地を揺るがす雄叫びと共に、ついに二つの軍勢が激突した。
先陣を切ったのは、イルデラ率いるリノケロス族の重装歩兵部隊。
その突進は大地を揺るがし、草を薙ぎ倒し、全てを粉砕しながら突き進む、まさしく生ける津波だ。
「ぐわっははは!蹴散らせ、蹴散らせぇ!オオカミどもを挽肉にしてやれぃ!」
リノケロスの戦士たちが、勝利を確信したかのように咆哮する。
だが——。
「怯むな!盾を構え、衝撃に備えろ!一番槍は俺が受け止める!」
ヴォルガルドの屈強な部隊長が、冷静沈着な号令を発する。
銀色の狼の獣人たちは、その声に一糸乱れぬ動きで応えた。彼らは巨大な鉄の盾を隙間なく並べ、大地に深く足を踏み込み、揺るぎない鋼鉄の壁を形成する。
そして、次の瞬間。
凄まじい轟音と共に、犀の角と、狼の盾が正面から衝突した。
火花が散り、金属が軋み、大地が悲鳴を上げる。
「むっ……!?止められた……!?」
リノケロスの戦士の一人が、信じられないといった声を上げた。
無敵を誇ったはずの彼らの突進が、ヴォルガルドの盾列によって、真正面から受け止められていたのだ。
「ぐ、ぬぬ……!これがリノケロスの突進か……!」
「怯むな!押し返せ!ヴォルガルドの牙の鋭さ、今こそ見せてやれ!」
大草原の覇権を賭けた戦いは、序盤から、互いに一歩も譲らぬ総力戦の様相を呈していた。
力と力のぶつかり合いによって完全に膠着した、まさにその時。
それを好機と見た両軍の主力——歩兵部隊が、鬨の声を上げながら、その両翼から激しく突撃する。
「我らに続け!数で押し潰してしまえ!」
熊の獣人が剛腕を振るい、猪の獣人が牙を突き立て、猫の獣人が素早い動きで敵陣に切り込む。多種多様な部族の戦士たちで構成された同盟軍は、その数の利と、それぞれの部族が持つ多様な戦い方で、波状攻撃を仕掛けた。
個々の戦士が持つ力は、決してヴォルガルドの兵士に劣るものではない。本来ならば物量差で、敵の陣形を崩せるはずであった。
しかし——。
「なっ……硬い!?」
同盟軍の熊の戦士が振り下ろした渾身の一撃を、二人のヴォルガルド兵が、寸分の狂いもない連携で盾を重ね合わせ、完璧に受け止める。
そして体勢が崩れた一瞬の隙を隣にいた別の狼兵の鋭い槍が、容赦なく脇腹を抉った。
「ぐあっ……!?」
ヴォルガルドの兵士たちは、決して一人では戦わない。
彼らは常に三人一組、五人一組という小隊規模で動き、一つの生き物のように完璧に統率された動きを見せる。
一人が盾で敵の攻撃を防ぎ、一人が槍で牽制し、そしてもう一人が死角から回り込んでとどめを刺す。無駄のない洗練された動きは、戦いというよりも、組織的な「狩り」そのもの。
数の力と、個々の猛勇さで攻め立てる同盟軍は、そのヴォルガルドの、末端の一兵卒にまで浸透した恐るべき組織力の前に、次第にその勢いを削がれ、苦戦を強いられていく。
それはルミナヴォレンの連携よりも、更に強固で厳しい規律に基づかれたものであった。
「くそっ、キリがねえ!」
「こいつら、どうなってやがるんだ!?」
同盟軍の兵士たちの間に、焦りと苛立ちの色が浮かび始めていた。
「やるわね!戦略も何もないただの獣の集団とは違う……!」
丘の上から戦況を見つめていたレフィーラが、ヴォルガルド軍の見事な統率ぶりに、思わず感嘆の息を漏らす。
その隣で、同じく戦場を睨みつけていたモル少年が、鋭い声で進言した。
「レフィーラさん、中央が完全に膠着しています!今なら、両翼が手薄になっているはず!パンテラ族の機動力を生かして、敵の側面を突くべきです!」
「……分かったわ!ゼゼアラ、行ける!?」
レフィーラは、モルの的確な判断に即座に頷くと、傍らに控えていた伝令兵に叫ぶ。その声は、麓にいるゼゼアラの元へと届けられた。
それに応えるように、パンテラ族の部隊が一斉に動き出す。
