「おはようございます」
優菜は日課となってきた朝の挨拶をしていると、それに反応したのが、まず会社の掃除をしている掃除員の中高年の女性だった。
「あら、優菜ちゃん。おはよう」
「あ! おはようございます! いつもお掃除ありがとうございます!」
「いやーねー、仕事だからしてるのよー。でもありがとう。私達にこんな風に挨拶してくれるの、優菜ちゃんくらいだわ」
「あー、ははは……。それは、その、申し訳ないと申しますか……」
「いいのいいの。私達には、癒しの優菜ちゃんがいるから、大丈夫よー。姫乃さんもいい子だけどね、でも、なんか遠い存在というか……。私達には優菜ちゃんの方が身近な存在よ!」
「ありがとうございます!」
「あ、ほら、時間よ。急いで行っちゃいなさい! 今日も頑張るのよー!」
「はーい! ありがとうございまーす! おばさま達も頑張ってくださいねー!」
優菜は恐れることよりも、その先にあるかもしれない希望に賭けて最近は挨拶をよくするようになった。
それに、挨拶が出来ないというのはよくないと優菜は薄々というよりかは、ずっと思ってきたことで、これはいい機会だと思って挨拶から人間関係を始めるようにしたのだ。
すると、意外なことに、姫乃の取り巻きよりも外側の人間に限ってだが、挨拶を返してくれるようになった人も当然いるし、話をするようになる人も増えてきた。
中には、一緒に食事に行くような関係になった人もいる。
「友達」という存在が、優菜に出来始めたのだ。
そのことは優菜を勇気づける確かなものとなっていった。
そしてその絆は、そう簡単に姫乃でさえも切れるものではないようで……。
休日の街中で、もしも姫乃に見つかったらとびくびくしながら「友達」と食事や遊びに行くようになった優菜だったが、その友達が「そんなにびくびくしなくとも。私達が遊ぶことで何か不利益被る人いるの? そんな人、大した人じゃないんだから、気にしなくていいよ」と言ってくれたのであった。
「でも……」と優菜が言うと、その友達は「多分だけど、それ姫乃部長でしょ。気にしなくていいよ。あの人、きっと何か誤解してるんだよ。優菜はこんなに話しやすくて、優しいんだからさ……。もっと自信持ちなって。いいんだよ。迷惑なんて掛けてないし、この程度で迷惑って言うならその方が迷惑なんだから」と言って、優菜の背中をぽんっと叩いた。
「だから大丈夫! 優菜は優菜のままいなよ!」
ありのままを受け入れてくれる友達が増えた。
それは、優菜にとってはとても嬉しいことで、思わず涙が零れた。
「ありがとう……っ」
「何も泣かないでもいいでしょうが。ま、私達も結構勘違いしてたみたいだから、申し訳ないんだけどさ。でも、本当、変わったよねー。優菜も、私達も。変わってないのって、姫乃部長くらいかもね」
そう言われてみれば、そうかもしれないと優菜は思った。
変わっていく周りに順応することが出来ず、変わることが出来ないでいる姫乃。それは可哀想と言おうか……。それとも……、主人公だから仕方がないと思ってやればいいのだろうか。ただ、不変はありえないことだと優菜は知っている。だからこそ、姫乃のその不変さがまた恐ろしくも感じられるのだった。
「優菜ー、優菜? どうしたの?」
「え、あ、う、うん。ごめんね。ちょっと仕事思い出しちゃって」
「真面目人間なんだからー。でも本当、不思議だよね。昔は仕事出来ないことで有名だったのに、あの令様にも認められるくらい、本当は仕事出来るんでしょ?」
「へっ!? 何、それ? ……認められるくらい、って……どういうこと?」
「え、知らないの? あの令様が冷酷な顔じゃなくて優しそうにふわって微笑みながら、俺の仕事を支えてくれる優菜に仕事を安心して任せられるんだって前に上の人達に言ってたわよー。事あるごとに令様、あなたのことを出してきて、もう上の人達はその令様の変わりように戸惑いを隠せないでいるんだから!」
「……嬉しいけど、嬉しいけど」
優菜は思わず顔を赤らめた。
「だからこそだよ。あなたから婚約を白紙にするって聞いた時には驚いた。でも、なんだか納得。理由が、親の決めたものじゃなくて、自分達でしたいからって、あなた達にピッタリの理由だわ。そういうところ、好きだなぁ」
「もうー。嬉しいこと言ってくれるー! 何か食べたいのある?」
「これ以上は入らないから、奢ろうとか考えないでいいからね。じゃあ、また今度、遊ぼうね! 私も、もっとあなたが思ってた人物と違ったって、周りに広めちゃうんだから! 自慢の友達だもの!」
「ありがとう!」
そして二人は別れて、優菜は一人、帰路に就く。
ぼんやりと「自慢の友達……か」と呟いた。
とても嬉しくて、胸がぽかぽかとするのだった。
こうして、少しずつ、少しずつ。ひとり、またひとりと友達を増やしていく。
世界の人をひとりずつ、変える力が優菜にはある。
そんな素敵なことに、優菜自身は気づいていない。
やがて、優菜は、心がどんどん満たされるようになっていくのだが、それはこれからのお楽しみだろう。