目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

 第六十四話 負けっぱなし

 姫乃は家に帰ると爪を噛もうとしてやめた。

 せっかくネイルしているのに、もったいない。そう思ったからだ。

 それにしても、最近の優菜はおかしい。急に態度を軟化させてきて、挙句の果てには仲良くなろうとしているようにさえも思える。

 本当に、何を考えているのかわからない。

「……気持ち悪い子」

 そう。そうなのだ。優菜が気持ち悪い。

 今まで恐れていたのに、急に自分に擦り寄ってきたあの子が気持ち悪い。

 友達にそれを相談しようかなとスマホを開いたが、どの子に言おうかと考えて何度かアプリのトーク画面を開いて、文字を打っては消していた。

(本当の友達……。そんなの、いないわ。いるはずがないじゃない。友達なんて、皆見せかけなんだから。でも、従う人達はいる。その人達が、私の“友達”よ)

 結局、姫乃は優菜のことについて相談する相手がいないと思い、メッセージアプリを閉じて、ゆったりとお風呂に入ることにした。

 好きな薔薇の香りのする入浴剤を入れ、そこに身を沈める。

 心が本当の意味で安らげる時はこんな時くらいしかないかもしれない。

 本当はずっとずっと、思っていた。

 自分は孤独なのだと。

 その孤独を埋めるために、人をいじめ、好きになってしまった令の気を引こうと頑張っていたこと。

 そして、令の周りに来る女達を自分の味方につけて、もしくは蹴落として、笑っていた。

 ……今更、その生き方を変えることなど出来ない。

 なのに、あの優菜はそんな自分を変えようとしてくる。

 本当に、本当に。

「うざったい子……」

 そう思いながら、窓の外を見る。

 月明りがわずかに入って来ていて、綺麗だと思った。

 だけど、その光が、令と優菜の二人の雰囲気に似ているような気がして、姫乃は少し悲しくなった。

 その感情が何なのか、姫乃はわからなかったが、胸が虚しくなることだけはわかる。

 本当の意味で、負けっぱなしなのは、もしかしたら……と、そんなことまでも姫乃は思うが、首を横に振り、そんなことはないと俯いた。


 会社では相変わらず、優菜が姫乃にちょっかいを掛けるかのように友達になろうと必死になる。姫乃はそれをひらりと躱しながら、令に取り入ろうと必死になる。

 令は……、そんな二人を見て、自分がどうするべきなのかわからないまま、とにかく優菜に任せてみようという気持ちに従った。

 一見すると優しい先輩と慕う後輩で、見ていて気分の悪いものではないし、会社でなら、それも令という人物の目の前で、下手なことは出来ないだろうとそう踏んだのだった。

 だが、変わらない輩というのも、必ずいる。


 優菜が部屋から出て、会社内を移動している時だった。

 姫乃の取り巻きの人達に囲まれて、姫乃が迷惑しているなどと文句を言われる。

 しかし、優菜はそれに負けじとこう言うのだった。

「それは、姫乃部長本人から聞いたの?」

 それに対して、周りからは何も声がしなかった。

 しかし、しばらくしてから、「そんなの聞かなくてもわかるわよ」などと言って来るのだった。

「突っかかってくるのはいいけれど、それで姫乃部長も迷惑被るんじゃないの?」

「何よ、それ。どういうこと。脅そうっていうの? 優菜が?」

 馬鹿にしたようにその人はそう言ってきたが、優菜は「そんなこともわからないんだ……」と本気で呆れ、可哀想なものを見る目で相手を見ると、相手は「その目で見るのをやめなさいよ!」と言うのだった。

しかし、優菜は見るのをやめない。

 その人は優菜の頬を引っ叩く。

 その衝撃で優菜は倒れ込んだ。

 しかし、優菜は「それで、幸せなの? みんな、それで幸せなの?」と聞いた。

 皆、何か思い当たる節があるのか、それとも、気味が悪かったのか、気づけば優菜の前から一人として残っていなかった。

 優菜はそのことに寂しさを覚えながらも、負けっぱなしは嫌だから……と、反抗出来るようになった自分を褒めるのだった。

 そして、優菜は本当の意味で、人生で負けっぱなしじゃなくなるために、自分なりにいろんなことを考えて、試して行こうとそう決めた。

 でも、そうなると一つ、やらなければならないことがある。

 それは、自分が変わること。

 それが何よりも難しく、大変なことであることは優菜自身が一番よくわかっていた。

 でも、それをしなければ、世界に負ける。

 それはつまり、死を意味する。

 世界にも認められるようにならなければならない。

 そうしなければ、優菜は生き残れないのだから。

 今のかりそめの幸せでも、十分幸せだった。

 だけど、優菜はさらにその幸せを、本当の幸せにしなければならない。

 それが、優菜に課せられたこの世界での使命のようなものだった。

 そうして、幸せが幸せを呼び、自分もいつか幸せになるために行動すること。

 優菜には、それしか道がない。


 優菜は令達の待つ部屋に戻ると、令が優菜のその赤くなった頬を見て瞬時に何があったのか察し、姫乃を睨もうとしたが、優菜が視線で止めた。

「大丈夫、負けっぱなしには、絶対にならないから」

 そう小声で令にだけ聞こえるように言った。

 令は少しだけ頷く。優菜はすぐに笑みを見せた。

「このくらい、大丈夫だよ」

 そう、このくらい、今までのことを考えれば……。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?