「ああ、お望み通り、敵陣を攪乱してみせよう。……行くぞ、お前たち!ヴォルガルドの狼どもに、黒豹の爪の鋭さを教えてやれ!」
ゼゼアラの号令一下、パンテラの戦士たちが黒い疾風となってヴォルガルド軍の側面へと回り込む。
だが、その時であった。
モルの長いウサギ耳が、ぴくり、と戦場の僅かな空気の揺らぎを捉えた。
「……!?」
パンテラの奇襲部隊が動き出したのと、ほぼ時を同じくして、敵であるヴォルガルドの本陣からも、別の部隊がこちらの動きを予測していたかのように、的確にパンテラ部隊の進路上へと展開されるのを、モルは見逃さなかった。
「こちらの動きが、読まれている……?」
中央の戦線ではリノケロスの突進が完全に受け止められ、むしろヴォルガルドの組織的な押し返しによってじりじりと後退を始めていた。
もどかしい戦況に、最初に我慢の限界を迎えたのは、やはりこの女……イルデラであった。
「あーーー、もう!じれってえな!押し返されるなんざ、リノケロスの名折れだ……!行くぞテメェら!ついてこいやぁ!」
リノケロス族長イルデラは獣のような咆哮を上げると、単騎、味方の制止も聞かずに敵陣の真っ只中へと突撃した。
その姿は、もはや一人の戦士ではない。ただひたすらに破壊を撒き散らす、巨大な暴風である。
「リノケロスの族長だ!全員、盾を構え……」
「邪魔だ、雑魚ども!まとめて吹っ飛べ!」
「ぐ……あぁぁ!?」
彼女がその巨大な戦斧を一度振るえば、ヴォルガルドの戦士たちが木の葉のように舞い、二度振るえば、屈強な盾兵がその盾ごと粉砕される。
ヴォルガルドが誇る鉄壁の陣形も、そのあまりにも規格外な個人の「武」の前には意味をなさず、イルデラを中心とした一点が、凄まじい勢いで蹂躙されていく。まさに「無双」の活躍であった。
それと時を同じくして——。
側面を攻撃していたパンテラ族の部隊もまた、ヴォルガルドの精鋭部隊との激しい死闘を繰り広げていた。
その中心で、一際激しく火花を散らす、二つの影があった。
「流石はパンテラ族長ゼゼアラ……大草原の稲妻の異名は伊達ではない……!」
「こちらも、流石はヴォルガルドの戦士だと言っておこう……!」
パンテラ族長ゼゼアラ。その神速の爪撃を、ヴォルガルドの屈強な部隊長が、同じく驚異的な俊敏さで紙一重に見切り、反撃の牙を剥く。
黒い幻影と銀色の閃光が、目にも留まらぬ速さで交錯し、その周囲には他の兵士が立ち入ることすらできない、濃密な死の空間が生まれていた。
押し、押されの一進一退の攻防が続く中──。
「……!」
敵兵を薙ぎ払い、暴れ回っていたイルデラの視界に、とあるヴォルガルドの戦士団が、陣形を組んでこちらへ向かってくるのが映った。
その一団は、他の兵士たちとは明らかに違う。一回りも二回りも大きな、歴戦の猛者であることを伺わせる屈強な体躯。そして、その首には例外なく、大戦士の証である牙の首飾りが掛けられていた。
「けっ……!大戦士か、上等だぜ!」
ヴォルガルド大部族は、大戦士の称号を持つ戦士の数が、他の部族と比べて遥かに多いことで知られている。
だが、それは決して血統や世襲で成り上がった名ばかりの者ではない。常に戦いと隣り合わせの厳しい環境の中で、ひたすらに己の牙と爪を磨き上げ、幾多の死線を乗り越えた、本物の精鋭のみが手にすることを許される栄誉。それこそが、ヴォルガルドの大戦士なのだ。
「相手はリノケロス族長、イルデラ!相手にとって不足なし!一斉に掛かるぞ!」
その号令と共に、五人の大戦士たちが、完璧な連携でイルデラに襲い掛かった。
一人がイルデラの豪快な斧の振り下ろしを盾で受け止め、逸らし、その一瞬の隙を、別の二人が左右から、そしてもう一人が死角となる背後から、同時にその鋭い爪を振るう。
「ちぃっ……!」
さしものイルデラも、大戦士五人を同時に相手にするのは分が悪い。
