと安らぎの象徴たる大広場は、今や阿鼻叫喚の戦場と化していた。


「Grrrrrrr……!」


黒い影が地面から染み出すように這い出てくる。

人の形を模しながら決して人とは呼べない漆黒の兵士たち。獣の姿を借りながら、自然界の生き物とは思えない禍々しい化け物たち。


「また新手か!?どこまで湧いて出る気だ!」


帝国の近衛兵たちが魔導機械兵を駆使して応戦するも、一体のシャドリオスを倒せば、その影から新たな個体が生まれ出でる。


「第三層からも大規模な反応!」

「第五層の防衛線が破られました!」


魔導通信機から次々と悲痛な報告が飛び交う。大広場だけではない。帝都の全域、全ての階層で漆黒の軍勢が湧き続けていた。

まるで……帝国の心臓部に、底なしの闇が根を張ったかのように──。


「各層からの通信が途絶え始めております!地下帝国の全階層で、シャドリオスの大量発生を確認!このままでは……!」


通信装置からの声が途切れた瞬間、天井から一際大きな影が降り立つ。

三階建ての建物ほどもある巨大な漆黒の獣が、その牙を剥き出しにしながら咆哮を上げる。


「gyaaaaaaa!!!!」


悲鳴が響き渡る広場で、兵士たちは巨大な異形の獣を前に足が竦んでいた。

いや、竦むのも当然だろう。悍ましい巨体。漆黒の体毛からは禍々しい靄が立ち昇り、その瞳は血に飢えたような赤い輝きを放っている。


「あ、あんなもの……どうやって倒せば……!」


帝国兵たちが恐怖に震える中、魔導機械兵だけは果敢に突撃を続けていた。

感情を持たぬ鋼の戦士たちは、死を恐れることなく巨大なシャドリオスへと襲いかかる。


「Gii!!」


だが、巨獣が前足を振るった瞬間、紙細工のように魔導機械兵たちが引き裂かれていく。

鋼鉄の装甲が木っ端微塵となり、シャヘライトが砕け散る。炸裂する爆発の中、何体もの機械兵が破壊されていった。


「う、嘘だ……魔導機械兵が、一撃で……!」


戦慄が兵士たちの間に広がっていく。

帝国最強の兵器と謳われた魔導機械兵すら、あの巨獣の前では子供の玩具のように脆かった。

巨獣の咆哮が轟き渡る。その声に呼応するように、更なる漆黒の影が地面から這い出してくる。

誰があんな化け物を止められるというのか──。


しかし、帝国軍には退路などない。

彼らの背後には宮殿があり、その中には皇帝陛下と避難してきた民たちがいる。一歩でも後退すれば、あの悍ましい獣が宮殿を襲うことは火を見るより明らかだった。


「くっ……どうすれば……!」


戦士たちが狼狽える中、一筋の閃光が戦場を切り裂いた。


「──戦士たちよ!私に続け!」


轟音と共に、赤い光が戦場を切り裂いた。

凛とした雄叫びが響き渡る中、一人の姿が宙を舞う。

小柄ながらも気品に満ちた体躯。彼女の手には、少女とは思えぬほどの巨大なウォーハンマーが握られていた。

──帝国の誇り、皇姫トルヴィアである。


「はぁーっ!」


トルヴィアの雄叫びと共に、巨大なウォーハンマーが優雅に舞う。

その動きは重量感を感じさせない程に軽やかで、大柄な武器とは思えない程の華麗な軌道を描きながら、次々と敵を薙ぎ払っていく。

小型シャドリオスたちは、木の葉のように吹き飛ばされ、闇の粒子となって消え去っていく。


「トルヴィア様!」

「皇姫様の御剣となれ!帝国の誇りにかけて、姫様をお守りするのだ!」


彼女の勇姿に、帝国軍の士気は一気に最高潮に達する。戦士たちは恐れを忘れ、皇姫の後に続いて突撃していった。

その様子を見届けながら、トルヴィアは巨大な獣型シャドリオスを見据えていた。


「あの化け物は、一体──」


