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 第六十三話 やってやろう

 令は正直なところ、優菜のことがわからなくなっていた。

 心の中で泣いているような声は聞こえる。だけれど、それは日々小さくなっていく。

 そして、優菜の笑顔が増えていく。

 笑顔の優菜は姫乃に本当の友達のように声を掛けるようになって、姫乃もその変わりように驚き、戸惑っている。しかし、自分のペースを崩されまいと姫乃は姫乃で自分を取り繕った。

 この中で、一番自然体なのは、恐らく優菜だけだった。

 令はてっきり姫乃に対して友達に……というのは、見せかけだけの友情で、その後に絶望を味わわせるのではないかなどと考えていたが、優菜の性格上それは考えにくいと令は思う。

 ならば、やはり本気で……と思うと、令は頭が痛くなった。

「何を考えているんだか」

 思わず出た言葉に、優菜が反応する。

「何? どうしたの?」

「いや、ちょっと仕事で気になるところがあってな……」

 咄嗟に吐いた嘘だったが、上手く誤魔化せたかもしれない。

 そう思ったが、優菜は気づいていた。

(やっぱり、そうなるよね……。あれほど恐れて、立ち向かうと言って、今度は友達になるって言ってるんだもん……。だけど、綺麗ごとだけど、私は皆が幸せになれる方法の方が、ずっといいと思うんだ)

 そんな気持ちを胸に、優菜はちくりと痛む胸を抱えて、笑みを浮かべて「じゃあ、仕事に詳しい姫乃部長に聞いたらどうかな? きっと頼りになるよ。私より、ずっと仕事上手だもの」と言った。

 姫乃は急に話を振られて驚きながらも、令の側に行って「優菜ちゃんもこう言ってるんだし、何か困ったことがあったなら教えて? 令」と言って令の顔を覗き込んだ。

 令は思わずため息を吐きながら、特に問題にもなっていない仕事の意見を姫乃に求めることで平静を装うのだった。

 それを見て、優菜はにこにこと嬉しそうに微笑んでいる。

 いつか、本当に三人で笑える日なんて、来るのかな……。

 いや、多分、来ないな……。

 そう、知ってはいた。


 優菜が急に姫乃と友達になりたいと思ったのには理由がある。

 姫乃の本当の友達は、きっと誰一人としていない。

 自分と同じく、本当は孤独なのだと優菜は思ったのだ。

 用意された役者、用意された友達、それらは全て、本当の関係ではない。

 世界が用意した張りぼてと同じだと優菜は思っている。

 だから、それがとても寂しくて、悲しいのではないかと、そう優菜は思っていた。

 勝手なお世話だろうがなんだろうが、本当の友達がいないなんて、虚しいことだろう。

 自分だって、それを経験している。今いる友達だって、姫乃側の人間だし、本当の本音をしっかりと話せる友達ではない。

 寂しくて寂しくて、仕方がない。

 だけど、姫乃は? 用意されておきながら、それらが本当の友達でないとしたら。

 余計に寂しいのではないだろうか。

 全てにおいてYESと答える、そんなものが友達なのだろうか。

 だから、優菜は姫乃を姫なのだと思っている。

 お姫様に用意出来るのは、身分も何もかもわかっていて、変なことをしない、決められた友達だけ。

 それ以外は、基本的にいない。

 だけど、自分がいることで、それが狂ってきて、姫乃も恐らくそれに気づいている。

 だったら、先手を打つ。

 自分から友達になると、そう思って接していけば、もしかしたら本当の姫乃が見えるかもしれない。もしかしたら、姫乃の本音を聞けるかもしれない。

 そうしたら、友達に……なれるかは、わからないけれど、でも、何もしないで負け続けて、令を奪われて、それで平気な振りをするよりずっといい。

 優菜はどこかの少女漫画や少年漫画のようにはいかないだろうけれどと思いつつ、自分の決めたことをひたすら進めていくことに決めた。

 そして、もしかしたら、ほんの少し、先の未来でならあり得るかもしれない三人、もしくは四人で笑える日々が、見えてくるような気がしたのだ。

 もう自分の前には現れないと言ったあの陽にも、またいつか会いたい。

 だけど、それは叶わないかもしれない。

 陽というのはそういう男だから。

 一回こうだと決めたら、それを守る男だ。

 だから、優菜は友達としてはいるけれど、もう二度と話すことさえないだろうなと、なんとなく理解していたのだった。

 それが、とても寂しいことだということも。

 そんな気持ちがあって、余計に姫乃を友達にと思う。

 きっと、姫乃はそれを避けたり、心の中では嘲笑ったり、罵ったりしているのかもしれないけれど。

 それでも、優菜は……。

 自分の考えが正しいのだと、信じることにした。

「あ、姫乃部長。コーヒー飲みます? この前コーヒー取り寄せたから、会社に持ってきちゃったんです。美味しいですよ」

「え、あ、ええ……。いただこうかしら」

「アイスコーヒーにしますね。確か、姫乃部長は猫舌、でしたものね」

「覚えてて、くれたのね。優菜ちゃん……」

 姫乃は若干引いた顔をしながらそう言った。

 そして優菜はアイスコーヒーを淹れて、姫乃と令、そして自分の分を用意する。

 実際のところ、アイスコーヒーにしたのは自衛のためでもあった。

 熱いコーヒーを出したら、それを掛けられてしまう場合がある。

 それを防ぐためにも、アイスコーヒーにする必要があったのだった。

 令が「やはり優菜が淹れるコーヒーは美味いな」と言うと、姫乃も「……そうね」と渋々言うのだった。

 だけど、優菜は思う。いつまで、こんなことを続けていかなければいけないのだろうかと。

 いつになったら、自分の人生を……。いや、でも、やってやろう。

 徹底的に、自分の人生を送るために、やってやるんだと、そう決めてコーヒーを飲んだ。


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