怒涛の連続攻撃に、さすがの彼女も防戦一方を強いられ、その分厚い皮膚には、徐々に無数の切り傷が刻まれていく。
しかし──。
「くくく……!あははは!そうだ、そうでなくっちゃな!こうでなくっちゃ、戦はつまらない!」
追い詰められているはずのイルデラの顔に浮かんでいたのは、焦りや恐怖ではなかった。
強敵と出会えたことへの、戦士としての純粋な、そして獰猛なまでの歓喜の笑みであった。
「リノケロス族長よ!こちらは五人!貴殿は一人!もし、一対一の決闘を所望とあらば、名乗りを上げよ!我らヴォルガルドの戦士、多勢に無勢を良しとはせぬ!」
大戦士の一人がイルデラの実力を認め、そう叫んだ。
獣人の戦における暗黙の了解として、戦の最中であっても、互いが認め合った相手には決闘を申し込むことができる。
一度決闘が始まれば、たとえ族長の首がかかっていようと、他の者は一切手出しができない。それは、数の不利を覆しうる、神聖な儀式。
だが──。
「あっはははは!馬鹿言ってんじゃないよ、オオカミの兄さんたち!この状況で、アタイが決闘なんざ申し込むとでも思ったのかい!?たった『五人』ぽっちに囲まれたくらいで、このアタイがビビると思ったか!舐めるな!」
イルデラは、その慈悲ともいえる申し出を、けたけたと豪快に笑い飛ばし、一蹴した。
あまりにも堂々たる、そしてどこまでも誇り高い戦士としての気迫に、敵であるはずのヴォルガルドの大戦士たちですら、その目に畏敬の念を浮かべた。
「天晴れよ!」
「ならば、容赦はせん!」
しかし、ここは戦場。感嘆は一瞬。
次の瞬間には、彼らは再び冷徹な狩人の顔に戻り、イルデラへと殺到する。五つの銀色の影が、四方八方から、リノケロスの猛将へと、再びその鋭い牙を剥いたのであった。
「うおぉぉぉッ!!」
イルデラは理性をかなぐり捨て、獣の本能のままに咆哮を上げた。
彼女を中心に、破壊の嵐が吹き荒れる。巨大な戦斧が銀色の軌跡を描くたび、屈強な大戦士たちが、その凄まじい膂力に弾き飛ばされた。
しかし、ヴォルガルドの大戦士たちも決して怯まない。
一人が吹き飛ばされれば、即座に残る四人が死角から襲い掛かる。一人が深手を負えば、別の者がその穴を埋めるように、イルデラの注意を引き付ける。
「はあっ、はあっ……!」
だが、さしものイルデラも消耗は隠せない。その額には玉の汗が浮かび、呼吸は荒く、自慢の戦斧を握る腕も、僅かに震え始めていた。
そして、その一瞬の隙を、狼の狩人たちが見逃すはずもなかった。
「——今だ!」
一人の大戦士がイルデラの斧の振り終わりを狙い、その懐に飛び込む。
イルデラは咄嗟に斧の柄でそれを受け止めるが、それは熟練の狩人たちが仕掛けた巧妙な罠であった。
「ぐっ……!?」
彼女の注意が一体の狼に集中した、まさにその瞬間。
別の二人の大戦士が、地面を滑るようにして彼女の足元に回り込み、鋭い爪で脚を同時に切り裂いたのだ。
「しまっ……!」
完璧に体勢を崩し、その巨体がぐらりと揺れる。
がら空きになった、その白い首筋。
そこへ、銀色に輝く鋭い爪が、必殺の一撃となって迫り──。
「!?」
爪がイルデラの白い喉を切り裂かんとした、まさにその刹那。
突如として、凄まじい轟音と共にイルデラに迫っていたヴォルガルドの大戦士を派手に押し潰したのだ。
あまりにも予期せぬ一撃に、その場にいた誰もが驚愕に目を見開き、一斉に視線を向ける。
そこに立っていたのは——。
「ぐわっはっはっは!見たか、貴様ら!ただ馬鹿正直に正面からぶつかるだけが戦ではないわい!敵が油断しきった横っ面を、どーんと一発殴りつける!これこそが、最も賢く、そして最も効果的な戦のやり方だぁ!」
ぜぇぜぇと荒い息を繰り返し、得意満面の笑みを浮かべるのは……巨大な槍を構える、元ルミナヴォレン族長フェンブレであった。