呟きながら、彼女は考えを巡らせる。

シャドリオス。これまでにも度々帝国の領内に姿を現し、民を襲っては消えていった謎の存在。

今までこれほどの大規模な襲撃も、あのような巨大な個体も見たことがない。


しかし、今はそんなことを考えている暇などなかった。

目の前の化け物を倒す──それだけが今の彼女に課せられた使命。

トルヴィアはウォーハンマーを力強く握り直すと、大地を蹴る。


「行くぞっ!!」


轟音と共に突き進む赤い閃光。それは彗星のように、一直線に巨大なシャドリオスへと向かっていく。

漆黒の獣が前足を振り上げ、襲い掛かってくる。

しかし──。


「くらいなさい!」


トルヴィアの持つウォーハンマーが、真紅の炎に包まれた。

灼熱の渦が彼女を中心に巻き起こり、戦場全体を焦がすような熱気が広がっていく。

これこそが彼女の加護──『炎の戦乙女』。

戦闘中、武器に灼熱の炎を纏わせ、凄まじい破壊力を付与する力。燃え盛る業火は敵を焼き尽くし、その範囲は広場全体をも覆い尽くすほどだ。


「giii!?」


灼熱の一撃が巨獣の頭部を直撃する。

真紅の炎が漆黒の体表を焼き尽くし、轟音と共に獣が悲鳴を上げる。

凄まじい一撃だ。だが……。


「──くっ、まだ生きてる……!?」


渾身の一撃を放ったというのに、巨獣は健在だった。その漆黒の体からは、むしろ更なる禍々しい靄が立ち昇っている。


「……!」


その時、巨獣が大きく口を開いた。

まるで暗闇そのものが口を開けたかのような漆黒の咢。そこには幾重もの牙が並び、トルヴィアを一息で貫こうとしていた。


しかし──。


「gyaaaaa!?」


突如として、一筋の光が巨獣の口内へと吸い込まれる。

それは弓矢──だが、通常の矢などではない。

空間そのものが歪むほどの魔力を帯びた一矢が、巨獣の体内で炸裂した。


トルヴィアは弓矢の飛来した方向を見上げた。

そこには一人のエルフの少女が、凛とした佇まいで佇んでいた。

レフィーラ──森林国が誇る『守護者』の姿だった。


「トルヴィアちゃん!大丈夫!?」


純真な声が響く。その手に握られた魔法の弓こそが、エルフの最高戦力『守護者』の証。

普段は天真爛漫な少女だが、戦いとなれば一転して鋭い眼差しを見せる彼女の真骨頂だ。


「……ありがとう、助かったわ!」


トルヴィアは心からの笑顔で応える。

かつてならば、エルフという仮想敵の力を前に警戒を強めていたはずだ。しかし今は違う。レフィーラの純真な心と確かな力を知った今、彼女の存在は何よりの心強さだった。

トルヴィアが着地すると、レフィーラが駆け寄ってきた。金色のポニーテールを揺らしながら彼女は状況を説明する。


「全方位からシャドリオスが湧き出てきてるけど……ザラコスさんや、ケルナたちがなんとか撃退してるよ!」

「そう……貴女たちがいてくれて、本当によかった」


トルヴィアは心からの安堵を込めて答える。

しかし、その瞳には深い憂いの色が浮かんでいた。


──シャドリオスたちの動きが、明らかに変わってきている。


最初は無差別な破壊行動を繰り返すだけだったのが、今では皇帝と民が避難している宮殿に向かって、まるで吸い寄せられるように集結し始めていた。

もはや盲目的な破壊衝動ではない。明確な殺意を持って、宮殿を目指しているのだ。


「それにしても、今の大きなオオカミみたいなシャドリオス……初めて見た」

「……私もよ」


これだけ大規模な襲撃も、新種のシャドリオスの出現も、全てが前例のない事態だった。


(一体、何が起きているというの……?)


