優菜は考える。変わるべきは自分であると。
何度も何度も、他人に変わってほしいと願ってきてわかったことは、他人は変わらないということ。
ならば、自分が変わるしかないのだ。
それがいつか大きな竜巻のように、周りをも巻き込んで、変わっていけば……と、優菜は考えている。
だが、それを望まない者ももちろんいる。
それは……。
「何よ。あの子、急に、急に私と仲良くしようなんて……。身の程を知りなさいよ。ただでさえ私のお目こぼしで令の側に居させてあげているっていうのに……! まさか私を何か酷い目にでも……。でも、あの子に限ってそんなこと出来るはずが……。だけど、注意はしておくべき、かしら」
——姫乃だ。
姫乃は仕事が終わってから、自室でそんなことを呟きながらお気に入りのハーブティーを飲んで、荒れた心を少しだけ落ち着ける。
昔から、姫乃のお気に入りはハーブティーだった。
コーヒーよりも優しくて、少し癖があって、でも愛せてしまう様々な味。
ブレンドによっても水色や香り、味が変わる。そんなところが、姫乃のお気に入りのポイントの一つだった。
そんな姫乃は、最近、イライラに効くというハーブティーをよく飲むようになった。
あの優菜が変わってきているから。
でも、自分は変われない。それはそうだ。ずっとこの生き方をしてきた人間が、そう簡単に変えられるわけがない。何故なら特にその必要もないし、命の危機があるわけでもないから。
優菜の場合は違う。自身の命の危機もあるし、負けてしまうことはつまり死を意味する。だから、変わらざるを得なかった。もし、今も暗くて地味なまま、ただいじめられるだけの優菜だったら……、もしくは、原作の小説の悪役令嬢と同じ行動を取っていたら、きっと今頃は生きていないだろう。それこそ、原作の世界の通りに、死んでいるはずだ。
でも、そうじゃない。それは間違いなく優菜の努力によるものだった。
そんなことを知らない姫乃は、優菜の変わりようが異様に思えたし、気持ち悪いとさえ思っている。
「私は変わらない……。変わって、なるものですか」
変わることは絶対であることに気づけない姫乃は、不変を願っていた。
一方で優菜は、あの日からまた令とコーヒーを飲む時間が増え、今も一緒に仲良くコーヒーを飲んでいた。
「そういえば令、毎日のようにコーヒー飲んでくれているけれど、帰ってから眠れないとか、そんなことはない……?」
「ああ、大丈夫だ。いつもコーヒーを飲んでいるし、帰りの眠気覚ましになっていい。運転中に事故を起こすのは怖いからな。その後眠れないということもないから、気にすることはない」
「そっか。それならよかった」
「それにしても、優菜。最近社内をよく歩いているようだが、大丈夫なのか?」
「え? 何が?」
「その……言い難いが、いじめとか、言われたくもないことを言われたり……」
優菜はふふっと笑った。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。子どもじゃないんだから。それにね、私、少しずつだけど、周りも変わってきたなって思えるようになってきたんだ」
「周りも……?」
「うん。まずは自分が変わることが第一でしょ? それから、周りも少しずつ、私に対して態度が変わってきたように思えるの。本当に、ちょっとずつだけれど、姫乃側の人間だった遠巻きの人達なんかが、最近は挨拶をしてくれるようになったんだ」
「……本当に、大丈夫なのか?」
「心配性だなぁ。令は。大丈夫。信じるところから始まるものもあるでしょ? 信じなくちゃ。人を」
「でも、人を信じた結果、お前はいつも傷つくじゃないか」
「それはその時だったから……。いつもそうだとは限らないよ。少なくとも、今回はそんなことじゃない気がする。本当に、気がするってだけなんだけどね。でも、それでも、私にはとても心強いものだと、そう思えるんだ……」
「優菜は強いな」
「ううん、そうさせてくれたのは……令のお陰……。あとは、悔しいけど、姫乃のお陰でもあるの。本当に、悔しいけど」
「……その悔しさがわかるくらい、表情ににじみ出ている」
「あはは……。でもね、とにかく、私は変わるんだ。今度こそ、折れたりしない。折れても、また立ち直れるようになるんだ」
「わかった。まあ、無理はするなよ」
「うん。わかってる。ありがとう。令」
そして二人はコーヒーを飲み終えると、その日、二人は別れてそれぞれの家で眠りに就いた。
優菜は何も姫乃のことだけを対策していたわけではない。
それこそ毎日会社で挨拶を欠かさずするようになったら、自然と返してくれるようになる人が増えてきたし、少しずつ立ち話をするようにもなってきた。
周りも「あれ? 優菜って実はそんなに悪い人なんじゃないんじゃないの?」などと気づき始めている。
そのことに気づいていないのは、姫乃と令くらいだった。
周りも姫乃に言われていたわけでもないのに、どうしてあんなに姫乃に気を遣っていたのかと自分で考えることを始め、ようやく小説の世界が、小説という枠から抜け出そうとし始めたのだった。