──その時である。


「ト、トルヴィア様!新たな巨大シャドリオスが……!」


遠くから鳴り響く凄まじい咆哮と共に、一人の兵士が駆け込んできた。

その声に振り向いた二人の戦姫の瞳が、驚愕で見開かれる。

遠くの瓦礫の山から、巨大な漆黒の影が次々と姿を現していく。三階建ての建物ほどもある獣型のシャドリオス。

それが、一匹、また一匹と──。


「ご、五匹……?」


トルヴィアの声が、震えていた。

先ほどの一匹ですら手こずったというのに、その悍ましい存在が五体も。

五匹の巨獣が放つ咆哮が、宮殿の大広場に轟き渡る。


「……溜息吐いてる暇は、なさそうだね」

「そうね、やるしかないわ!」


トルヴィアが闘志を漲らせてウォーハンマーを握りしめた、その瞬間──。


「──お嬢さん方、俺もご一緒させてもらってもいいかい?」


轟音と共に閃光が戦場を切り裂く。

巨大なシャドリオスの漆黒の体が、一瞬にして貫かれた。まるで紙を切り裂くかのような音と共に、獣の体が二つに引き裂かれていく。

見上げると、深紅の外套をはためかせたアドリアンが、メーラをお姫様抱っこしたまま宙に浮かんでいた。


「アドリアン!」


レフィーラは満面の笑みを浮かべて彼の名を呼ぶ。

アドリアンは軽くウインクを返すと、戦場を見渡しながら笑みを浮かべた。


「巨大な看板犬が五匹かぁ。いや、今一匹片付けたから四匹だったね。メーラ、こんなに大きいと散歩も大変そうだけど、飼ってみない?」

「……多分懐かないと思う」


メーラは呆れたような、困ったような表情で答えた。


「そうか。残念。じゃあ──お仕置きの時間だ!」


アドリアンは優雅に宙を舞う。

巨獣たちが牙を剥いて襲い掛かってくるが、彼の動きは風のように軽やか。メーラを抱いたまま、踊るかのように空中を渦巻いていく。


「はっ!」


閃光と共に、彼の足技が炸裂。

漆黒の獣たちの体が、次々と空中で弾け飛ばされていく。青白い魔法の光が四方八方から降り注ぎ、巨獣たちを次々と貫いていった。


「gii……!?」


その華麗な戦いぶりは、まさに芸術。

戦闘とは思えないほどの優美さで、アドリアンは四匹の巨獣たちを玩具のように弄んでいく。


「──怖いかい?メーラ」


戦場の真っ只中を駆け抜けながら、アドリアンは腕の中の少女に優しく問いかける。

しかし、メーラはゆっくりと首を横に振った。


「ううん。アドが、傍にいるから」


その言葉には、揺るぎない信頼が込められていた。

アドリアンが傍にいる限り、たとえそれが死地であろうと、彼女にとってはこの上ない安らぎの場所となる──そう、メーラは心の底から信じていた。

空中の舞踏が終わると、巨大なシャドリオスたちは静かに靄となって消え去っていた。


「あ、あの化け物を一瞬で?」

「流石英雄さまだ……!」


兵士たちの歓声が戦場に響き渡る中、アドリアンはメーラを抱いたまま、トルヴィアとレフィーラの傍らに軽やかに着地した。


「どうだった?最新の社交ダンス。獣たちも、すっかり魅了されて消えちゃったみたいだけど」


からかうような笑みを浮かべながら、アドリアンはそう言った。


「すっごいかっこよかったぁー!」


レフィーラは純真な瞳を輝かせて即答したが、トルヴィアは不機嫌そうな表情で腕を組んだ。


「獣相手ならいいけど……もし私が相手だったら即座にハンマーで叩き潰してたわ。ステップが雑すぎるのよ」


そんな彼女の言葉を聞いたアドリアンは苦笑を漏らす。

彼女はこんな時でも、相変わらずだ。


「お姫様を抱いてそんな暴れた戦い方をするなんて、随分と粗野な騎士様ね。メーラ姫を安全な場所に運んでから戦っても良かったんじゃない?」

「あぁ、それはね」


アドリアンは優雅に肩をすくめる。


「公爵たちの領地でも、ずっとこうしてたんだ。まるでお姫様と社交ダンスを踊るみたいでかっこいいでしょ?」

「なによそれ……」


トルヴィアは呆れたように言ったが、その瞳には確かな興味の色が浮かんでいた。

領地巡りの間、アドリアンとメーラはいったい何を──。


そうして、アドリアンとトルヴィアは互いに現状を報告しあう。

四公爵の領地はシャドリオスを駆逐したが、まだ予断を許さない状況。

宮殿にはシャドリオスたちが執拗に突撃を繰り返してきており、ザラコスや森林国の助力もあり、なんとか持ちこたえているが……それも時間の問題だ。


「倒しても倒しても、逆に数が増えてるわ。どうして……」


トルヴィアの声には、明らかな焦りが滲んでいた。

彼女の赤いツインテールが、漆黒の靄の中で揺れている。


「そうだね。これは恐らく……『根源』を絶たないと、無限に湧いて出てくる術式だ」


アドリアンは意味ありげに目を細める。その瞳には、何かを見抜いたような鋭い光が宿っていた。


「え?根源って?」


レフィーラが首を傾げる。

この現象が自然発生したものだとは考えにくい。かといって魔法なのだろうか?いや、こんな規模の魔法など聞いたことがない。

加護の可能性も……しかし、このような禍々しい加護の存在など、誰も知らない。


「術式の根源……つまり、誰かが意図的にこの状況を作り出している。そして、その『誰か』はどこかに隠れているはずだ──」


アドリアンの表情から、いつもの軽薄さが完全に消え失せた。

そこにあるのは、英雄としての鋭い眼差しだけ。


「術者が隠れてる……?でも、それじゃあどうしようも……」


トルヴィアの声が震える。

この広大な地下帝都で術者を探し出すなど、砂漠で一滴の水を探すようなもの。それこそ不可能な──。

しかし、アドリアンは余裕の笑みを浮かべながら、メーラを優しく地上に降ろした。

そして、ゆっくりとトルヴィアたちに両手の掌を見せる。


「──!?」


トルヴィアたちは息を呑んだ。

アドリアンの掌には、漆黒の靄のような禍々しいものが渦巻いている。


「これは、公爵さま方にかかっていた呪いの残留物。呪いってのは可愛くてね、術者の元に還ろうとする性質があるんだ」

「の、呪い……?公爵たちに呪いが……?」


トルヴィアとレフィーラは呆然とする。あの公爵たちが、呪いに操られていたというのか。

しかし、アドリアンは優し気に微笑むと、静かに言った。


「そう。この呪いが術者の居場所を教えてくれる──」


アドリアンはゆっくりと、まるで蝶を追うかのように手を伸ばす。

その仕草には、優雅さの中に確かな殺意が潜んでいた。


「でも、これじゃ少し足りないね。最後の一片を、頂戴しちゃおうかな」


アドリアンの手が指し示す先──それは皇姫トルヴィアだった。


「え?」


抜けたような声が漏れた瞬間。

アドリアンの手が一閃し、トルヴィアの体から黒い靄がもぎり取られた。それは蛇が脱皮するように、彼女の体から剥がれ落ちていく。


「──!」


トルヴィアの体が大きく震え、膝から崩れ落ちそうになる。

レフィーラが慌てて彼女を支える中、アドリアンの掌には新たな漆黒の靄が集められていた。


「さぁ。キミにかけられていた呪いは、王子様……じゃなくて、英雄が取り払った。あとは──」


アドリアンの瞳に、冷たい光が宿る。

それは普段の皮肉めいた色とも、英雄の優雅さとも異なる──獲物を追い詰めた猟犬のような、鋭い輝き。


「黒幕を、倒すだけだ──」


アドリアンの掌に集められた禍々しい靄が、ある一点を指し示すように蠢いていた。


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